強い職場依存は?
今良く言われている、「強い現場」と言う話しに、一つ条件を加えるべきと思う。
それは、「強い幹部がいる上で」である。自分ができないことを、部下に丸投げにしてはいけない。今までも、経営者や管理者が考えるべきことを、改善と言うことで現場に丸投げする例が、散見する。
給与分の仕事をして欲しい。
今良く言われている、「強い現場」と言う話しに、一つ条件を加えるべきと思う。
それは、「強い幹部がいる上で」である。自分ができないことを、部下に丸投げにしてはいけない。今までも、経営者や管理者が考えるべきことを、改善と言うことで現場に丸投げする例が、散見する。
給与分の仕事をして欲しい。
今回の春闘では、ワークシェアの論議が盛んになっている。私は、ワークシェアより"市場開発"や"雇用創出"が大切と思うが、今回の流れは一寸違うように思う。経営者や労組の幹部の一部は、
「ワークシェアと言う名目での給与削減」
を狙っているように思える。確かに、日本の"終身雇用制社員"の給与は、下げにくい仕組みになっている。下げるタイミングは、不況の危機を、外圧として使うことが多い。
さて、社員側の自営手段はどうであろうか。まず、
「自分の給与を世間相場できちんと評価しておく」
ことである。そして、
「自分は会社に対して、これだけ利益を創出し貢献している。」
と自信を持っていえるようになることである。前にも書いたが、新入社員のころから、
「総合職の責任、正社員の責任」
を心がけることが、このような危機に強い心を育てると思う。
しかし、本日のテレビ番組乱を見て、笑ってしまった。(関西地区限定のジョーク)読売テレビのPM0:00~1:55で堂々と
「ハケンの品格」
を再放送している。どんな考えかな?この番組に釣られて、その放送当時に派遣社員になる道を選んだ人もいるのではないか?テレビ局は、どんな気持ちで番組を作っているのだろう?
XXさんに
先日は、材料力学の必要性について書きました。そこで一部書き足りないことがあるので、補足説明をしておきます。
まず、電気系など機械工学科以外の学科で、材料力学を学ぶ意味を明確にしましょう。現在のもの作りは、非常に厳しい設計を行います。そのため電子回路を実装する時に、部品の形状や固定方法などにも、気を配る必要があります。これは、電子回路としての性質以外にも、材料力学的な強度や、放熱への配慮が必要です。このような観点では、ものの壊れ方に関する、定性的な理解が必要です。数式の細かいことより、グラフ表示の曲線の意味を理解することが重要です。教科書で勉強するまでもなく、インターネット情報を検索して、解説を読むのでも良いでしょう。
しかしもう一つの効果もあります。物理学で学んだ力学の話しが、実用と繋がってきます。モーメントなどと言う言葉が、実際のものを壊すことに関わってきます。このように各分野の基礎を実際の応用で確かめる経験は、今後の仕事の進め方、自己啓発の方針としても重要でしょう。
このように勉強の目的をもう一度考えては如何でしょう。
正体不明のおじさんより。
ユークリッド幾何学の証明は、厳密性にかけるという議論がある。それに加えて、何が前提として使えるか、体系的とはいえない順序によっている。例えば以下の例題を考えてみよう。
【例題】三角形の各々の頂点から、対辺の中点に引いた、中線は1点で交わる。
【ユークリッド式の証明】 三角形ABCの3辺BC,CA,ABの中点をそれぞれL,M,Nとし、中線BMとCNの交点をG とする。次に、AとGを結ぶ直線AGの延長線上に、点H をとり、AGはAHの中点となるようにする。この時、三角形ABHで考えると、NGは辺ABと辺AHの中点を結んでいる。従って、中点連結の定理より、辺NG はBHと平行になる。 同様に、辺MGは辺HCに平行になる。この結果、 NG(GC) ∥ BH 、 MG(GB) ∥ CH となり、四辺形BHCGは平行四辺形となる。平行四辺形の対角線は互いに他を2等分するから直線GH(従ってAG)は、辺BCの中点Lを通り、従って中線ALはGを通る 。 【証明終】 この証明では、「中点連結の定理」や「平行四辺形の対角線が互いを2等分する」、と言う性質を使っている。 この秩序は、ユークリッド幾何学の教科書の記載順序による。この順序は、必然的とはいえない。それより、決まったルールに従っていると思った方が良い。 数学は、自由な発想が重要などと言うのは、基礎がきちんとできてからである。勉強している段階では、
「あるルールに従って、問題を解いている」
と考えた方が良い。
資本主義の成立に対して、プロテスタントの倫理が効果的に働いたと言うのは、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の主要主張である。ヴェーバーの主張が正しいとすると、一つ恐い可能性がでてくる。
それは、「自らが神に選ばれたと信じる」選民思想である。
「神に選ばれた自分は、天職に励むことで、自らの救いを確信する。」
これが、ヴェーバーの言う所のプロテスタンティズムの倫理である。
これは、資本主義の成立を良く説明していると思う。しかし、これで恐いと思うことは、選民意識のある人は、『選ばれていない人』に対して、厳しい態度をとるからである。
単に「仕事をしていない」でなく「神に見放された人」は無視されてしまうであろう。
資本主義の成立時には、このように他人のことを無視するぐらいにならないと、力をもてなかったと思う。しかし現在では、困ったものである。
現在の不況、特に雇用状況の悪化は、『小泉・竹中改革の負の遺産』であると言う向きがある。確かに、
「会社法の改正で、簡単に会社ができるようになった。
この結果、経営者としての責任感の薄い会社が出来た。」
という説は、一部派遣会社の現状など見ると説得力がある。
しかし、竹中氏の
「現在の不況は、改革が不十分だったためだ。」
と言う説にも少し納得するものがある。彼らの考えでは、
「アメリカのようにベンチャービジネスを盛んに起こし、そこで雇用を創出する。」
と言うことらしい。そのために会社設立のハードルを下げた発想にも、一つの説得力がある。
但し、政治には現実的なバランスが必要である。今回の不況は、改革とセーフティネットのバランスと言うか優先度の付け間違いと思う。
オバマ大統領の就任演説には、独立戦争からの話しが織り込まれていたと聞く。これはアメリカの原点に戻ると言うことであろうか?
山本七平氏がどこかで、「アメリカも原理主義が強くなるときがある」という予言を書いていた。
確かに、危機に国をまとめるには原理主義が有効と思う。
日本の原理主義は何だろう?変にこだわらないことかな?
XXさんに
先日、大学で学んだことを活かすためには、材料力学(構造力学)の意味を理解しなさい、とお話ししました。残念ですが、それを説明するニュースが伝わってきました。例えばhttp://mainichi.jp/select/today/news/20090124k0000e040052000c.html?inb=yt
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090124-00000032-maip-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090125-00000007-yom-soci
このニュースで、剪段破壊と言う言葉が出ていますね。この意味を理解していますか。材料力学の教科書にはきちんと載っています。ボルトの剪段破壊はどのように起こるか、教科書の記述を見てください。その時数式でなく、直感的な意味を理解してください。特にボルトの太さを変えるとどのようになるか理解してください。特に、半径の何乗に比例/反比例と言うことを押さえてください。
もう一つ理解をして欲しいことは、鉄が破壊する仕組みです。材料力学の最初の方で教わると思いますが、鉄棒を引っ張って破壊する時の、力と鉄棒の伸びの関係のグラフ、応力の集中による、思ったより小さい力での破壊、くり返し荷重による破壊などの話しが、このニュースと関連して想い出してください。
このように、自分の知識でニュースの内容を説明する。これが知識の活かし方です。
それでは、寒くなりますが頑張ってください。
正体不明のおじさんより
日経BP社のページで面白い記事を見つけた。ちくま新書の『山口組概論』に対する書評である。http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090116/182991/?P=1
特に、3代目の田岡組長に対する評価が重要である。まず、
「戦後の仕事にあぶれ、中間搾取にあえぐ非正規雇用労働者に対し、
組織化し待遇改善を実現した」
功績は大きい。最後のコメントである
「確かにいま、非正規労働の現場に三代目・田岡がいたら、
『村』などできなかっただろうに。グッドウィルの折口では
器が小さかったのだろうなあ。本書を読み、そんなことを思った。」
と言う言葉は、重たく感じた。
また歴史と重ねれば、企業舎弟により、
「経済的に安定した武闘集団を実現」
と言う発想は、織田信長の常備軍にも通じると思う。
このような、人物が戦後の日本には多く出たと、改めて思いなおした。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/448006463X/nifty0b5-nif1-22/ref=nosim
現在の大学は多すぎると言う意見を時々見る。私も賛成である。さてここで、気になるのは文部科学省の対応である。文部科学省は、少子化の影響に対し、小学校~高校までは、潰れてもかまわないという姿勢が見えていた。
しかし、大学に関しては大学院重点化と言う逃げ道をとることを、認めてしまっている。この件に関しては、「高学歴ワーキングプア」の考察に、説得力を感じる。
さてここで勘ぐってみると、文部科学省からの天下りは、小学校~高校までと比べて、大学のほうが多いし、格好が良い。
だから大学が保護されたと言うのは勘繰りであろうか?
| 高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書) 著者:水月 昭道 |
学校制度について色々気になることがあるので、忘れないうちに書いておく。まず、モンスター・ペアレントの問題である。確かに、
「昔と比べて、無茶苦茶な要求をする親が多くなった」
のは事実だと思う。そこで、その原因となる『学校制度の問題点』まで踏み込んで、議論したい。まず、モンスター・ペアレントの発生時には、親と教師双方のコミュニケーション・スキル不足で、ことを大きくすることが多い。
この原因を考えると、学校教師の採用状況が一つはあると思う。田中角栄の改革の前には、教師になるのは教育の専門校出身者が多かった。そのような学校は付属校を持っているので、教育実習もきちんと行っていた。そこで、コミュニケーションのスキル不足の学生は、別の道を行くように気付いていた。しかし田中角栄の改革の結果、先生の給与が上ったので、
「いわゆる一流大学の成績優秀者」
が、教師になだれ込むようになった。彼らの教育実習は、多くは母校に戻り、お客様扱いでの実習で難しい目にあわないようにして終わる。そして、教師はいい仕事と言うことで、就職していく。彼らのコミュニケーションスキルは、ペーパーテストの偏差値的評価では、測ることができない。
このようにして、教師側のコミュニケーションスキルの不足が、一つの問題となる。
一方、親の側のコミュニケーション力不足であるが、これも現在の学校教育に大きな責任がある。現在の、国語教育は論理的な会話ができるような仕組みになっていない。どちらかと言うと、文学青年(少女)崩れの心情的反体制教師が、文部科学省の指導要領にしぶしぶ従い、ガイドラインに沿った感情の押し付けを、行っているだけである。つまり一方的な押し付けの教育が、国語教育である。これでは、論理的な会話など生じるわけがない。
さて、もう一つモンスター・ペアレント問題で、
「何でもかんでも学校に押し付けすぎ」
と言う意見がある。これに対して、逆に、
「今までの政策は学校依存を作るようにしたのでは」
「教師の言ううことを全て従うようにしたのでは」
と言う反論があってしかるべきだと思う。学校以外の道徳を親が教えると言うことは、教師の権威を無視する生徒が増えることになる。また現在の高学歴社会では、親が教師の教える内容に不満を持つことも多い。そのような発言をさせないように、できるだけ学校に任せろと、導いてきたのではなかろうか。その結果で生まれたのが、モンスターペアレントではないだろうか。
教師が教育勅語頼みの代わりに、なんらかの権威をもって生徒に接している限り、この問題は起こるように思う。
私が大学で電子回路を学んだのは、40年ほど前だった。そのころは、まだ真空管が残っていて、ようやくトランジスタからICへと言う時代であった。真空管の回路より、トランジスタの回路は不安定で、実回路上でのパラメータを調整することが、必要であった。プリントパターンの作成も経験・勘で行っていた。なお、回路はMHzが高周波と言う感覚で、集中定数回路として扱えば十分であった。
そして半導体技術は急速に進んでいく。演算増幅器(OPアンプ)がアナログ回路の主力になる。OPアンプでは増幅率等の特性は、フィードバック回路で使うRC等の受動素子で決まる。RCは精度が高く取れるし、フィードバック回路の特性は、温度などの影響を受け付けにくくなる。この結果、設計計算どおりの動作ができるようになった。言い換えると学校で学んだとおりの動きが実現する世界となった。
一方、CADシステムの進化は、パターン設計に従来の伝承技術を埋め込んでいる。ここでも机上の設計で、直ぐに動く回路ができてきた。
現在の社会要求は、GHzの回路を要求してきた。ここでは分布定数回路であり、回路の計算が微分方程式の世界になっている。インピーダンスマッチングと言っても、スミスチャートが必要になっている。ここまで来ると、大学で学んだ知識をしっかり使いこなす必要がある。確かにCADシステムはしっかりしているので、要求する回路を作ってくれるかもしれない。しかし回路の意味は、微分方程式に隠されている。
さて、ここまで振り返ったが、現在の技術も、半導体の一部を除けば、大学の4年で学んだ基礎で理解できている。大学の4年間の勉強の重要性を改めて認識した。
大学で学ぶ数学は難しい。しかし、使い方を明確にすると、割合理解しやすいことがある。特に物理学で使用する数学的な関係は、関係付けと思えば比較的容易に理解出来ることも多い。
例えば、三角関数や指数関数は、積分しても無限大に発散しない性質が、色々な所で力を発揮する。考えてみれば、自然現象として存在するものは、無限大に発散するものは難しいだろう。一方小さくなる方も最後には消えるであろう。そうすると変化しないか振動するかしかない。このように考えると、微分方程式の解に指数関数が多く出るのも納得がいくであろう。
このような発想で、数学を見てみると、結構理解が早くなる。
中学・高校の数学教育において、幾何学が出たり入ったりしている。確かにユークリッド幾何学の証明は、どれを前提としどれを結論とするか、恣意的な面がある。そこでは、教師の方針に従順に対応する子が良い成績となる。これは、数学の客観的な性格とは矛盾するものである。このような分野を教えるのは、教師にとっては難しいかもしれない。
しかし教えることが難しいからといって、必要なものを教えないと言うのは間違っている。ただし、必ず全員に理解させないといけないと言うノルマ的なものは、架すべきではないだろう。現在の教育は、ノルマを架しそれができなければ、XX障害と言う言い訳を考えているように見える。
1つのことができなくてもかまわない。特に、出来る子の機会を失うのは、恐いように思う。従って、少しは背伸びがあるのも仕方ないと思う。
オバマ大統領の演説が、皆の心をとらえている。このように人に呼びかけて、動かすのは一つの才能である。残念ながら我が国の政治家は、このように人を動かす力が弱いように思う。特に、国会から内閣には・・・
さてここで、演説や講演において、考えてみたいものがある。それは、マイク&スピーカの功罪である。確かに、多くの人に声を届ける、機械的な増幅機能の力は大きい。しかし、本当に力を伝えるならば、自分の地声でできるだけ伝えるべきであろう。
そのためには、腹式呼吸での発生が必要条件である。腹から声を出すことで、腹が据わってくる。ここから鍛えて欲しいように思う。
現在、派遣社員が契約打ち切りされたりして、仕事場所がなくなっている。この国全体を見て、雇用が冷えていると言う雰囲気が漂っている。但し、これは求人側と求職側のミスマッチが生じているためで、農業や介護などの分野では、人不足になっている。このミスマッチには、求職側の対人スキルの不安なども絡んでいる。
さて、ここで政府ができる雇用対策がもう一つあると思う。それは、自衛隊での求人である。自衛隊は、厳しい組織に見えるかもしれないが、若い隊員を訓練する仕組みは持っている。本質的に軍隊組織は、大部分が教育であるから、人を育てる力は持っている。特に団体規律的な訓練はきちんと行っている。対人スキルも、かなり向上すると思う。体育会系の人材を求める企業関係者は、自衛隊の若年退職者を採用することを考えてはどうか。
さらに、これはあまり知られていないことだと思うが、自衛隊の人事担当者は、自衛隊の中途退職者の就職先に関しては、熱心に活動している。
そのような状況を考えて、政府は2年ぐらいの短期に自衛隊で採用し、その後当人の希望に従って、再度方向を考えさせる道を考えてはどうであろう。
派遣労働者の契約打ち切りや、期間労働者の契約更新の取り止めなど暗いニュースが多い。そこで春闘においては、ワークシェアリングの話しが出ている。また一部のマスコミでは、
「某社は派遣社員の打ち切りを行いながら、年末ボーナスに百万円出した。」
等の論調で、正社員達を含めた会社に対する攻撃がある。
しかし、このように給与が高い人間を単純に責めて、「金を分けろ」と言うだけでよいのであろうか。
私の意見では、まず正社員の総合職・管理職・経営者のすべてに対し、
「もっと生産高と利益を上げる知恵を出せ。」
と言いたい。総合職より上の立場では、市場を開拓し、できるだけ多くの雇用を生み出す、責任があると思う。そのための、高い給与である。だから、
「給与に相当する仕事をしていない」
からとの批判は良いと思う。仕事の中身を評価せずに単純に金額だけで攻めるのは、間違っていると思う。
なぜこの国は、しかるべき地位の人の能力に対し、能力不足ならそうと言えないのだろうか。
今朝の朝日新聞に、
「就職漂流 博士の末は」
と言う特集を行っていた。要旨は、
1.博士取得でも就職率は6割でしかない。
2.この原因は、博士課程在学者を91年度から07年度で2.5倍にしたことによる。
3.しかし、
「専門能力は高いが他分野知識やコミュニケーション能力不足」
で企業が採用しない。
である。
しかし、この議論はまだ突っ込み不足である。上記3の専門能力は、本当に高いのであろうか。本当に世界トップクラスの研究を行えば、色々な人との交流もありその場でも鍛えられるはずである。また昔の博士課程では、査読つきの論文3本を書かないと、博士として認めなかった大学も多かった。そのようにしておけば一つの分野から他の分野を研究する経験があり、他分野の対応もできる素地ができている。
このように、博士の質にまで踏み込んで議論して欲しい。
大体大学が欲しがらない人間を、企業の押し付けると言う発想がおかしいと思う。
| 高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書) 著者:水月 昭道 |
学生の皆さんに、企業に就職したときに得るものを一つ、指摘しておく。それは、成果により認められる体験である。仕事の場では、色々なことが要求される。その要求に応えるたびに、関係者から認められるようになる。
このように他人から認められていることを、意識的・無意識的に感ずることで、心の安定を得る効果は大きなものがある。
学校では、成績と言う一本道であるが、ものづくりの立場では、例え伝言を取り次ぐだけでも、貴重な役割と言うこともある。そのような時、一言のお礼で自分の立場を認識し、成長することもある。
多面的な評価の効果の一つである。
現在の派遣労働者を中心とする雇用の減少は、大きな問題である。そこで、厚労省が色々と動いている。しかし、ここで気になるのは、第一次産業への向きが弱いように感じることである。現在の状況では、食糧の自給率が低くなっているので、休耕田などの復活もあって良いと思う。
その意味で、農水省がもっと指導的な立場を示しても良いのではないか。雇用訓練にも、工業や商業だけでなく、農業の訓練を行う手もあると思う。
パソナが農業に興味を示しているが、行政でも農業に労働力を流す施策があっても良いと思う。
日本の工業の雇用形態は、終身雇用中心だと言われていた。しかし、これは第二次大戦後の形態である。
第二次大戦前には、農業家庭の農閑期の出稼ぎ感覚の、臨時雇い工員は多く存在した。逆に企業の方が、定着率向上の施策を求めていたようである。
さて、ここで戦前の仕組みを、もう少し考えてみたい。まず、農業と言うベースの仕事が、多くの家に存在した。確かに口減らしで、外で稼ぐと言う話しもあるが、基本の労働と言うか雇用があったのは確かである。
更に、もう一つ徴兵制と言う仕組みがある。皆が兵隊生活を経験すると言うことで、団体生活の訓練ができ、一応の対人スキルが訓練できている。こうした仕組みも、非正規雇用を有効活用することに繋がったのではなかろうか。
しかし、現在の雇用問題では、もう一度、農業による雇用活性化を、考えても良いのではないか。過疎地の再開発も良いと思う。
製造業にたいする派遣労働者の禁止が、色々な所で叫ばれている。確かに、問題のある派遣労働形態がある。特に派遣先に宿泊施設まで依存するのは、おかしいと思う。派遣を認める場合には、派遣元の会社に、きちんと雇用責任が取れるような仕組みが、できていないと、単なる人入れ屋のピンはね機構になってしまう。
しかし、現在の派遣労働者を、全て派遣先で雇用しろ、と言う議論も問題がある。一つのパターンとして、中小企業で、技術・技能の指導力が弱い場合に、大きな会社に派遣して技術指導してもらう形態は、小さな会社を育てる手段としても必要であろう。派遣時に他所の会社の技術や管理方式を学ぶのも参考になると思う。
また、産業経営を長期的視点で見てみよう。現在の経営環境は、安定成長であり、大規模な成長は望めない。そこで、これから先に新規機械化での省力化が可能になっても、仕事が減るだけになる。その場合、正規雇用者を多く抱えると、経営が成り立たなくなる。
そのため、非正規雇用者の活用か外部発注も、どうしても必要になってくる。
ただし、現在の社会は、正規雇用を中心に考えている面が多いように思う。例えば、社員教育などで個人が得るものも多い。これが、正規雇用と非正規雇用者の間で差が付く一つの要因になる。このため、社会的に対応を考える必要がある。なお、一部の良心的な派遣会社は、社員教育をきちんと行っていることを付記しておく。
今の世の中は、よく不平等といわれている。しかし、公平と平等をもう一度考え直して欲しい。正当な評価の上で判定するのが、公平である。本人の能力と努力に応じた公平な評価は、一つの正義である。
しかし、今の世の中はどちらかと言うと、平等を求めているように思う。
確かに、機会を与える時は、平等でないといけないと思う。しかし、能力差がある場合まで、平等でないといけないのか?公平のほうが重要だと思う。
先日テレビで見たが、地方議会が一部では活性化しているらしい。これは、従来の議会がひどすぎると言うことかもしれない。何しろ、首長からの反問を許さない議会答弁(?)がまかり通っていたらしい。これでは、一方的な陳情で、バラマキ政治になるのは当たり前と思う。
そういう意味で、議会の方も地方の運営に関して責任を持つ意識が出たのは喜ばしい。そこで、議員さんたちも勉強しているらしい。
さてここで、プロの政治家になるには、どのような能力が必要か考えてみた。一般的な、経営学/経済学の知識は欲しいと思う、法律に関する知識も欲しい。しかし、一番大切なのは、対話のスキル・答弁のスキルではないか?
テレビに出ている国会議員さん達でも、人のしゃべっている最中にわめき散らす、裂いてのマナーの人も多い。更に、相手の意見に対し適確な受け答えになっているのは、もっと少ない。これから治して欲しいと思う。
しかし、政治学の勉強をしたから、良い政治家になるとは限らない。宮崎県知事は、政治学の勉強をするほど政治に熱意があったから現在がある。政治学の勉強だけで、現在があるのではないと思う。
今の社会的混乱の一原因は、理論的な学問の結果が、かなり現実に適合していることにあると思う。アメリカの金融工学も、物理学や数学の応用で、市場が予測できたと思い込んでできたようなものである。工学的ものづくりでは、パソコン上のシミュレーションでかなり精度良く予測でき、「それでも現場の知恵がいる」と言う議論がでている。
これが社会科学的な分野にまで、広がっているような気がする。経営学しかり、官僚の体制つくりも同様である。しかも、それを一般的に認めているのが、一番の問題である。何でもかんでもお上に任せる「パターナリズム」的な発想が、これと結びついている。しかし現実と理論の齟齬が生じる。そこで、政府が悪いと言う議論が生じている。
しかし、現実は多様に変化するものであり、理論はその一面を切り取ったものである。1898年にアメリカの哲学者C.S.パースが講演したは、「医学にしろ工学にしろ現実対応の技術が先行し、科学的理論がそれを説明し深めていく。」と言う主旨の発言がある。現実の複雑さに対し、柔軟に対応していく。特にそれを、色々な立場で行うことが忘れられているように思う。
現在の派遣労働者の問題にしても、2005年に会社法が改正されて、会社設立が簡単にできるようになった。これは、競争社会の原理を導入することで、経済活動を活性化しようとする発想である。確かに、理論的にはその面での効果はある。しかし、競争第一主義の会社を乱立させて、社員の生活にたいする責任を持たない人間が、経営者になることを許すと言う弊害が出ている。この対策ができていないのが現状だと思う。
大阪の橋下知事の発言で、特に目に付くものが
「皆さんに選んで貰った。皆さんの支持が頼り。」
と言うものがある。これは、重い話しだと思う。民主主義の基本である。
例えば、阪神大震災のとき、兵庫県知事と首相の災害救助出動要請が遅れて、多くの死者が出た。その時、自衛隊が独自判断で動くべきと言う議論がある。しかし、
「このような首長を選んだのは、皆の判断、その責任は皆で取るべき」
と言う議論もある。
ただし、今までは首長は、
「選ばれた後は威張りまくっている。」
「自分で選んだと言う認識がない」
と言う感覚で、皆から離れている感じがする。
これを、取り戻すのは、橋下知事のようなまともな知事を増やすのが大切ではないか?
近頃の新聞記事などで、気になる問題がある。派遣先に雇用期間内に解雇されたという記述である。この記述には、どこか抜けているものがある。
まず、派遣社員は、派遣元の社員である。そして、派遣先の会社は、派遣元の会社と契約を結んでいるはずである。従って、解雇と言う話しが、派遣先の会社から、派遣されている人に直接伝わるのはどこか間違っている。
正しく流れたとしたら、派遣先の会社と派遣元の会社で、「何時から何時まで何人」と言う契約がある。そして、派遣元の会社と派遣社員の間で、「何時から何時まで雇用」との契約があるはず。
そこで、今回の途中契約解除だが、上記の何処で行われたのだろうか?派遣先の会社と派遣元の会社の間で、「何時までと言っていたが、景気変動でXXまでに変更してくれ」と言う話しがあったのかもしれない。その場合は、会社対会社で違約金の交渉を行うべきである。次に、派遣元会社から、派遣されている社員に解雇の話しがあった場合である。この場合は、雇用関係にあった会社と被雇用者の間の、契約解除の違約金の話になる。
どちらの場合も、派遣社員の方々が、交渉する相手は、派遣先でなく派遣元の会社である。特に会社対会社で違約金をせしめた派遣元会社が、「仕事を失った社員にそれなりの違約金を払わないなど」と言うことがあってはならないと思う。マスコミもそのようなことがないようにきちんと監視して欲しい。単に大企業を叩けばよいと言う話しではないと思う。
「日本の戦いは、裏切りで決まる。」これは、西洋人が見たら、変に見えるらしい。確かに、源平合戦、足利尊氏の勝利、関が原の戦い、明治維新の徳川幕府の対応のどれにも、負け側からの裏切りが発生している。これを勝った側の議論で言うと、
「無駄な戦いを止めて、多くの命を救った。」
「私心を捨てて、大義に殉じた。」
と言うことになるらしい。
これを歴史的に遡ると、聖徳太子の十七条の憲法に原点がある。
一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。
十七曰。夫事不可独断。必與衆宜論。少事是輕。不可必衆。唯逮論大事。若疑有失。故與衆相辨。辞則得理。
つまり、「皆で話し合って決めなさい。」と言う思想である。
従って、戦う時も相手と話し合う。そしてそれが不調になっても、その部下や同盟者と話し合う。それが、成立すると、まけた側にとって「裏切り」と言うことになる。
ある意味話し合い、絶対主義である。しかしこれは、異民族の生存競争での、殲滅戦には通用しない考えである。
「日本の常識は世界の非常識」
このような厳しい世界があるということは、認識すべきであろう。
昔からあるジョークとして、
「法隆寺は誰が作ったの?」
「大工さん」
と言うパターンがある。特に、一部(日本の戦後特有の)マルクス主義史観では、
「『聖徳太子』等の特権階級の功績より、実際に労働した『大工さん』を称えるべき」
と言う歴史観があるように見受ける。
しかし、その時代に「大工」と言う職業は、成立していたのであろうか。ものづくりのプロフェッショナル集団として、大工と言う職業が本当に成立するためには、ある程度の貨幣経済が成立していないと難しいのではなかろうか?
このような議論ができていない状況で、「大工さん」が作ったと言うのはないだろう。
さてここでもう一つ面白い話がある。実は、
「聖徳太子は大工の神様」
なのである。あの時代の物作りは、当時としては高度な技術も必要であり、聖徳太子や弘法大師が”神様的”に指導したことは十分考えられる。
特に、ゼネコンなどと言う言葉もあるように、土木建築の世界では、多数の職人が協力する必要がある。その中で、「和を持って貴しとなす」発想は重要であろう。
麻雀等の不確定性を含むゲームへの対応を考えてみた。まず、個別ルールを使って、読むという方法がある。一番確実なルールは、同じ牌が4枚しかないと言うことから、残りの牌を予想する手法である。このような、個別情報を組み合わせる”読み”がある。
一方、確率的な考えもある。例えば、残枚数が8枚の両面待ちは望ましいと言う発想である。
しかし、これらを総合化した、局面の意味、自分の立場の意味として把握する方法がある。
意味と言う言葉は、大きな力があると思う。
何処で呼んだか、記憶が薄れてしまったが、
「杉田玄白らが解剖に立ち会ったときの内臓の状況は、
蘭書ターヘルアナトミアの図のとおりではない。」
との意見を見たことがある。
確かに解剖学の教科書どおりの内臓など、完全に一致することは、まずないだろう。しかし、これは現在の写真やビデオ画像に慣れているわれわれの感想である。当時の写実と言えば、浮世絵のレベルである。写楽の役者絵はわれわれの感触では、デフォルメの塊である。しかし当時の人には、十分写実であったのであろう。また、春画の男性器は、太腿より太い。しかしこれも当時の人にとっては、十分納得のいく表現であった。
これを考えると、「解剖図」も十分写実的に見えたと思う。
相手の立場を良く思いやる大切さがここにもある。
何箇所のホームページなどで見た情報から、企業が求める人材の姿をまとめてみた。
1.精神的なタフさ
言い換えると討たれ強さ。失敗しても、反省の上次の改善に繋げることができる。
2.自己改善能力
特に自分の潜在能力を、自力で引き出せる能力がある。現状に甘んぜず、継続して向上する。
3.対人スキル
同僚や先輩との間で、問題を起こさない。特に他人の言うことを理解し、自分の意見を明確に述べることが出来ること。
4.基礎知識
業務遂行に必要な基礎知識が身についていること。応用知識は会社が教えるが、基礎知識は必要条件である。
5.スピード
特に期限を守ること、そして常に効率改善を考えることが大切である。迷うよりは決断することも大切である。
関西の景気回復について、一つ明るいものが見えた。阪急西宮ガーデンズの開幕である。新しい、ショッピングセンターと言うふれこみである。店の配置などに、色々な配慮が伺える。
ここで重要なのは、阪急がこの時期にコンセプトを打ち出したことである。阪急の創始者である、小林一三翁は、戦後の経済復旧に心を砕いたことで、有名である。一方その跡を継いだ、米三社長は、宝塚歌劇と阪急ブレーブスに、大きな力を入れた。ブレーブスのリーグ初優勝の時、オーナーの小林米三阪急社長と監督が、バックネットの金網越しに喜び合ったと言う伝説もある。
さて、その阪急ブレーブスの根拠地が、西宮球場であった。その阪急ブレーブスを、オリックスに売ったのも、阪急である。
『経営に聖域なし』
した判断は素晴らしい。
その西宮球場の跡地に今回ガーデンパレスが開幕した。阪急が新しいコンセプトを打ち出し、経済を牽引してくれることを期待したい。
近頃の風潮として、何事にも完全なものを求めすぎているように思う。しかし、新しいものは何らかのトラブルがある。また未知のものとの対応では、部分的な成功を積み重ねで、正解に至ることも多い。また自己能力の開発においても、部分的な能力開発の積み重ねが必要である。
しかし、学校的なある種の”理想化社会”では、正解が存在する。つまり完全な答えがある。そのような発想の人間は、完全でないものを捨ててしまう可能性がある。
実世界で生きていくためには、中間的な成果を見出し育てることが重要である。
「若い人たちに創造性がない」、「改善ができない」と言う前に、中間成果を見出して育てていない指導者がいないか。一方若い人たちも完全を求めて、自分の成果を壊していないかもしれない。「人のことを思いやる想像力がない。」と言う状況も、テレビ画面のように見える形で、完全なイメージができないと、「想像でない」と思い込んでいるのではなかろうか?
技術者には、他人の技術力を、判定する必要が生じる場合が多くある。この仕事はなかなか難しい。例えば、その人の経歴などで、立派な学校を出ていても、あまり理解してなかったりする。また業務経験でも、自分で主要課題を解決した場合と、人任せにしていたり、指示待ちの担当だったりすると、本当に技術があるかわからない。
そこで試験でもするか、との話になる。しかしこれも、試験だけできる。仕事は出来ないという人もいる。この理由は、試験の作り方にもよる。多数の問題で、知識を問う試験では、理解の深みを確認するのは難しい。
私が試験するなら、古典的な教科書の中で、一番大切な文を説明させるのが面白い。その文を選ぶことから勝負は始まっている。例えば、コンピュータ・プログラムの世界なら、K&Rの「プログラミング言語c」のP129 にある
while(*s++ = *t++)
;
の一文を説明させたい。
![]() |
イノセント・ゲリラの祝祭 著者:海堂 尊 |
「イノセント・ゲリラの祝祭」を読んだ。確かに面白い本である。しかし、何となく納得できないものが残った。それは、この本に書かれている、高級官僚たちの姿が、余りにもひどいように感じる。確かに、フィクションと断っているが、実際モデルは厚生労働省と警察庁と容易にわかる。そこで、高級官僚たちは、「創造的な仕事をしていない」と決め付けるような記述は、一般読者・特にこれから就職を考える若い子世代に、悪い影響を与えるように思う。
確かに、年金問題など厚生労働省など官庁には、腹の立つことも多い。しかし、官僚には、前例墨守のような一面と、創造的な仕事で自分の足跡を残す、両面の欲求があることの記述が抜けている。また、この小説の中で、書いている「北の事件」に関しては、「福島県立大野病院事件」をモデルにしたのが見え見えである。これが警察官僚の陰謀と、におわすのは、世論誘導のように思う。
さて、そこでこの本に対して、中和剤の1冊を紹介しておこう。上記で腹を立てた警察関係のお方など、すっきりするのではなかろうか。(もっと腹が立っても知りません。)
![]() |
ネットで暴走する医師たち 著者:鳥集徹 |
この休みに、論理的思考に関してもう一度考えてみた。特に、アメリカの哲学者(?)C.S.パースの考え方が参考になった。パースに関しては、琉球大学でご活躍されていた、米盛裕二先生の1981年の著作「パースの記号学」が、『仮説思考=アブダクション』と言う概念と供に、日本で一つのブームを引き起こしたと思う。
今回は、岩波文庫の「連続性の哲学」を読み直すことで、パースの主張の一部が解かったように思う。この本の第二章「論理学の第一規則」は、
「数学の計算方法のなかには、黙っていても誤りを
自分で正すという面白い性格をもった方法がいくつかある。」
と言う書き出しで始まっている。
この指摘は、面白いと思う。パースは、人の思考は記号であり、常に前提になる情報を選択する必要がある。言い換えると、「謬る可能性が常にある。」と言う発想である。
そこで重要なことは、推論においても、「丈夫で安定なものが必要」と言う発想である。このため、計算途中で自動修正と言う発言が出てくる。もっと乱暴に言うと、「科学法則は、比較的安定した法則を見出す。」と言う考えである。この考えでは、
「論理的と言っても、安定した概念・法則で、記述する。」
と言う観点が出てくる。
しかし、コンピュータで計算すると、不安定なものも計算できるようになる。この点については別途詳しく論じたい。
![]() |
連続性の哲学 (岩波文庫) 著者:パース |
なお、米盛裕二先生は、2008年3月19日にご逝去されたと聞く。ご冥福をお祈りしたいとともに、最後の著作である、「アブダクションー仮説と発見の論理」を、一度読んでみたい。
![]() |
アブダクション―仮説と発見の論理 著者:米盛 裕二 |
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
就職内定を得た大学生及び院生の皆さんに、あと3ヶ月を切った学生生活で、もう一度見直して欲しいものがある。まず一つは、総合職と言う重みである。自分が総合職で採用されたのは、何故か?これをきちんと考えて欲しい。特に入社後の訓練をきちんとする会社でも、30,40の年代での再教育まで、面倒見てくれる例は少ない。
しかし、そのような将来に力を出してもらうために、継続雇用の正社員で採用しているのである。そのためには、将来は自分で力をつけていく。そのような底力があると考えて、総合職で採用している。それに応えないと、それこそ将来は、リストラ要員になってしまう。
さて、30歳、40歳の仕事はどのようになるであろうか。年をとると仕事の幅は広がってくる。関連業務との調整も必要になる。新技術との対応も必要になる。このような時、学生時代に勉強していた、幅広い基礎知識が必要になる。新技術は勉強しないといけない。しかし、基礎がしっかりしていると、勉強の時間は短くなる。したがって、大学の学部1~4年の基礎的な教科書を、もう一度見直しておくことは大切である。細部の証明より、説明できるように意味を理解して欲しい。
更に、連成シミュレーションに対応するように、自分の関連分野の意味を知る能力を重要である。
また、基礎として、速読の訓練は重要である。会社では、メールを含めて多くの文書と付き合うことになる。早く読み判断することで、時間は有効活用できる。
このような訓練を、残された3ヶ月で行えば、将来20~30年先に得るものは大きいと思う。
「内閣人事局」と言う組織を作って、官僚の人事を内閣が抑える方向を、打ち出しているらしい。これは、行政を実際に動かしている、官僚世界に政治の側から、大きく影響を与えると言う動きになる。
このメリットとデメリットを考えてみた。まずメリットは、
「選挙で明らかになった民意の反映」
「失敗した施策に対する明快な判定ができる」
と言う点にあるだろう。一方デメリットは、
「行政の継続性、大局観が失われる危険性がある」
「政治の利権に振り回されるバラマキ行政になる」
と言うところであろう。
考えてみると、国家官僚には、優秀な人材を公務員試験で選別している。彼らの判断に任せれば、この国は上手くいくであろうというのが、今までの発想であった。言い換えると、
「お上に任せる」
考えである。
しかし現在の状況では、官僚制度が変化についていけないように感じる。そのような状況では、方向性はきちんと、
「選挙で見えた民意に従う」
ことも大切だと思う。
もし仮に、選挙の結果で、「変な国会と内閣」を生んでも、それも国民のレベル低下の責任である。
これは、防衛省のシビリアンコントロールと同じで、「選挙の選抜」を受けていない官僚が最後まで判断するのは、おかしいと思う。
テレビをつけると、駅伝やサッカー、ラグビーなどスポーツの放送が目に付く。昔から、体育会系の学生は就職に有利とされていた。そこで、そのような学生を採用する側の意見を拾ってみると以下のようになる。
1.体力・気力が充実していて、困難な仕事にも耐える。
2.上意下達で言うことを良く聞く。
ここで、1.の『困難に耐える』と言う特性は、重要だと思う。特に、
「自分の能力の壁を超えた」
「自分の潜在力に目覚め不可能を可能にした」
経験は、今後の仕事の上でも活きると思う。このように自分を伸ばす人財を求めるのは正しい。
しかし問題は、2.である。総合職として採用する場合に、
「上の言うことを良く聞く」
だけでは、困ったことになる。自分の意見を持って考える。状況に応じて判断する。そしてそれを皆に説明し、受け入れさせる能力が必要になる。この能力を求めないで、総合職として採用するのはおかしい。
なお、日本海軍の参謀は、「教科書どおりの潜水艦の配置」を、潜水艦の艦長に厳命指令したため、アメリカ軍に、
「本来秘匿されるべき潜水艦配置が、解かり易くて
日本軍の潜水艦を狩りは楽であった」
とバカにされた歴史がある。
教科書どおり、上司の命令に機械的服従の総合職に仕事をさせるなら、この海軍参謀と、あまり進化していないように思う。
新年を迎えて、テレビを見ていたら、富士山で修験道の行者さんの様子が、放映されていた。修験道は、明治維新後の廃仏毀釈で大きく力を削がれてしまった。その結果、神道自体も、力を失ってしまったと感じる。
古神道の力は、神仏習合の力が大きく働いていたことは、多くの識者が指摘している。しかしもう一つ、隠されたものとして、陰陽道を経由した道教の影響も指摘しておきたい。そのような部分は、多くは修験道に入り込んでいた。それを、神仏分離で壊したのが、明治以降の新神道である。
そう思っていたときに、修験道を新年に見ることをできたのは、今年の幸先が良い。洋風文明から、もう一度「古来日本のよさをみなすべき」と言う辻占と感じてしまった。
今年は、欧米に振り回せない、良い年になって欲しい。
最近のコメント