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2008年12月14日 (日)

忠臣蔵の見方

 年末になると「忠臣蔵」が流行ると言う。赤穂浪士の討ち入りに関し、結構人気がある。

 しかし見方を変えれば、多数の人間が集まって、一人の老人を討つ。これはある種のリンチである。また別の説では、
   「幕府の政治に対する抗議行動としての、討ち入り」
と言う意見もある。

 ここで気になるのは、後者の見解に於ける、「被害者の吉良上野介」の扱いである。幕府政治に対する抗議と言う、大きな目的のためには、
  「吉良上野介の名誉」
等と言う
  「小事は無視しても良い」
発想が見えてくる。

 このように片づけてよいのであろうか。

 この発想は、「沖縄ノート裁判」や「百人斬」論争にも影響しているように思う。

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コメント

正体不明さん、お久しぶりです。

忠臣蔵については、そういう見方もあろうかと思いますが、極めて現代的な視点ですね。

ただ封建時代の正義と、現代の正義を比べることは、若干無理があるように思います。

ただ、戦前までは、確かに封建時代の正義がまかり通っていました。

もし現代が、封建時代の正義を引き摺っているとしたら、正体不明さんの不安もわかるような気がします。


投稿: 流風 | 2008年12月15日 (月) 07時29分

流風さん、お久しぶりです。
忠臣蔵の見方として、私が取り上げた見方は、確かに現代的過ぎます。ただ、そこまで言わないと、浅野匠頭の振る舞いは、まともな武士としては評価できませんね。短刀を使うなら、突きが基本です。そのようなこともできない、情けない主君への忠義とは、可愛そうです。
もっとも、ここで言いたいのは、国家などの大儀を追及する場合には、その担当者など個人の人権は無視しても追求すべきと言う風潮に対する疑問です。

投稿: 正体不明 | 2008年12月15日 (月) 20時53分

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