プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神について
ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」について、もう少し補足しておく。前の記事では、ヴェーバーの言う『資本主義の精神』について書いたが、ここではその精神が何処から来たかについて、ヴェーバーの論旨に従って書いてみる。
資本主義の精神には、禁欲的な勤勉のエートス(=倫理的な環境)が必要である。プロテスタントの一派、カルヴィニズムの教理では、
「自分が救われているかどうかは、神の元では既に決まっている。」
そのために、信徒は、
「自分の救いを確信するため天職に励む。」
ことで、安心するようになる。また、別の一派、ピューリタンは、
「後期のピューリタンたちは自分の行動ばかりでなく、神の行動を
さえも審査して、生涯のあらゆる出来事のうちに神の指をみた。
彼らは、カルヴァンの真正の教説とは異なって、神がなぜにこの、
あるいはあのように導き給うたかを知ることができたのだった。
こうして生活の聖化は、ほとんど事業経営という性格をさえ
もつものとなりえた。」(p214)
という風に、評価能力まで、信仰の中で見出すようになった。
このような世俗内の禁欲が、萌芽期の資本主義を育てるのに役立つと言うのが、ヴェーバーの論旨である。
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