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2008年10月13日 (月)

「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」から(承前)

 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を読んで、自分が考えたことを書いてみたい。この本で『鋼鉄の檻』と訳されている、個人を包む社会の仕組みの効果について述べたい。まず、『檻』という用語は不適切との、荒川氏の指摘に従い、ここでは『殻』として考える。

段階0(前段階)
 宗教改革の前の段階では、禁欲的生活が営まれていたのは、修道院であった。ここでは、世俗と完全隔離する殻がきちんと存在し、修道院の中で生活が営まれていた。

段階1(資本主義の創成期)
 世俗中で、禁欲を実行するため、『資本主義の精神』である、誠実に自分の資本を増加させる人間が出現した。世俗の圧力を守る殻は、このような「勤勉・誠実な生活指針」であった。

段階2(現在)
 現在は、信徒を守っていた『殻』である『資本主義の仕組み』は、いつの間にか膨れ上がり、自動的に人間を囲い込む『社会構造』そのモノになってしまった。そして、『資本主義の精神』はもはや不要になり、人間は自動的にその中に入るようになった。そして、『資本主義の仕組み』の中でも、不誠実な人間が生まれ、手段を選ばぬ営利追求が行われるようになった。

 このように、世俗から信仰を守る『殻』膨れ上がり、社会構造になったのが、今の資本主義社会と思うのだが、独断過ぎるであろうか。

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