舞鶴の殺人事件について
舞鶴の女子高生殺人事件に関し、警察の家宅捜査に対して、執行停止の申し立てに対し、最高裁が最終的に棄却を決めた。この申し立てが、
「前に別の容疑で家宅捜査したから」
と言うひどい理由である。
これでは別件捜査をしろといっているようなものである。単に操作の妨害のための執行停止としか考えられない。弁護士の業務でも、やってよいことといけないことを、きちんと区別すべきではないか。少なくとも、世論が納得する理由が必要と思う。
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舞鶴の女子高生殺人事件に関し、警察の家宅捜査に対して、執行停止の申し立てに対し、最高裁が最終的に棄却を決めた。この申し立てが、
「前に別の容疑で家宅捜査したから」
と言うひどい理由である。
これでは別件捜査をしろといっているようなものである。単に操作の妨害のための執行停止としか考えられない。弁護士の業務でも、やってよいことといけないことを、きちんと区別すべきではないか。少なくとも、世論が納得する理由が必要と思う。
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コメント
この手の捜査手法が冤罪の温床となってきたのは周知の事実である。このことを踏まえると,「申し立て」は極めて適切といえよう。
それに,「弁護士の業務」の一つは,被告(の権利)を守るというところにあり,「世論が納得」しようがしまいが,無関係なことである。(そもそも何をもって世論とするのか。世論とは,マスメディアによって形成されたものにしか過ぎず,絶対的なものではない。)
「操作の妨害」(捜査?)というが,いついかなる場合においても,国家権力側(警察)が正しいといえるのか?いついかなる場合においても正しいのであれば,単なる「妨害」であろう。しかし,歴史を振り返れば判ることだが,国家権力は常に正しいとは限らなかった。何をもって,正しいとするかは議論の余地があろうが,少なくとも治安維持の名の下に民衆を抑圧してきたのは事実である。このことを踏まえると,国家権力の行為に批判的な姿勢で臨む(=警察の行為の正当性を検証する)試みは必要ではなかろうか?
マスメディアの煽情的な報道(ショー?)に惑わされ,推測を事実と思い込み,国家権力の行為に無批判であるのみならず,その行為の正当性を批判的に検証せんとする試みを,「世論」などという正体不明な虚構を以てして悪しとする,そう考える人々が少なからず存在することに危惧を抱かざるを得ない。
投稿: 舞鶴 | 2008年12月 7日 (日) 02時09分