ご縁のあった人たち

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2020年9月23日 (水)

専門家と一般大衆の両方が満足する政治

 今回のコロナ危機の対応を見ても、専門家の意見と大衆の感覚に、ずれがあるような場合が多い。本来、専門家の意見を、総合的に見て判断するのは、政治の役割であるが、現在の政治にはこれが上手くできていないように思う。もう少し言えば、

「専門家の扱い方を政治家が理解していない」

為に、色々な問題が起こっている。

 さて、この問題に関して、本質的な理解をしているのが、元大阪府知事・大阪市長の橋下徹である。かれは

専門家の厳密な議論は大切にしないといけない。
しかし、全体的な判断は政治家が方向付けをしないといけない。
また、一般大衆が「言葉上手くいえないが不満を持っている」時にはそれを大事にしないといけない。

と、専門家・政治家そして一般大衆の関係を、きちんと考えている。ここで、専門家と一般大衆の感覚について、彼が昔ある番組で、裁判員裁判制度に関し発言したコメントが本質だと思う。

プロ裁判官や法律家は、罪の認定等の専門的な議論は、きちんとできる訓練を積んでいる。しかしながら、一般大衆の感覚も重要である。例えば、
「飲酒運転」
に対して、法律の専門家の議論なら
「酒の影響で判断力低下したから、故意ではない、従って減刑の理由になる」
という方向になるが、一般大衆の意見は
「飲酒して運転すること自体が厳罰にすべき」
であり、この感覚を大事にすべきである。そのため、裁判員制度で意見が出るのは望ましい。

このように、大衆の意見が方向付けて、専門家がそれを実現する。このような政治が必要ではないかと思う。

2020年9月22日 (火)

西洋文明の「支配者」とは

 アリストテレスの「詩学」を読んで、プラトンの「国家」との違いに、少し戸惑っている。プラトンの考えでは、

「哲学がイデアに迫る最善の手段で、詩は劣った手段である」

となっているが、アリストテレスの発想では

「悲劇は神の意向を展開したモノ」

という感じで、哲学と同じレベルに置いている。私個人の今までの偏見では、アリストテレスの方が、「哲学者優位」を言いそうだと思っていたが、諸学に通じた立場では、詩についても平等に評価したらしい。

 しかしながら、西洋文明には

「優れたモノが大衆を導く」

という発想がある。更に言えば

「市民と奴隷の違い」

があり、

「支配者の立場を根拠づける、理論武装としての学問」

という伝統が潜在しているように思う。

 昨日ちらっと書いたが、奴隷制度の根拠になる、人種差別には、『(科学的に)劣性と判定された人種』を、『有能な人種が支配する』という、『科学的』根拠付けが行われていた。その後継者が、ヒットラーである。

 しかし、よく考えてみると、西洋文明には、オリエントの宗主権契約の時代から、支配者の正当化の理論を探していて、学問もそれに使われていたように思う。

2020年9月21日 (月)

大坂なおみの苦しみを理解するためには

 アメリカで活躍している、テニスプレイヤーの大坂なおみが、アメリカの人種差別による被害者の名前をマスクに書いて、戦っていた。

https://naomiosaka.com/special/

 私たちが、彼女の背負っている物を理解するためには、アメリカの奴隷制度の歴史を知らないと行けない。例えば、マークトウェインの「まぬけウイルソンの悲劇」を読んだら、アメリカの奴隷制度で、『黒人』と判定された人たちの人権が蹂躙されていたか解るだろう。

 

更に踏み込めば、西洋文明における奴隷制度の位置づけも、知っておくと理解が深まる。古代ギリシャの時代から『民主制度』があったと言うが、その『民主制度』は、『奴隷制度』の上に成立していた。これを理解していないと、西洋文明の支配者と支配される人間の関係が見えてこない。

 また別の面から考えると、進化論等の『科学的思考』も、『人種差別の理論的根拠』として使われていた。

 西洋文明の、人種差別は『科学的根拠』というカルト的な信仰の上で、成立していた。

 このような歴史を踏まえた上で、大坂なおみの悲痛な声に向き合うべきだと思う。

2020年9月20日 (日)

地域のリーダーを中央でコントロールすべきか

 大阪での『地域政党維新』の活躍を見ると、中央の権力と一線を画した、地域の力というモノを感じる。ここから少し、明治維新とその前の江戸時代を考えてみた。まず、江戸時代には、各藩が独自性を持って支配し、さらに地域の豪商・豪農や寺などが、民衆を指導していた。これはよく言えば独自性を持った指導であるが、悪く言えばバラバラで、玉石混淆の状況であった。

 これに対して、黒船来航やアヘン戦争による西洋文明の侵略の危機は、国としてまとまった対応が必要になる。そのためには、中央集権的な政策で、指導を一律に行う必要があった。色々な制度ができたが、中央の指導で全国一律という発想が根底にある。この状況で、指導者としては、学校教師や巡査などの役人たちが働いた。

 こうした中央のコントロールで、一律な社会を作り、人材の底上げを行う発想は、昭和の高度成長までは無事働いたと思う。

 しかし、多様化した社会への対応には、『地域の独自性重視』の発想を、もう一度考えるべきである。

 ただし、江戸時代のような、野放しではなく

「他の地域の良い物は取り入れ、間違いを指摘される開放性」

を持った上で、地方の独自性を生かしていくべきだと思う。

 数あわせや、他所の模倣だけでは、地域の活性化の指導者は生まれない。しっかりした方法論が必要だと思う。

2020年9月19日 (土)

東大法学部の力とその限界について

 国家公務員の働き方に関して、河野大臣が何かメスを入れるらしい。これはよい事だと思う。しかし、国家公務員の過労状況に関して、ここでもう少し踏み込んでみたい。まず明治の国家公務員育成に関してであるが、先に帝国大学法学部ができて、その後官僚組織ができていった、歴史的経緯を抑えておく必要がある。つまり、国家公務員は、東大法学部出身者を前提の、働き方を考えていた。

 さて、東大法学部出身というのは、どのような力を持っているのだろう。私は、1冊の本がそれを物語っていると思う。

 

この「法学の基礎」は、「法学の土台」とも言うべき本で、法律を作るための配慮すべきコトなどを、網羅している本である。このような、基礎教養を持っていれば、法律に関する検討も、比較的短時間でできるだろう。昔、ある番組で橋下徹弁護士が

「霞が関の官僚は、法律を作るときに、大宝律令まで調べる」

と半ば揶揄していた。しかし、国民の権利に関して整合性を取るなら、既存の法律の立場を調べるのは当然であり、行くところまで行くと律令制度まで行く。これを納得し、要領よく調べるのが、「法学の基礎」などで鍛えられた人財だろう。

 このように考えると、こうした「基礎的な配慮」のできない人材が、長時間労働で苦しむ状況が見えてくる。

 ただし、この発想は、「法学の基礎」で、要領よく仕事をしようとする人間にも、ブーメランで還ってくる。現在の歴史研究では、律令制度の時代でも、実質の「公地公民」は不成立な部分が多く、私有地などの「律令の抜け穴」が多く存在する、という意見がでている。これを踏まえると、

「前例検討で、大宝律令を調べた」

だけでは済まなくなってしまう。こうして、新たな残業地獄が生まれる可能性が出てくる。

2020年9月18日 (金)

記述が難しいモノをどのように表すか

 近頃、社会科学の実用化について色々と考えているが、根本的な問題として

「社会科学の対象とは何か?」
「それはどのように表現されるのか?」

と向き合ってみた。

 この問題を

「関係や動き、そして働きを、どのように記述するか?」

と具体化してみた。もう少し、物理学と比較すると物理学では、

「対象の物体は明確に存在する。」
「物体間の関係は数式で表される程度に明確である。」
「動きに関しても、微分などの数学的道具が備わっている。」

という恵まれた条件がある。

 一方、社会科学の場合

「対象は社会という曖昧なモノ」
「関係や動きを数式で記述すると、部分的な表現となる」

という段階である。

 このような社会科学の記述には

  1. その世界のモデル(舞台と登場人と登場物)を作り
  2. その上での典型的ストーリーを展開し
  3. 一般的な規則を見いだして理論化する

段階を踏む必要があるのではないかと思う。

 もっと言えば、登場(人)物の特性(本性)を、きちんと記述し、その一般性を見いだすなどの手順があるかも知れない。これは、ソフトウエアでシミュレーションする側の発想に近い。

2020年9月17日 (木)

物理学的な世界観と社会科学的な世界の見方

 大乗仏教の「唯識」について、少しばかり本を読んでみた。

「唯『識』だけがある」

という発想は極端だが、社会現象などを観るときに、

「そのようなモノが実在する」

と思い込む危険性については、よく意識すべきだと思う。考えてみれば、私たちは

『物理学的世界観』

の影響を受けいている。天体や機械などの

「物理学の対象」

は実在する。この発想は、社会科学には通用しない場合がある。例えば、

「搾取する資本家、搾取される労働者」

と言われても、

「株でもうけている労働者は?」

という風に、理論通りの実在は、存在しない場合もある。

 更に言えば、

「理論的な知識の力で、社会の現象を観る」

場合も多い。極端な話、貨幣経済という概念が無い人が、日本の現状を見たら、何が解るのだろう。

 このように考えると、社会科学の場合には、世界の見方を学びながら、理論的な知識を充実させるべきだと思う。

2020年9月16日 (水)

実現重視の日本と体制から入る西洋文明

 先日書いた、明治の日本の近代化

「先に人材育成を行って、その後役所を作る」
例えば
「帝国大学が先にでき、その後に文部省ができた」

という風な、

「実現のための人材育成を先に行い、人材が揃えばその後は組織を作る」

発想である。これは

「組織を先に作り、人材を募集する。調達する。」

発想とは根本的に異なっている。この発想について、議論していくと面白いモノが出てくる。まず、明治維新に関しては、

「松下村塾など、人材育成の場が、社会を変える母体になっている」

という面がある。しかし、これだけではない。日本人の発想の根本に、

「全体を観て、実現可能性をきちんと考え、その後で実行する」

がある。今回のコロナ対応でも

「PCR検査を抑える。なぜなら、陽性者を受け入れる体制が整っていない。」

という発想で、諸外国から

「日本のPCR検査比率は低いので、発症者数は怪しげ!」

という批判を、のらりくらりと躱しながら、医療崩壊を回避した行政手腕がある。

 このような、

「実現体制まで、総合的に観てから動き出す」

体質は、日本の美点である。ただし、

「緊急事態への対応が遅れる」

リスクをきちんと認識しないと行けない。

2020年9月15日 (火)

54万アクセスの御礼と近況報告

 先ほどアクセスカウンタを確認したら、五四万を超えていた。5月17日に五三万アクセスを超えてから、四ヶ月で一万アクセスをいただいた。ありがたい事である。

 人気記事は相変わらず、正社員登用関係が強いが、

  図と絵との違い

  『FTA』と『なぜなぜ分析』

もそれなりにアクセスいただいている。

 又近頃は、色々なとがった意見のページにアクセスいただく読者がいて、うれしく思う事が多い。深く感謝の意を表する。

 さて、この5月から私自身も、色々とあった。5月の待つぐらいから発症していた皮膚病が、国の難病指定の天疱瘡と判明し、6月末から1ヶ月以上入院となった。そこでは、高単位のステロイド投与や、血液製剤の点滴を受け、現在はステロイドの減薬中である。ようやく、ステロイド服用量は最大時の半分ぐらいに減ったが、まだ先は長い。今でもステロイドの副作用で、顔が丸くなったし、字を書くときに手が震える。

 このような状況だが、まだまだ頑張ってこのブログは書き続けるので、皆様のご愛読ほどを願いします。

 

  

2020年9月14日 (月)

社会科学の実用化に関して

 先日から書いている、

「学問をする価値」

に関連して以下の問題を考えてみた。

「自然科学は、物理学から工学という実用の流れがあった。社会科学にそのような流れはあるか?」

この問題に関しては、昭和の時代なら一つの答えが出てくる。

「マルクス主義に影響を受けた、学校教育は忘れてもらって、社会に出てから実務を習う。」

という事で、

「文系の学生に関しては、学生時代の勉強を無視する。」

という流れができていた。ただし、一部の法学部系などでは

「法学部の論理能力を生かす。」

という面もあったが、これは例外に近い。

 その後、平成の時代には、

「アメリカ仕込みのMBA(経営学修士)手法を生かす」

という形の、大学教育が即戦力という面が出てきている。簿記などの資格取得も一つの流れだろう。(平成の終わりには、マルクス主義が収まった事も影響している。)

 しかし、もう一歩進めて、

「社会科学をベースにして、社会のシステムを提案する、社会技術や社会工学はないのか?」

という疑問が、まだ残っている。

 この問題に対して、栗本慎一郎が面白い意見を出している。

明治の体制では、大学を作ってから、文部省ができた。法律に関しても、法学校を先に作った。

社会工学などという発想でなく、その場に対応した政策が行われた。

これは本質を突いていると思う。また「社会技術」という本も出ているので、もう少しこの問題を考えていきたい。

«実現のための専門的な智慧の働きについて