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2008年1月 2日 (水)

kyがはびこる原因

 今時の恐がられている言葉として、「ky=空気が読めない」がある。「おまえはky」と言われたら、仲間はずれにされそうで、これを恐れている人も多い。

 確かに、昔から「場を弁えない人間」は嫌われてきた。例えば、学会の場においても、質問するのはその場の長老各の先生から順番、と言う不文律があり、若輩が質問すると睨まれたものである。もっとも、大会の状況では、質問が出なくて司会者が困り、誰でも良いから質問して欲しいと、すがるような目つきで会場を見渡すことも、特に地方の大会等では見受けられた状況である。そこでも、大先生の意向に逆らうような質問は出来ない。

 さて、これが小学校の教室で行われたら、どのようになるであろう。毎度おなじみの、滝山コミューン一九七四 ではないが、学校で疎外された子供の心は、どれだけキヅツクか、そして教師と教室の『空気』に必死に従うようになってしまう。しかも現在の教育では、『XX障害』と言う教師側の印籠がある。昔は、勉強ができるとよいと言う、一つの逃げがあり、教師よりよく知っている子供の活きる道は、何とか見つけることが出来た。しかし現在は、『高機能性広汎性発達障害等』と言う強力な武器がある。

 例えば、教師の教えていることが、非効率に見える、「インド式計算術」を身につけた子供が、学校に居る場合を考えてみよう。算数の問題演習では、時間が余って仕方がない。しかも先生の間違い等が目に付いてしまう。そこで落ち着きのない行動をしたら、「注意欠陥多動性障害」等と言う、診断が待っている。教師の言うとおりに、おとなしくしない子供に対応する手段が色々ある。

 このような世界で、育った子にとって、空気が読めないのは、「XX障害」の診断を受けるようなものである。

 「そんなの関係ない!」と言いいたい人間が、たくさん居るような気がする。

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