ご縁のあった人たち

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2020年7月 4日 (土)

新型コロナ対応の責任ある説明はどうあるべきか

 今回の、新型コロナ対応の政府、学者の説明は何か、個別の話という感じになってまとまっていないように思う。特に学者の説明が個別に出ている。これは、

「専門があるから」

と割り切るべきだろうか?

 そこで、昔読んだ社会学の古典を思い出した。

「理論構築の方法」J.ヘイグ著 小松陽一、野中郁次郎訳

が展開している方法論で、現在の状況を説明できるのではないか?

 例えば、定性的な理論概念とその連結での説明と、特徴抽出を行った、オペレータとその数値的な扱い。グラフの形、特に外の要因が入った時に起こる折れ線グラフ等がある。

 このような説明が現在の状況では大切だと思う。

2020年7月 3日 (金)

医療従事者という言葉の力

 今回のコロナ対応で「医療従事者」という言葉が多く聞くようになった。

 医療の話なら、まずは医師そして看護師を考える人が多いのではないか?しかし、入院中の経験は、医療が多くの人によって支えられている。薬剤師や医療事務、栄養士等の食事提供に係わる多くの人達、病室やベッド等の清掃や維持管理、こうした多くの面を見ないといけない。

 そういう意味で、

    医療従事者への尊敬!

という表現はよいと思う。

2020年7月 2日 (木)

コロナ専門家会議に欠けているもの

 コロナ専門家会議については、いろいろな議論があるが、一つ見えて来たモノがあるので、忘れないよう書いておく。

 私は現在、皮膚科の病気で入院中である。そこで一つのハプニングがあった。同じ病室の患者さんが、立ちくらみでこけて、頭を少しぶつけたらしい。その時、近所で作業していた方が、看護師を呼び、自分が聞いた音の状況等を上手く説明し、協力してベッドに戻していた。その後、当直医も来て、頭を打ったということでCTをとり、

「一応大丈夫だが、放射線科の専門医に読見取りを願う。」

という話になった。

 その後、皮膚科の主治医が様子を見に来た。そこで

「CTの状況は私も確認します。」

と、凛として言い切った。

 読図の専門は放射線科だろう。しかし、その分野に近い専門家は、隣接分野の専門家を評価出来る。これが、ポランニーが言った、専門分野の繋がりでの保証だろう。更に、患者の立場で考えると、信頼感のある主治医の説明が受け入れ安いだろう。こうした安心への配慮ができている。

 さて、コロナ専門家会議は、これができているか?まず、隣接分野の相互評価が、あったか?あってもそれが大衆に伝わっただろうか?も一つ言えば、大衆を信頼させる「主治医」の役割を誰が担っただろうか?

 もっとも、大衆相手は政治の仕事という発想もある。それなら、政治家に対する「主治医」役は誰が担っただろうか?

 このような議論も必要かと思う。

2020年7月 1日 (水)

正しいものは作られたもの

「正しいと言い切れるモノは作られたモノだけである」

この言葉は、社会学の祖と言われている、ウ゛ィーコが、デカルトの厳密なる思考方に対立して言った言葉で、人間の力の限界を示している。確かに、自然界の物事で

「正しい」

と言い切れるだろうか?何らかの不確定要素が存在する。これに対して謙虚な対応を求めた言葉であろう。

 しかし、これは西洋文明の、人間の力を有限とする立場である。仏教の一部では、人間の力を仏の力と同じと見る。

 法界体性智と言うように、「法界」自らの体であり性である。この力で創造し、その責任を取る。これが仏の力だと思う。だから、「正しい」と言い切れる。

2020年6月30日 (火)

専門家会議という組織について

コロナ対応の専門家会議について、色々な議論が出ている。

このblogでは、「専門家」の位置づけについて、色々な切り口があるので、少しお付き合い願いたい。一つ目の議論は、

   「感染症の専門家出ない人が口出しするべきではない」

という論点である。確かに感染症の専門家は、ウイルスの伝搬等にしっかりした論理展開が出来るだろう。但し、今回の問題は社会への影響など医学の範囲すら超えている。そこでは、多様な専門家の議論が必要である。

 確かに

   「原子力の先生が?」

という疑問は出るだろう。

 しかし、

   「統計データの読み取りと、特徴抽出と、一般市民への安心説得」

というなら、原子力の分野はそれなりの蓄積があり専門家といえるだろう。

 さて、ここである大学の先生が、「ポランニーの暗黙知」を持ち出していた。確かに、ポランニーは、近接領域の相互評価の輪で、専門家の会議が成立する、という議論をしている。これを文字通り読むと、「なんで原子力?」となる。

 しかし、ポランニー自体も多様なる活躍をしている。そこでは、科学的な思考スキルの保有者の集団の力を認めており、ここで多様な分野の専門家の会議もあると思う。

 なお、私が現在主として信奉している「日本教」発想では、専門家の発想を多くの人が理解できる可能性を認めている。これが大阪モデルの成功の理由ではないか?

 病院からなのでタブレット利用のカキコミなので乱れたらゴメン!

2020年6月29日 (月)

しばらく更新はお休みです

 いつもこのブログを見ていただきありがとうございます。

 さて、私義

 本日より難病(天疱瘡)治療のため入院することになりました。

病院での更新は難しいと思いますので,しばらく更新はお休みします。(目安一ヶ月)

 とりあえずご挨拶いたします。

 

2020年6月28日 (日)

緊急出版:Kindle版 「日本教的リーダーシップ」

 今まで書いていた、日本教のリーダーシップについて、このたびKindleで出版しました。

https://www.amazon.co.jp/dp/B08BXQDJLD/

日本教の元では、指導者が、全体像を持たないと行けないという議論です。

 今回急いだのは、コロナ対策の話と、東京都知事選に便乗という話もあります。

 なお、もう一つ別の理由として、私が明日より、天疱瘡の治療のため、一ヶ月入院することになったので、それまでに出したかったからです。

 また、来週からはこのブログの更新をしばらくお休みさせていただきます。

 元気で戻ってきますので、それまでお待ちください。

 

2020年6月27日 (土)

ステークホルダーに関する議論

 株主総会シーズンが終わりつつある。そこで、

「会社は誰のモノ」

という議論が、出てくる。前は

「株主最優先」

だったときもあったが、今は、

「従業員、お客様、地域への貢献、株主」

等等を考慮しないといけないという議論になっている。

 これを、MBA等の理論では

「ステークホルダーの利害関係を調整しろ」

という言い方で、関係者を列挙し、利害関係を明らかにし、譲れるモノと譲れないモノを明確にすることで、調整していく。

 一方、我が国には

「売り手よし、買い手よし、世間よしの、三方よし」

という言葉がある。この違いは、氷山モデルの議論の実例となっている。

 確かに理論化するときには、全てを列挙する必要があるだろう。ただし、日本教的な、

「その場を想像した議論」

では、人や社会のイメージで、十分伝わっているように思う。

2020年6月26日 (金)

全体像に関してもう一つの見方

 全体像を描くというと、一般的には

「関連物などを全て載っている図」

をイメージすることが多い。

 しかし、もう一つ別の切り口があるのではと思う。それは、

「具体例から一般概念に至る抽象化過程」

の全体像である。

 これは、一般意味論で言う『抽象の梯子』である。

 規則や法規を作る場合には、このような抽象化の全体像を持つ必要がある。一般的な規則を作っても、それが具体例に展開できないと、実用にならない。逆に、個別の話だけでは規則として記述できない。また、一つの文章に出る概念は、一般化の度合いをそろえる必要がある。このようなスキルの大切さは、規則などを作る経験から解ってくると思う。

 

2020年6月25日 (木)

氷山モデルの『日本教』的な考察

 知識の使い方などで、氷山モデルという例えがよく出てくる。例えば、意識と無意識という議論である。

 しかし、このような氷山の水面下の部分について、私たち『日本教』の信者には、

「何かあるのは解っている」
「何となく感じている」

ことが多い。

 しかし、西洋文明では、

「定義されていないモノは見ない」

と言う発想がある。これは、アルファベットの文字列で考える場合と、漢字仮名交じりのイメージの働く推論の違いだと思う。

 例えば   

   ”line” と 「線」

と言う言葉で考えても、「線」と言う文字には、糸偏の「糸のイメージ」や旁の「泉から水が流れるイメージ」という含みがある。

 こうした意識していない、イメージの働きが、氷山の水面下を思いやる働きに通じていると思う。

 

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