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2009年7月31日 (金)

高等学校と大学の連携について

 関西の私立高校が、学生集めの作戦として、有名私立大学との提携で、進学が容易になるとPRしたが、思ったより効果がないという言う記事を見た。http://www.asahi.com/edu/news/OSK200907300025.html

 この記事を見て思うのが、学校側の考えの甘さである。例えば、関西学院大学と提携している啓明学院高校の例では、

 受験生の中学時代の成績を、9教科の5段階評価で計37以上を受験資格にするなど基準を高く設けすぎたことが低迷の原因と、入試担当者は分析。「それだけの学力があれば、難関公立高から、国公立大を狙った方が学費も安く済むと判断する保護者が多かったのでは」とみる。しかし、生徒のレベルにはこだわり、受験資格を変えるつもりはないという。

と言っている。これには、まず高校の付加価値が見えていない。

「中学の成績が、少しぐらい悪くとも、高校での指導で学力を伸ばし、志望大学に入れるようにします。」

ぐらいは言って欲しい。または、切り口を変えて、

「大学受験の負荷がないだけ、高校時代にクラブ活動などを充実させています。人間性豊かな人生設計のためにも、思春期の大切な時期を、当校で過ごしてください。」

等と言うのも良いかもしれない。なお、

「中学・高校から提携大学の進学者には、受験勉強で苦労していない。」

と言う見方もある。これは、就職活動で不利になることもある。このことについては、就活シミュレーション(5ページ下から1/3ぐらいの会話)http://homepage3.nifty.com/manabizz/shuukatu.pdfも見て欲しい。

 このような発想は、お客様の立場を重んじる企業人の発想でしかないのかな?

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弁護士の業務について

 NHKのテレビドラマで、行政書士が法律相談に応じているのは、越権行為と訴えたと言うニュースがあった。http://www.asahi.com/culture/update/0729/OSK200907290086.html他多数のHPに掲載あり。

 弁護士会も、NHKに喧嘩を売る前に、講談社に喧嘩すべきと思うが、とりあえずクレームを出した意味を考えてみたい。http://morningmanga.com/lineup/29講談社へのクレームに関しては、講談社からの顧問料金を貰っている弁護士達からの政治圧力か、左翼系の論壇への恐怖からかは、不明確なので今回の議論から外しておく。

 従来の法律関係の業務では、弁護士・司法書士・行政書士の階層構造が、暗黙裡に構成されており、裁判の絡むような仕事や、会社の顧問などは、弁護士先生の仕事、巷の示談などの相談は、まず行政書士に気軽に相談と言う、棲み分けがあった。この棲み分けを崩し、示談交渉で、大儲けした一人は、現大阪府知事らしい。

 しかし、アメリカの圧力も感じられる先般からの司法制度改革で、弁護士の数を多くすることが決まると、弁護士業務をきちんと確保することが必要になり、今回の苦情になったのではと思う。この話しは、法律の条文どおりに解釈すれば、弁護士会の有利な結果であろう。ただし、従来この仕事で生きてきた、行政書士たちのことも考えてやらないと、新たな社会不安の材料になるのかと思う。戦後、GHQの指導で、助産婦による分娩ができなくなってしまい、現在の産婦人科の危機的状況を招いたことと、何か似ている感じがする。

 確かに、立場の曖昧な行政書士の書いた『内容証明文書』を振りかざし、法的権利のあるような行動をするやからもいるが、是々非々の対応が必要かと思う。

http://www.gyosei.or.jp/introduction/

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2009年7月30日 (木)

ネット社会の力と限界

 一つ問題です。

「ある事務所の所属タレントが、社長の知り合いの国会議員立候補予定者と切りで対談した。しかもその後、当人に無断でその写真を、選挙区中に張り出された。その結果、当のタレントは、政治関与と言うことで仕事を干された。」

このような状況での対応は、どうなるでしょう。従来の発想なら、

「文書にて抗議する。その写しは、マスコミに公開する。」・・・過激派

「社長の顔があり泣き寝入り。」・・・穏健派

と言うような対応が、多かったのではないでしょうか。しかし、今回類似の状況で、新しいパターンが発生しました。それは、

「自分のブログに見解を載せる。」

です。これは、公式文書やマスコミなどの手間を書けずに、個人としての即時反論の機会が、インターネット社会ではあるということです。ネット上の意見表明や、議論は過激になりやすい、一方的になりやすいなどの欠点もありますが、名誉毀損や肖像権の侵害など速やかに対処した方が、被害を最小化で切る場合には有効と思います。また、政治家などの、権力を持った相手に対し、ネット上で一般の支援を得ることも、有効な手段でしょう。

 ただし、今回の発端は、あるスポーツ紙の記事です。そういう意味では、マスコミが取り上げると言う意味で、マスコミの権力もまだ残っているように思います。

発端の新聞記事

http://www.sanspo.com/shakai/news/090730/sha0907300507007-n1.htm

眞鍋かをりさんの意見表明

http://manabekawori.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-51ab.html#trackback

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道州制のもう一つの意味(政治家訓練)

 自民党のマニュフェスト案に、道州制の記述があるらしい。道州制に関しては、色々な議論があると思うが、一つ政治家の訓練としても、道州制の効果も考えてみたい。但し、これは、道州制の首長が、選挙で選ばれると言う条件である。

 現在の総理大臣は、衆議院議員から選ばれる。この場合、地元の指示がまず必要条件となっている。本質的に衆議院は、庶民の意見を国会に反映させる場である。従って、我田引鉄(地元に強引に鉄道を引く)な、地元の利権誘導的な要素も、あって不思議はない。

 しかし、国政の舵取りは、大局観が重要である。例えば、アメリカの場合には、大統領は地元代表的要素の少ない、上院議員から出てくることが多い。このように直接選挙で選ばれて、政治家としての能力に関し、信任を獲た政治家は、強い政策を打ち出すことができる。例えば、大阪の橋下知事がその例であろう。

 これを道州制で、より大きな地域で政治家として訓練をすれば、総理大臣としてもっと良い人材を得るのではないか。

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衆愚政治にするのはリーダーの無能が原因

 日経BP社のIT関連コラムに、「社内民主主義との戦い」に関連する項目が載っていた。この内容を見ると、「社内民主主義」とは、新しい設備を導入して、作業の合理化・効率化を図りたいが、現場の意見が既存システムを変える事に抵抗しているので、進まないと言うことである。http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090708/333462/?ST=biz_kaikakuの5,6回目の記事。
    

 既存のシステムに執着し、自分たちの局所的な仕事のしやすさのみ追求する、このような状況は、衆愚政治と言うべきかもしれない。しかし、現場の人間は、新権威今の業務の効率化を図っているのである。この場合責められるべきは、その現場を経営責任を持ってみる、リーダーの立場であろう。経営的と言うからには、大所からの観点で、効率化を図るべきであるし、戦略的な動きのためには、一時の現場の混乱や不便は、耐えないといけない。

 このような指導は、経営層には必要なことである。また総合職と言う立場は、このような大局的改善について、提言すべきであり、その時の現場の一時的な不具合についても、正当に評価しないといけない。これができずに、『現場力』などと言っているから、抜本的改革ができなくなる。派遣社員のほうが仕事ができる、彼らの声を尊重しないといけない。これは一面では正しいが、彼らには局所的な最適化しか要求できない。全般を見て、大局的に判断する、経営センスをもつ人間が本当に必要なのである。ただし、MBAの教材ばかり持ち歩く、世間知らずは、もっと困ったことだ。

 こうして考えると、衆愚政治と言うのは、リーダーがするべきことをせず、部分の声に振り回され、補助金をばら撒いている、現在の政治にも通じる話と、思ってしまった。なお、政治に関しては、本当の政治家を育てる仕組みが、この国には弱いと思う。まだ経営者育成のほうが、ましだと思う。

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2009年7月29日 (水)

就職試験での小論文の役割

 就職試験の小論文は、大学入試の小論文と、微妙に違っている。大学入試では、論理性や基本知識を重視して評価するが、就職試験では、考え方や姿勢に注目して、評価することも多い。

 従って、就職試験の小論文では、
   「自分の問題として捉えて、自分が何をする。」
と言う姿勢を示すことが大切である。

 しかし、論理的な考え方が確りしていること、常識があると言う必要条件は、満たしておく必要がある。さらに、独創的な発想と言う、魅力要素もあれば、もっと良い。

 このような面まで考えると、大学2~3年生の就職活動では、大学入試の小論文の参考書を、もう一度引き出して、主要テーマの論述練習を行っておくことも有効であろう。さらに、学校向けの解答に、社会人として自分なら~~すると言う意思表示を加えれば、もっと良い。

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小論文について

 就職試験で小論文を書く場合には、少しは自分の専門の味を出して欲しい。例えば、『サマータイム制度の導入』と言うこと論述する場合を考えてみよう。

 まず法学系の学科なら、人間の権利として何があるか、それからどのような具体施策が展開するか等の論理性が見たい。一方経済系の学科なら、この施策による経済効果を、広く考えて欲しい。また文化科学なら、人間の行動に関して議論して欲しいし、理系の人間は、エネルギーの節約で議論して欲しい。

 このように学生時代の専門で、思考の基本的な道具をきちんと身につけておき、それを実際の成果で示して欲しい。くれぐれも、模範解答の丸写しをしないようにして欲しい。

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2009年7月28日 (火)

就職活動のために

 就活において、総合職の意味を考えてみた。総合職たるもの、言われたことだけを行っているのでは、その値打ちがないと思う。しかし、命じられたことに素直に従わない、スキルの訓練をきちんと行わない、と言うことも困ったことである。

 例えば、私がよく指導するのは、
   「毎日800文字を手書きする訓練をしなさい。」
と言うものがある。この時とりあえずは、何でも良いから毎日800字を書くことが大切である。これを3ヶ月も続ければ、手の力が訓練されて、書くことが苦にならなくなる。

 しかしこれが、3ヵ月後も続くのも困ったことである。そこから、何を書くということについて、もう一度考えて欲しい。手書きの訓練の次は、小論文としていかに内容のあるモノを書くか悩んで欲しい。

 このような状況を、例によって小説でシミュレーションしてみた。http://homepage3.nifty.com/manabizz/sakusaku/Bunshoryoku.htm

 就活全般のページも参考にしてください。

http://homepage3.nifty.com/manabizz/sakusaku/3_1.htm

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数学の勉強について

 数学の勉強を行うことは、2つの目標がある。一つは、論理的な思考法を身に付けることである。もう一つは、実際の場面で使うことである。これらの能力は、他の分野と関連している。論理的思考力は、国語の能力と密接に関連している。更に哲学や、社会学とも関連している。一方、実際の場面で使うには、物理学とその応用や、統計学を利用して、社会科学への応用などがある。

 さて現在の数学教育は、どちらを考えているのであろうか。特に、文系の学生に対する数学教育の意味づけが弱いように思う。多変数の方程式を扱う代数学と、統計学は実用的に有効だと思う。また、微分積分など難しく言うのではなく、

「積分すれば、細部の影響が弱くなる。その応用として、複数の投資先に分散して投資すれば、倒産のリスクの影響が少なくなり、結果として成果を得ることができる。これが、金融工学の一つの手段である。」

などと言えば、もっと興味を持って、勉強すると思う。

 一方、論理的思考を教えておく必要もあると思うが、数学と科学哲学の関連まで考えて教えるには、教える側の力が重要だと思う。本来このレベルは、整数論で教えるのが効果的だと思う。高木先生の本がよいと思うが、使いこなせる人は何人いるだろうか。

 このように、専門外の学生の教養教育は重大な使命があるが、少しないがしろになっていると思う。

初等整数論講義 第2版 初等整数論講義 第2版

著者:高木 貞治
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2009年7月27日 (月)

対人能力の不足は何処の責任か?

 本日の朝日新聞の文化欄に、今月の注目論文とその解説が載っている。橋本努北海道大准教授のコメントしか見ていないが、以下に注目した。

「どうも雇用の現場から排除された人々はコミュニケーション能力が不足気味で、抵抗の社会運動よりもメンタルヘルスを求めているではないか」

この意見に同意する向きも多いと思う。

 さてここで、成人のコミュニケーション能力不足について、もう少し考えてみたい。まず、
  「今回言われている、コミュニケーション能力不足は、本当か?」
と言う議論をすべきであろう。これは、問題提起している人達が、いわゆる知識人で、"論理的"と称する人種であることを考慮し、
  「彼らの基準で低い」
と言っているだけかもしれない可能性を、排除できないからである。全共闘世代の活動家に追及された経験のある人間は、『いわゆる進歩的知識人』の議論方式には、嫌悪感を持つこともあり、彼らとのコミュニケーションは、難しいものがある。

 しかし、雇用確保の問題で、コミュニケーション能力不足が言われているのは、現実である。この原因は、小学校~高等学校までの、基本的な教育の問題も大きいと思う。特に、国語教育の論理的な思考力育成軽視や、教師の独断的な支配が悪影響を、及ぼしているように思う。

 また教師採用において、成績のみに偏った試験を行っているように思う。成績優秀者に偏ると、コミュニケーションもその世界に偏っていく。田中角栄の負の遺産が、ここにも出てきたように思う。

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トヨタがプリウス生産を増やせない理由は?

 ハイブリッド自動車のプリウスの売れ行きが、大幅に伸びているが、生産が間に合わず、来年3月の納車すら出来ないという話を聞いた。http://car.nikkei.co.jp/news/article.aspx?id=AS1C2400K%2024072009

 この話しと関連して、雇用状況はどうなるか、一寸考えてみた。まず今回の需要は、期間限定の補助金の影響もある、短期的なものの可能性が大きい。従って、長期的な影響のある、設備投資や、長期雇用の従業員増は難しい。

 1年前なら、ここで派遣労働者などを活用し、人手の確保に走ったと思う。しかし、昨年末の派遣労働者の契約打ち切りに対し、一部からの非常に激しい追及を経験していれば、派遣労働者の活用には、腰が引けるものがあると思う。従って、生産増加は難しいと思う。

 さて、この影響をマクロに見ると、まずプリウスの売り上げ増による、高業績の納税額が少なくなってしまう。これは1社のみでなく、関連業界まで影響は大きい。更に、海外で日本製のハイブリッド車のシェアを拡げることは、デファクト・スタンダードを押さえて、日本規格を広げる効果がある。このような機会損失の影響も大きい。

 派遣切り問題で、大企業を追求した、『知識人やメディア』は、このような側面も考えているのであろうか?

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2009年7月26日 (日)

就職・採用に於ける文系学科の専門性

 大学卒業者の就職活動・採用活動において、理系(特に工学部)では、専門学科にこだわった採用が多い。普通は、建築工学の出身者に、電子回路を設計させたりはしない。ソフトウエアの世界では一部例外があるが、このように専門性を考慮した採用になっている。

 しかしながら、文系の場合には、このような専門性が、確り認識されているのか、疑わしい。確かに、一部の語学系のスペシャリストとして、例えば『ベトナム語専攻の学生』などと言う採用はあるだろう。しかし、一般には、人文系の学科の社会系の学科の違いすら、明確になっているとは思えない。

 この理由を考えてみたが、まず採用側の問題として、文系の各学科の特性を、活かせる力があるのだろうか。例えば、法学の論理性や、規則を体系だてる能力、心理学の人間性に対する理解、文化人類学のフィールドワークの経験と仮説設定能力等等、企業の現場で生かせる基礎知識も多いと思う。確かに、官僚社会における、東大法学部の優位と言うことは、その専門性の活用としての結果であろう。これが、きちんとできている企業は少ないように思う。

 しかしもう一つ、厄介な問題がある。このような大学の専門性を評価する為には、採用側が大学の状況まで踏み込まないといけない。例えば、大学によっては、経営学部が独立してあり、会計学と経営学がきちんと分かれている大学もあれば、経営学は経済学部の中の1研究室と言う場合もある。もっと厳しく言えば、大学に入ってから、中学生のレベルの基礎学力を一生懸命教えている学校と、団藤先生の『法学の基礎』でいきなり教えてついてくる大学と、一緒にするのが間違っているように思う。これを、学校名を隠して採用せよなどといわれて、はいそうですというなら、結局学生時代の専門性など無視して、知能テスト的な試験で、振るい分けることになる。

 これと関連して、大学の文系学科に関する議論があったので、リンクを残しておく。

 http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/12/gakujutu/toushin/001114.htm

 

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企業の寿命について

 このブログで近頃アクセスが増えているのは、『企業寿命は30年』のページである。前には、個人の能力開発の視点で、書いてみたが、もう一言補足しておく。それは社会制度の変更に関する視点である。

 特に現在の日本は、企業をめぐる環境が大きく変化したように思う。戦後の日本社会は、まず会社を興すということは、それなりの責任を負わせる。そこでは、親分的な体質を、要求していた。関連会社や発注先の面倒も見るという意味をも含んでいた。その代わり、競争はほどほどのすみわけと言う暗黙の了解があった。大企業だから、面倒を見ろという押し付けも、根拠のある話しであった。

 しかし、1990年代からアメリカを中心とする外圧で、このような棲み分けは壊されてしまった。こうすると企業は、親分的な体質は持てず、競争本位にならざるを得ない。そこで、他の面倒を見ることはできなくなる。そうして最後には、小泉改革で会社法が変化し、誰でも会社を起こせるようになった。つまり、経営者に責任に、暗黙的に会った、『親分体質』をなくせと言う、政府の意思である。

 このような社会の変化が起こったとき、生き残れない企業は多く出るのは当然である。社会制度は、30年もすれば必ず変化する。それに対し、柔軟に対応した企業が生き残っている。

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2009年7月25日 (土)

使えない知識の理由

 高機能性発達障害の症状の一つに、
  「言われたことを、そのまま字句どおりにしか理解できない。」
と言う行動特性がある。彼らの場合には、極端な話しだが、一般に学校を出て直ぐの場合には、学校の理論を、そのまま当てはまる場合には使えても、応用が利かないことがある。

 この理由を考えてみると、本など机上の理論をいくら勉強しても、その理論上の概念だけで、議論展開を見ていることが多い。その理論が、現実の世界に適用される場面を見ていず、応用方法を知らないことが多い。机上で勉強をすればするほど、知識のみが集積するが、知識の使い方がわからなくなってしまう状況である。

 この対策として、理論で使っている概念が、いかに現実の世界に対応しているか、考えてみる。そして理論を使って説明する。このような訓練が有効である。また、机上の勉強に関しても、知識間での応用を確り使っていくことで、知識の使い方が生きると思う。

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2009年7月24日 (金)

就活に於ける自己分析の意味

 今日の朝日新聞の夕刊を見たら、大学4年生の就職内定率は、昨年より1~2割減となっているらしい。そこで、ある大学のキャリアセンターの人が、

「焦るだろうが、まずはきちんと自己分析をできるように促したい」

と話していた。ここで『自己分析』の意味を考えてみたい。

 まず、今の段階で、何故自己分析が必要か考えてみたい。

 一つの可能性は、就活中の学生が、自分のことを知らずに、余りにも高望みをしすぎたり、自分の能力が低かったり、適性がないのに、内定を出さない企業を責めている、場合である。ここでは、
   「自分をもっと知るように」
と自己分析を薦めるのも有効と思う。

 しかしもう一つの可能性もある。上の話しの逆であるが、自己分析を通じて、自分の自信を少しずつ失い、目標を下げ、
   「結果として自分を安売りする」
ように持っていく可能性もある。こうすれば、学校として就職内定率が、上ることになる。

 実際はこの両方の要素があるだろう。意味のない自惚れや、世間知らずは、矯正する必要がある。しかし、学校の面子のために、自分を安売りしてはいけない。このバランス上での決断は、自己責任で行う必要がある。

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2009年7月23日 (木)

日本語の主語について

 日本語は主語が曖昧だ、という議論を良く聞く。主語が曖昧なので、主体性を持つ所がどこか、曖昧になる。主体性がないと、規則や法律を、自ら作ることは、難しいのではないかと思う。法律は、自らの理想にもとづいて、作り上げるものだと考える。

 しかし、日本の固有法である、貞永式目の制定者の北条泰時は、自分で作ると言うより、その当時の『道理』を、素直に書き表している。北条泰時は、華厳宗の高僧である明恵上人を尊敬していた。明恵上人は、島に恋文を出しとこともある、全てに仏性を見出すお方である。

 このように、「我一人尊し」でなく「全て仏性」と考えると、「あるべき姿が自然に現れる」と言う発想になるのではと思う。皆が主体の合意、この「擦り合わせでの法」と言う発想が、日本的かなと思ってしまった。

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危ないリーダー

 リーダーについて昨日書いたが、一つ恐いリーダーのパターンを追記する。それは、見通しが暗い時に、
  「勝ち目の少ないギャンブル」
方針を、声高に叫ぶリーダーである。自力で、確りと解決を考えることができず、成功の可能性のあることに、単純にくいつき、人にも従うことを強要する。

 このような人罪が、今まで多く存在したのは、悲しい真実である。

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2009年7月22日 (水)

リーダーの役割について

 現在の日本を見ると、本当にリーダーが不在と思う。しかし、リーダーの役割は、何であろうか。現在の政治家への要求は、色々と求めすぎているように思う。

 私の考えでは、リーダーのまず第一の仕事は、方向付けを示すことだと思う。ロジャーズ派カウンセリングの発想ではないが、
   「人は自分が良いと思うことを実現しようとする」
傾向は確かにあると思う。良くなると言う方向、あるべき姿と言うものが見えないと、努力のなしようがない。戦後の欧米追いつきの時代では、方向が単純に見えていたので、多くの人間が力を発揮できた。しかし、現在のように、欧米と言う手本がはっきりしない状況では、国のリーダーとしての方向付けが必要であろう。

 そういう意味では、小泉政治は方向が見えていた。現在の自民党政権では、方向がまったく見えない。これが不人気の一つの理由ではないかと思う。

 もう一つ言えば、人が力を発揮するのは、安心があるからである。国民の安心、これをまず政治には期待したい。 

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2009年7月21日 (火)

人間と親しい神様

 京都の葵祭りについて、テレビで放送していたが、これほど、神様と人間が親しいのかと、改めて認識した。神事の一つ一つは、大事なお客様に喜んでいただくためと、はっきり見て取れる。神様が、みなの心の中に生きていることが、はっきり判る。

 真言密教でも、色々な行いは、皆大事なお客様を迎えるためと言われるが、このような神の世界と人間の世界に隔たりがない世界も、良いものだと思う。

 

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2009年7月20日 (月)

面接の一形態

 就職試験などでの面接において、行動特性を見抜くために、コンピテンシー面接を行うことがある。コンピテンシイーとは、その人の強みが、行動特性として発揮されたものと、考えればよい。私が、コンピテンシーを探る場合の面接は、以下のように行う。

 1.自分の経験で、一番成功したことを、教えてください

 2.その時に貴方は、どのような立場ですか?

 3.そこで、一番苦労して、上手くいった場面を教えてください
   意思決定の重要な点を教えてください

 4.その時、あなたはどのように考えましたか?
   何を大切にしたか?

 このような観点で、対話を行うだろう。そして、話しの内容で、具体性があるか、評価する。受験者は、ここで派手な話しより、実体験に根ざした、具体的な話を心得るべきである。

 コンピテンシー面接は、会社の中で、今までに成果を出した人間の、行動特性と比べて、できるだけ同じような特性の人間を選ぶのが要点である。これを知っておくことが、面接を受ける時に少しでも、有利になるかも知れない。

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大きくまとめる効果

 NHKスペシャルの「マネー資本主義」は中々見ごたえがあった。資本主義の成立のためには、投資を引き出す仕組みが必要である。そのため、個別のトラブルを、多くの投資先に危険分散することで、投資先として成立させる、金融工学の手法は、ある程度効果がある。

 しかし、このようにまとめると、個別のものを見なくなってしまう。本来の投資は、投資先を自分の力で見極めて、行うべきである。このように投資を自分で行った人間が、これから生き残ると思う。

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全体を見る必要性

 少し時間があったので、「決定力を鍛える:ガリル・カスパロフ NHK出版」を見直してみた。チェスと言う限られた世界で経験を、一般世界に広げようとすることで、少し無理もあるが、参考になる部分も多い。過去の成功が、「人生最大の日はもう来ない」と言う状況にするのは、今の政府にプレゼントしたい。

 特に興味のあるのは、P 336 のホワイトヘッドの専門化の行き過ぎに対する発言(1925 ハーヴァード大学での講演)を、引用している部分である。

 「この方面の専門性から生じる危険は、とくに民主社会では重大である。方向を示す理性の力が弱められ、指導する立場の指揮者はバランスを欠く。この状況、あの状況と、一方に目をやることはあっても、両方を同時に見ることはない。連携という課題は、一定のキャリアで成功する力あるいは気骨が足りない人々に委ねられる。」

 一部の大臣が、答弁の資料を常に官僚に作成させる、現在の日本はまさにこのような状況ではなかろうか。

決定力を鍛える―チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣 決定力を鍛える―チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣

著者:ガルリ カスパロフ
販売元:日本放送出版協会
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2009年7月19日 (日)

経営者の仕事

 今朝のNHKテレビの「ルソンの壺」を見て感じたが、経営者の仕事は、

   1.良いものを作らせること

   2.それを市場に正しく評価してもらえるようにすること

の2点が重要と思った。どちらかが欠けて、安価な労働力にのみ頼って、利益を追求するなどと言うことは、どこか間違っている。

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試験について考えてみよう

 学生の場合には、「試験は先生が行うもの。」と考えているだろう。しかし、試験の本質を考えてみよう。これは、効率よく、受験者の能力を評価する手段である。そして、試験の結果は、単なる評価だけではなく、受験者の今後の成長に繋げること、教育者側の反省材料として、今後の教育の改善点を示している。

 さて、社会で生活していると、色々な人や物を評価する必要がある。その場合に、いかに効率的に、評価するかが重要である。そのため、これを知っていないと、仕事ができない。このような考えができないと、仕事ができないと言う要点を確認することが、試験つくりの目的となる。

 まず思いつくことは、基礎的な概念を知っているか、用語の確認を行う試験である。基本的な用語を使いこなせなければ、効果的な議論もできない。従って、基本用語を知っているかの試験は、有効である。しかし、これでも落とし穴がある。昔ある新入社員に、
  「『概念装置』についてどう思うか?」
と質問したら、
  「『概念装置』と言う言葉は初耳です、『理念型』で習いました」
と返された。このように、別の用語で学んだ場合でも、基本的な概念と使い方を知っていて、柔軟に用語を切り替える能力があれば、対応できる可能性がある。このように、用語知識だけの試験では、落とし穴がある。

 次に、基本的な例題を与えて、答えを求める方法である。これも、自由記述にするか、○×式等の客観的試験にするか、考えないといけない。特に客観的な試験は、採点が容易である。しかし、偶然の正解もありうる。このような利得を考えて、試験形態を選ぶ。

 そして、試験の課題であるが、
  ・ そこを知らないと、それから先に進めない
  ・ 誤解しやすい部分
  ・ 他の部分に影響が多い部分
等を選び、間違いが生じやすい問題を考える。また、試験の後で、フィードバックを行う場合には、その問題をマスターすれば、今後の展開に有効なモノを出題する。

 このように、試験を行う立場を、理解することも、学生から社会人への切り替えで有効である。なお、IT業務では、もの造り成果を確認する、試験作業が重要である。試験段階でどのような確認を行うかで、作業者の能力評価が行える。 

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現在の自民党の問題点

 現在の自民党の問題点は、過去の成功に過剰適応した組織の一例である。過去の成功と言っても、長期的なものと、短期的なものがある。

 長期的な成功と言えば、対共産圏と言うことで、自由主義を守るという対立軸への依存である。旧ソ連などにかぶれた"知識人"などの言うままにさせないため、自民党に政権を任せざるを得なかった、国民の心を、「自民党は、党内派閥と言うことで、国民の選択」を見せて、掴んでいた。また、経済的にも追いつき追い越せの発展モデルのため、単純に海外の先行事例を事務官僚に教えてもらえれば、政治決断で大きな間違いはなかった。このような状況では、国会議員は、政治的に重要な決断をするのではなく、地元への利権のバラマキに力を入れていればよかった。

 一方、短期的な成功とは、前回の郵政解散で得た、衆議院の2/3議席である。この議席は、国民の財政再建重視、バラマキ禁止の意思が、確り顕れた数値であった。従って、郵政関連や、一部の反対勢力否定に、2/3条項を使うことは、民意にあっていた。しかしながら、その後、総理総裁が3代も変り、色々な政策で、2/3を乱発したことは、国民に約束違反と思われても仕方ない。しかも、自民党の立場では、解散総選挙しても、前に議席を減らす可能性が高ければ、解散する勇気も出ない。

 このように、現在の姿に過剰適応し、環境変化に追従せずに、滅びた会社や、生物は多い。自民党の再生は、会社経営に観点でも、参考になると思う。

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2009年7月18日 (土)

国会議員って本当に偉いの?

 先ほど、朝日新聞の夕刊を見たら、自民党の大阪府連と橋下知事の会合で、松浪健太氏が、

 「最近は我が党の幹部が橋下知事の前でたじたじで、どっちが奴隷かわからない」

と発言したと言う記事があった。

 どうも文脈が読み取れないが、地方行政の長に対して、『奴隷』などと言う、無礼千万な言葉を発言するなど、国会議員としての資質を疑ってしまう。首長にたしてこれだから、一般市民等、選挙で票さえ入れたらよいもの扱いしているのではないかと、かんぐってしまう。

 逆に、このような発言を、わざわざ夕刊の一面で扱うのは、朝日新聞が自民党に対して、悪意を持っているのであろうか?

 色々疑ってしまうが、政治家と言うものは、もう少し言葉を大切にすべきであろう。

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本で学ぶということ

 学校を出てからも、自分で勉強する機会は多い。その時、本を使って、勉強することの比重は、ネット社会になってもまだ多い。

 本の使い方は、大きく分けて2つの方法がある。まず第1は、教科書的な本で、全体像を掴むために読む。もう一つの使い方は、参考書の使い方で、特定項目の知識を補充するために読む。学ぶべき分野の知識が不足している場合には、まず教科書的な本で全体を掴まないと、個別知識のすわりが悪くなる。全体のイメージができ、デファクトの登場物ができると、新しい知識の追加が容易になる。この段階で、自分の疑問を答える、参考書を読めば、効果的に勉強できるようになる。

 教科書の使い方は、全体像を掴むのに便利であるが、もう一つの使い方は、自分の弱点を知ることである。全般的に記述している中で、自分のしらなこと、理解不足なことを知れば、その分野専門の参考書で確り学べばよい。

 このような読み方もある。

 

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2009年7月17日 (金)

理論の力

 科学的な知識を身につけると、世の中の現実的な問題が解決する、と言う迷信がある。

 しかし、科学的知識は、ある前提が満たされた時、効果を発揮する道具でしかない。確かにこの道具を持っていると、問題の解決に有利なこともある。

 例えて言うと、経験的な知識は、銛で魚を突くように、そのポイントでしか効果がない。一方理論を知っていると、網で掬うようなもので有効範囲が広くなる。数学と言う道具で、広がりができている。確りした仮説で、目標を明確にした上で、理論で説明するのが理想である。

 しかし、網には穴が開いている。現実の複雑さに理論だけで立ち向かうのは、現在のところ失敗が多いのは、金融工学の例でも明らかであろう。

 

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2009年7月16日 (木)

自由主義経済と予測能力

 現在の経済危機は、自由主義経済の限界と言う意見がある。自由主義経済では、不適格な行動は、法律などで規制している。更に、無理な行動などは、市場の淘汰で排除される仕組みになっている。しかしながら、ネット社会など従来との間から飛躍のある場合には、法律の規制は、役に立たない。また、一般市民も完全に予測することは難しい。従って、市場原理による淘汰も役に立たない。法律を新たに作るためには、民主的手続きのため、時間差が生じる。

 このようなことを考えると、意思決定の早い、独裁的政府の効果を期待する向きもあるかもしれない。しかし、人間の行うことで完全と言うことはありえない。そのために修正の利く仕組みとして、民主主義は必要と思う。

 さて、ここまで考えて、2つの有名なSFを想い出した。一つは、アイザック・アシモフの『ファンデーションシリーズ』でもう一つは、EEスミスの『レンズマンシリーズ』である。両者とも、第二次大戦直後の、科学優位の楽観論の支配した時代で、非常に有能な者が、世界のいく先を予測し、動かすと言う仕組みがある。団塊の世代は、両シリーズに影響を受けた人も多い。

 しかし、アシモフはこの後、機械的な予測と言うことには、疑問を呈した、新シリーズを追加している。やはり、予測は難しいと思ったのだろうか?

ファウンデーション ―銀河帝国興亡史〈1〉    ハヤカワ文庫SF ファウンデーション ―銀河帝国興亡史〈1〉 ハヤカワ文庫SF

著者:アイザック・アシモフ
販売元:早川書房
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ファウンデーション対帝国 ―銀河帝国興亡史〈2〉    ハヤカワ文庫SF ファウンデーション対帝国 ―銀河帝国興亡史〈2〉 ハヤカワ文庫SF

著者:アイザック・アシモフ
販売元:早川書房
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第二ファウンデーション ―銀河帝国興亡史〈3〉 ハヤカワ文庫SF

著者:アイザック・アシモフ
販売元:早川書房
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銀河パトロール隊―レンズマン・シリーズ〈1〉 (創元SF文庫) 銀河パトロール隊―レンズマン・シリーズ〈1〉 (創元SF文庫)

著者:E.E. スミス
販売元:東京創元社
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グレー・レンズマン―レンズマン・シリーズ〈2〉 (創元SF文庫) グレー・レンズマン―レンズマン・シリーズ〈2〉 (創元SF文庫)

著者:E.E. スミス
販売元:東京創元社
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第二段階レンズマン―レンズマン・シリーズ〈3〉 (創元SF文庫) 第二段階レンズマン―レンズマン・シリーズ〈3〉 (創元SF文庫)

著者:E.E. スミス
販売元:東京創元社
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レンズの子供たち―レンズマン・シリーズ〈4〉 (創元SF文庫) レンズの子供たち―レンズマン・シリーズ〈4〉 (創元SF文庫)

著者:E.E. スミス
販売元:東京創元社
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三惑星連合―レンズマン・シリーズ〈6〉 (創元SF文庫) 三惑星連合―レンズマン・シリーズ〈6〉 (創元SF文庫)

著者:E.E. スミス
販売元:東京創元社
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ファースト・レンズマン―レンズマン・シリーズ〈5〉 (創元SF文庫) ファースト・レンズマン―レンズマン・シリーズ〈5〉 (創元SF文庫)

著者:E.E. スミス
販売元:東京創元社
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ファウンデーションの彼方へ〈上〉―銀河帝国興亡史〈4〉 (ハヤカワ文庫SF) ファウンデーションの彼方へ〈上〉―銀河帝国興亡史〈4〉 (ハヤカワ文庫SF)

著者:アイザック アシモフ
販売元:早川書房
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ファウンデーションの彼方へ〈下〉―銀河帝国興亡史〈4〉 (ハヤカワ文庫SF) ファウンデーションの彼方へ〈下〉―銀河帝国興亡史〈4〉 (ハヤカワ文庫SF)

著者:アイザック アシモフ
販売元:早川書房
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2009年7月15日 (水)

創造的問題解決の練習問題

 会社勤めをしていると、上司に無理難題を押し付けられることがある。しかし、それを解決することで、大きな成果を手にすることも多い。従来の延長線上にない発想が、このような問題を解決する手段である。

 そこで、今回の全国的なお題を考えてみよう。
   「今回の衆議院選挙で自民党が勝つ手段」
 これは潰れかけの会社が、トップシェアを取れというのに等しい。

 平凡なアイデアでは、大阪の橋下知事を総裁に迎えて、選挙に向かうなどであるが、これでは勝ち目がなさそうである。思い切って、60歳定年制を実施し、森元首相を含めて邪魔なものを一掃する。これもパンチがない。

 しかしこの問題は難しい。

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2009年7月14日 (火)

自民党の国会議員について

 今、麻生総理を批判している自民党の衆議院議員は、
    「自力で当選できないから、総理総裁を批判している。」
と言う意見があった。確かに、前回の郵政選挙では、小泉総理の政策を支持した人達が、比例区で自民と書き、その結果で当選した議員も多い。

 民主主義は、ある意味議員の数とり合戦であり、このような雑兵議員の存在も、一つの意志を通すためには、有効であろう。しかしながら、国会議員としての活動を考えれば、自力で当選する力が欲しい。考えてみれば、昔は自民党は多くの派閥があり、中選挙区で自民党同士で、熾烈な選挙を繰り広げていた。そういう意味で、自民党と言っても多様で、自民党だから当選するというものではなかった。しかし、小選挙区になり、比例代表と言うことで、自民党と言う一つの枠がはまったようである。

 今回の、危機でもう一度、自民党というものを、もう一度考え直して欲しい。 

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2009年7月13日 (月)

会社の文章は主語が複雑

 会社での文章は、主語が曖昧な場合が多い。これは、色々な立場を踏まえているからである。学校の文章は、自分の責任で出すから、主語が明確である。

 しかし会社では、会社全体・所属セクション・ある機能・個人などの色々な立場がある。自分の書いている文書は、どの立場で書いているか、そしてこの意見は、何処まで共有されているか、これを理解しないといけない。

 このような、多様性の理解が、会社生活を効果的にする。

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大企業の管理職とベンチャー企業の経営者の違い

 管理職の業務を考えるとき、ある意味経営者と同じ教材を使うことがある。しかし、ベンチャー企業の経営者と、大きな会社の管理職では違う機能がある。

 大きな会社の管理職には、『調整』と言う機能が重要である。関連部門との調整、部下の間の調整、並行する仕事の調整、このような調整が重要な仕事である。これが、ベンチャー企業の経営者では、『決断』はしても、『調整』はしなくて済む。

 このように『調整』して利害関係のぶつかり合いを通じて、多面的な見方を身につけるのも、大企業の利点である。

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10万アクセスの御礼

 ようやく、10万アクセスを突破した。5月6日の9万アクセス突破から、順調にアクセスが伸びて、今日の日を迎えた。複数ページを見ていただく方が多いので、日に140程度のアクセスを頂いている。

 なお、今回のアクセスに関しては、日刊工業新聞のフレッシャーズ産業論文のテーマ探しらしき、ものが散見される。各企業の社内選考の方々には、当ページも一度確認していただくことを、お勧めする。(こう言っておけば、またアクセスが増えると言う、魂胆が丸見え)

 但し、ここでは公共に公開された情報を使っていることもあるが、自分の意見を必ず付加するようにしている。今後とも、見に来てください。読者の皆さんに深謝。

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2009年7月12日 (日)

日米外交機密文書について

 アメリカとの間の外交機密文書が、アメリカ側で公開されたが、日本側では不在と言う状況になっている。このこと自体に、日本の官僚の姿勢の基本的な問題を感じる。

 まず、
   「このような官僚の秘密主義が生まれた理由」
を考えてみたい。

 少し歴史を振り返ってみると、日露戦争後の、ポーツマス講和条約に対し、
   「真実を知らない(理解できない)民衆が不満を持って暴動」
と言う事態がある。このような状況では、確りした官僚が、愚かな民衆を導くと言う発想になる。このため、東大法学部で確りした訓練をした、官僚を生み出す制度となっている。

 現在の民衆の知性と言うか、納得力は当時より進んでいると思うがいかがであろうか。

 但し、この国の言論がまともかどうかは、難しいものがある。つい10年前に遡ると、
   「北朝鮮は理想の国で、その国の悪口を言うとはけしからん。
   拉致事件等言う人間は、人格がおかしい。」
と言う状況であった。立派な政党のHPにもそのような記事があったと聞く。これで、まともな言論が、維持できるかは不安である。

 もう一つ大切なことは、官僚だけでなく、日本の"偉い人"達は、批判されることに対する、拒絶反応が大きすぎる。自分の失敗を認めて、改善する。これがないと、本当の進歩はないと思う。

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「上から目線」は論難手段なのか?

 今朝の朝日新聞の、「オピニオン 耕論」は、

「上から目線」で何が悪い

と議論していた。この記事を読むと、「上から目線」と言うのは、議論相手の罵倒語であるらしい。これは、まったく認識してなかった。社会のフラット化、多様化を進めると、「オンリーワン」が多く存在するので、上下関係がつけられなくなる。こうして、他所からの批判を受け入れなくなる。また同様に、

「エビデンス(証拠・根拠)を示せ」

も同様な使い方が行われている。相手の批判に対し、

「エビデンスがないんだから、気にしなくていい」

と言う形に使っている。この両者は、自分達だけのコミュニティーに対する、批判を拒絶する武器になっている。

 しかし、この議論の次の段階が、問題の本質に迫っている。柳田国男が民俗学を始めた時に、学会が受け入れなかった例が書いているが、学会の姿勢は、建前として、

 1.学問の真理の前では、皆が平等であるー>「上から目線」の否定

 2.証拠のないものを、言ってはいけないー>「エビデンスを示せ」

と言うものである。これが、上記の2つの罵倒に繋がるのは、明確であろう。しかし、現実には、『言葉で明確に表現できるエビデンス』が見つかることは難しい。また、自国の宰相等に対して、敬意を持つのは当然の礼儀である。これが、通じないのは、一つには大学進学者が多くなりすぎ、学校的価値観がのさばりすぎているからと思う。

 なお、今回の耕論では、その後個人を認める議論となっている。確かに、一部の企業では、

「お前の給料で中国人が何人雇えると思っているんだ」

と言う形の労使関係も、少なくない。このような中で、「『仕事で自己実現』は5%」はある種の説得力を持っている。

 このような、人間を大切にする議論は、上記の『学校的社会の価値観』から自由になり、何事にも敬意を持つ習慣から進めるべきであると思うが、いかがであろうか。

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リーダーの条件(決断力を支えるもの)

 リーダーに必要な条件として、決断力について前に述べた。その決断の条件として、もう少し考えてみたい。決断するためには、広い視野を持って、論理的に検討することが必要である。ここでは、広い視野と言うことについて、もう一度考えてみたい。

 まず広いという意味は、地理的と言うか人間関係の広がりの軸がある。そして、時間軸の広がりも考えるべきである。地理的と言うのは、経済的なつながりと言っても良い。まずお客様は色々な環境で、製品を使ってくださる。自分の所だけで考えると、見落としがでる。環境を読むことも重要である。次に部品供給など、色々なつながりを考える。ネット社会では、広範囲のつながりがあるが、逆に個人の生きている環境等は、抽象化して消えてしまうこともある。生きた人間が、暮らしている環境を想像することが重要である。

 次に、時間軸での検討も重要である。現状は、いきなりこの形になったのではない。今までの歴史を考えると、色々な納得が出て来る。逆に、あるものの理由は、昔は合理的であったが、現在は存在価値がなくなっている、惰性で動いているものもある。昔から変ったので、修正する。これも説得力のある説明である。

 また時間軸では、未来への検討も重要である。今の製品の寿命は何処まであるのか、別企業の参入は何時頃起こるのか、このような検討も重要である。

 このような広い観点で検討することも、リーダーの責任である。但し検討しすぎて進まないのも許されない。短期での決断も要求事項である。

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2009年7月11日 (土)

結果責任を取るかどうか?

 一説によると、勤め人には、サラリーマンとビジネスマンがある。サラリーマンは、仕事をする人であり、ビジネスマンは、結果を出す人である。結果責任に耐える人こそ、リーダーにふさわしい。

 このように、仕事の時間ではなく、結果のように本質で評価すべきである。

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大企業経営者の評価能力

 どこかで読んだが、ある新進の評論家が、
  「自分の言うことをよく理解するのは、中小企業の経営者だ!
   大企業の経営者は、お説ごもっともと聞いても、実行しない。」
と言っていた。確かに、大企業にはこのような重たさがある。
  「石橋をたたいているばっかりで渡らない。
   そのうちたたき過ぎて壊してしまう。」
と言うジョークは、よく聞く話しである。

 しかし、この逆の話しもある。大企業の経営者は、今までの多くの深い経験から、ものごとを評価する目が確りしている。従って、
  「一面では納得する話し」
に対しても、『落とし穴の存在』を直観して、そう簡単に乗らないことが多い。自分の意見が採用されないからと、簡単に大企業の経営者批判をすると、自分の器の小ささを見せてしまうことにもなる。

 なお、3年ほど前に某大企業の工場見学したとき、
  「前工程の部品製作部門では、きちんとトヨタ方式を導入し、
   後工程の大規模組み立てでは、トヨタの匂いが完全に消えていた。」
のを見て笑ってしまった。そこの工場の人にそのことを話したら、笑って
  「私達にも蓄積がありますから」
と言うことであった。

 大企業の新技術導入とは、このようにしたたかなものである。 

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2009年7月10日 (金)

ものを理解する能力と創造する能力

 この国のもの造りは、ある形ができたものをすり合わせて、より良いものにしていくことが得意であるこれは逆に、トップダウン的に規則を決めて、モジュール化したもの造りを行うことを、苦手としている。この理由を、歴史的に考えてみた。まず工業の面で考えると、明治維新以降の日本は、西洋のお手本を真似て、物を作ってきた。これは、完成品を見て、それをまね、より良いものにしていく能力である。しかもそれを支える、一般的な教育の普及と、職人の技とがあった。更に、日本語が明治の時代で、物理学や数学などの西洋科学を、翻訳するに足りるだけの、論理構造を持ち、概念も確りしていたことも、大きな基盤である。母国語で、物理学等の最新学問を、学ぶことができるのは、大きな幸せである。そして学問の大衆化と、豊富な職人芸で、既存品を皆で理解し、改善する『擦り合わせ設計』が得意になる。

 さてモジュール化と関連して、もう一つ大切な基礎がある。それは、規則や法の構築能力である。日本の場合、律令も明治以降の憲法も、どちらも海外の模範を真似たものである。つまり、一から法律体系を自分で作ったものではない。固有法として代表的なものの、『御成敗式目』も、最初から体系的に作ったものでなく、経験的なものを、擦り合わせて作り上げたものである。

 このように、我が国は、自分で一から作り上げるのではなく、他にあるモノを皆でよくしていくことが上手である。逆に、欧米では、技術が大衆化していないので、少数の者が、自分一人で考えた、体系付けて、規則化まで行う必要がある。このような少数が走る方が、モジュール化は上手にいくと思う。

 なお、日本も今後は、モジュール化して国際的な規格を発信する必要がある。そのためには、技術と法学の両方に長けた人材を育成しないといけない。 

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経営者(管理職)の世代交代

 今の経営者や、管理職には、戦後の試行錯誤したもの造り世界を、経験していない向きが多い。このため、現場経験不足の意見が、散見する。

 これは、日清・日露までは戦争経験の豊富な指導者がいて勝てたが、第二次大戦は机上訓練のみの指導者で負けた歴史を思い出す。

 日本人は、経験したものには強いが、哲学的考察で全般を、実用的に抑えるのは苦手な様である。

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2009年7月 9日 (木)

管理職の役割について

 このブログで結構アクセスが多い記事の一つに、管理職について書いたものがある。そこで、もう一度管理職の仕事について、まとめてみたい。私の考えでは、まず管理職の一番大切な仕事は、
 「組織のあるべき姿を明確にする」
ことである。これは、管理職自体が作っても良いし、部下に作らせても良い。しかし大切なことは、管理職が自分の力で判断して評価すべきである。ここで、『あるべき姿』と言ったが、固定した姿だけでなく、『常にプロセス改善を行う組織』のように、行動特性の場合もある。このような理想形を、部下達が納得して作れば、組織として方向付けが共有され、実行できる可能性が高い。しかし、部下達の納得を得るために、狭い見識での判断となる危険性もある。

 このような、
  「矛盾する要求を調整する。」
仕事は、決断力を必要とする。ある程度広い見識や、深い考察は必要だが、考えすぎや調べすぎで、機会を失ってはいけない。曖昧さに耐えて、決断するのが管理職の仕事である。しかも結果に対する責任を負う。これが管理職の使命である。

 この重さに耐えがたい人もいるかもしれない。しかし、無能な上司の、誤った判断に振り回されるより、自分で考えた結果の方が、納得いくことが多い。 

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2009年7月 8日 (水)

リーダシップに必要なもの

 現在の日本は、政治的に確りしたリーダーが不在、と言う悲劇的状況である。ここで、仕事の場において、リーダシップに必要な能力を考えてみた。

 まず第一は、曖昧な状況で、時機を失せずに決断する能力である。確実なものを求めるためには、何処までも時間が必要であり、そのために機を逸することが多い。適切なタイミングでの決断が、リーダーに要求される。しかし、この決断が見当はずれなら、リーダーとして重罪である。自分ひとりの暴走で、多くの人間を道連れにする。これは一番困った話しである。

 次に必要なことは、自分の決断を、関係者に納得させる能力である。これは、説明力と言う側面もあり、また一方では、信じさせるカリスマ性と言う側面もある。これは、上手に試作を行って、デモするような技でも良い。

 最後に、リーダーは結果責任である。これに耐えて、謙虚に反省し、成長する人材でなければならない。

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2009年7月 7日 (火)

PDCAについてもう一つ

 PDCAサイクルで、修正し進化する話しを何回か書いた。ここでは、この話しは、小刻みに修正し、試行錯誤を行う発想である。全体を考える人は、完全なものを知っているわけではない。そこで、動かしながら修正していく発想である。この場合の、チェック・アクションはできるだけ、多く行うことが重要である。

 さて、ものを作るときには、もう一つの発想がある。計画するものが、全体の構想をきちんと考えて、細部まで詰めたもの造りである。この場合は、計画通りにものが作れることが前提である。もしそこで、不具合が出れば大問題となる。この場合の、チェック・アクションは、基本構想を理解した上での対応と言うことで、大変な作業になり、できるだけ行わないことが望ましい。

 これは、コンピュータソフトの世界では、プロトタイピング手法とウォーターフォールモデルとの違いである。人間の好みのように、仕様が曖昧な場合は、とりあえずプロトタイプを作り、使ってもらいながら、修正して良くしていくのが、プロトタイピング手法である。一方、最初の段階できちんと仕様を決め、それを神様にしながら、プログラムにしていくのが、ウォーターフォールモデルである。これは、機械制御を行う組み込みソフトウエアなどでは有効である。

 さて、今までPDCAサイクルを回す効用を説いたが、最初の段階であるべき姿の哲学を描き、全体を見通し、設計する技術も大切である。これを行うためには、全体をよく理化ししかも細部にまで、興味を持つ。しかし細部に捕らわれない。このような心構えが必要であろう。そして全体を統一する、思想があるということを求めることも、大切である。探さない人は見つけることができない。

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2009年7月 6日 (月)

工学部で学ぶ人たちに

 現在工学部で学んでいる人たちに、一つアドヴァイスをしておきたい。それは、
  「自分が今学習していることが、実際の製品で
  実現していく過程を、知っておく。」
ことの重要性である。

 例えば、電気自動車などで大切な、モータの制御で考えてみよう。半導体メーカの制御アルゴリズムの説明は以下のホームページにある。http://japan.renesas.com/fmwk.jsp?cnt=ac.htm&fp=/applications/motors/motor_algorithms/child_folder/&title=AC%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BF%E5%88%B6%E5%BE%A1%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0

 この内容は、大学の電気系に学んでいれば、理解できる材料はある。但し、クラーク変換は、「送配電工学の故障解析」などのカリキュラムで説明されるかもしれない。しかもその時には、もう一つの要素があるが、モータの制御では、直交する2つの成分で考えている。

 このような応用の仕方を一度経験することは、今後の役に立つと思う。

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2009年7月 5日 (日)

株価を買うか会社を買うか?

 株式投資を行う場合に、
  「株価でなくて会社を買う」
と心得るべきである。つまり、株価だけでなく、会社が良くなることを期待して買うべきである。株価のつり上げを狙って、株を買う等があるから、株式の購入者に対して、批判的な視線を向けるようになる。成長する会社に投資するのは、資本主義の成立条件である。

 しかし、本当に会社と言うことを理解できているのであろうか。就職活動でも、本当にその会社を知り、買っているのだろうか。

 難しい問題だが、少しでも理解して進めて欲しい。但し完全に理解しないと進まないと言うのも困る。ある程度の決断は必要である。

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数学の限界について

 数学とは、ある前提条件から、理論的に結果を導く道具である。だから、
  「数学だけで、現実の世界の問題を解決する」
と主張することはできない。このことは、金融工学の失敗などから見ても、明らかである。

 しかし、世の中の数学の教育で、このことをきちんと教えている例は、少ないと思う。

 そう思っていたら、以下の本が見つかった。

確率・統計入門 Book 確率・統計入門

著者:小針 あき宏
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 最初の書き出しが、「ベルトランの逆理」で、第1章を理解できれば、上で言ったことを理解してもらえると思う。

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2009年7月 4日 (土)

国政に於ける都市と地方の戦い

 国政選挙を、都市部と地方の戦いで見ると、納得のいく側面がある。例えば、前回の衆議院選挙は、郵政民営化と言う争点もあったが
  地方へのバラマキ政治を主張する、亀井静香
  都市部の立場で財政再建を主張する、小泉純一郎
と言う図式にすれば、すっきり理解できる。一方前回の参議院選挙は、地方の復讐と言う形であろう。

 そう考えると、今の自民党は、都市部の支持と言う「小泉政権の遺産」に、地方出身の総理が乗っているという図式となる。もっとも、都市部だけを地盤とした、政党は少ない。民主党にも一部都市部系の議員はいるが、主体は地方系である。

 地方は、公共事業が生み出す、主として土木建築業務の雇用がないと、実情成り立たない部分が多い。これを都市部の人間から見れば、
  「自分たちの税金を巻き上げて、地方にばら撒いている。」
と言うことになる。しかし地方の立場では、今まで都市部のインフラ投資を優先していた。その後地方に時代になって今更支出を絞るのは、不公平と言わざるを得ない。

 このような図式を考えると、大阪の橋下知事と、宮崎の東国原知事が手を結ぶのは、難しいと思う。

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就職困難の時代の弊害

 本日の朝日新聞のOpinionに、
  「安定志向で警察官を志望するな」
と言う記事が載っていた。元警視庁の捜査一課の刑事の意見だけに説得力がある。まず、バブル時期の求人困難時代は、何とか志願者を見出すと言うことで苦労していた。そこでは、ある意味
  「警察が好きでこの仕事」
と言う人材しか採用できなかった。しかし、バブルはじけの就職困難時代には、安定して休みもきちんと取れると言う職場で、
  「頭はよくても警察官として使えないものも多く」
志望し、結局警察官の質が変ってしまった。

 更に、バブル時代に
  「人材採用何の原因は、劣悪な条件の全寮制にあり」
と言うことで個室化したため、対人能力を評価することも出来なくなってしまった。

 これは、現在の企業一般の問題点にも通じる話である。まず、就職困難時代には、買い手市場と言うことで、志願者が増加する。その時選抜をするが、現在の採用試験はペーパーテスト優先になることが多い。(これに関しては、厚生労働省の"公正"な採用、"客観的"な基準、と言う指導も大きい)

 しかし、対人スキルを評価したり、全寮制の場などで鍛えることが、難しくなっている。そして、
  「パソコン画面だけで考え、人間を見れない、優等生」
が多くなっているのも現状である。

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脳死議論について

 臓器移植に関して、現在の国会でやっと法律が改正されるようだ。しかし、この議論がこのような展開になった、根本の原因について、もう少し踏み込むべきではないかと思う。

 私が考える、この議論の原点は、日本で最初の心臓移植である、「和田移植」の事件である。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%94%B0%E5%BF%83%E8%87%93%E7%A7%BB%E6%A4%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6この時代の心臓移植は、南アフリカでの実施例が多数存在した。その時ささやかれた話しは、
  「心臓移植が行われるのは、日本では東京や京阪神などの
  多数の大学のある地域ではなく、地方大学であろう。相互に監視
  している関係では、行いにくいものがある。」
と言うことであった。そして、この時の和田氏の行動、特にドナーへの対応には、種々の疑惑があり、正しく説明しているとはいえない。しかも医学会の説明も、一般に対しまともの納得させるものではなかった。但し、当時の医学会に対立する"世論"も、まともの論理的な議論で応じるものではなく、ヒステリックな否定論が多かったことも指摘しておかないといけない。当時は全共闘時代で、『論理の形をした一方的な糾弾』が横行していた時代である。

 さて、現在に戻ってみよう。今回は、自分の意見を言えるか疑問の、子どもからの臓器移植の問題である。この観点から移植反対派の不安を、もう少し考えてみたい。まず、子どもの場合には、保護者の意向と言うことになる。しかし現在の保護者の状況では、安全と言いがたい面がある。明治大正の昔から、「親のために子どもの身売り」と言う話しがあり、子どもを親の所有物として、金のために臓器を売る例があるかもしれない。

 またもう一つの面として、移植を受ける側の関係者からの、有形無形の圧力の可能性である。移植が法的に認められると、脳死に近い子どもに対して、医療関係者を含めて、"世論"と言う形で、圧力をかける可能性もある。

 このような問題点はあるが、海外で移植を受けるようなことは、『海外の臓器買い』と国際批判を浴ることになり、この国での移植を実現して欲しい。そのためには、医療関係者に、臓器提供者の立場を理解した、説明をお願いしたい。反対者が論理的でない、と一言で切って済む問題ではないと思う。

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2009年7月 3日 (金)

不具合への対策と管理職の腕の振るい方

 先般からPDCAのサイクルのまわし方に関して色々書いたが、不具合発生時の対策についてもう一度述べたい。 チェックの時点で不具合が見つかった場合に、取るべき対策は大きく分けて、二つある。

 まず第一は、限られた時間での早期対策である。この時の尺度は、後工程のような『お客様』への迷惑を最低にすることである。このためには、現実に妥協しながら解決する必要がある。

 次に大事なことは、計画未達成の真因を見出して、根本的な対策を取ることである。このためには、原因究明だけでも時間をかける必要がある。さらに、対策には現状を超える開発研究が必要な場合もある。これは長期的な視点で、解決すべき問題である。

 さて、管理職の立場では、このような『計画未達成時』の対応に関し、正しい方向付けが必要である。まず、お客様に迷惑をかけないように、対策を確実に行わないといけない。しかしそれだけで済ませてはいけない。情況を正しく把握して、根本的な検討をするべきか判断する。そしてどのような体性で、どれだけの期間をかけて取り組むか、判断し計画しないといけない。この判断が、管理職の腕の見せ所である。重要な問題の解決は、部下が行ってもよい。そこに眼を振り向けさせるのが管理職の仕事である。

 さて、ここでPDCAで、計画未達成はどのような意味があるだろうか。第一の早期対策だけで終わる未達成には、若手社員の訓練以外には、意味がない。しかし、根本的な不具合や改善点を見出すための、未達成には大きな戦略的な意味がある。

 計画未達成を上手に使うのも、管理と言うことであろう。

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2009年7月 2日 (木)

技術空洞化の一形態

 海外にもの造りを依存することで、技術の空洞化が進むと言う話しは、従来から行われていた。しかし、もう一つ別の形での技術空洞化がある。それは、CADシステムの中に、技術を埋め込んでしまうことによる、ブラックボックス化である。

 CADシステムの中に、シミュレーションによる設計計算が埋め込まれている。このため、技術的判断を、CADシステムに依存するようになる。そのため、技術を理解しないでも、設計が出来るようになる。

 しかもこのシステムを、自力で開発しないで、外部から調達する。これも一つの空洞化であろう。

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東国原知事に対する上から目線

 現在のマスコミ報道を見ていると、東国原知事に対して、
  「自民党総裁の要求はなまいき」
と言う論調が目立つ。

 確かに、要求はきついが、政治的な駆け引きなら自分の意見を通すためには、トップを要求するのは当然である。このような要求を、大阪の橋下知事や東京の石原知事が行った場合には、ここまで叩くことはないだろう。

 どこか、東国原知事は、『元芸人』と言う蔑視が感じてしまう。特にテレビ局は、昔使ったという先入観があるのではないか。人の評価は、現在の能力で行うべきである。

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2009年7月 1日 (水)

企業確保の時代へ

 昨日のNHKテレビで、
  「有力企業が撤退しないように、地方自治体が種々の努力をしている」
と放送していた。これを見て、とうとうここまで来たかと思った。従来の地方の政治は、社X党や共○党等の勢力の、
  「大企業の横暴を排除しろ。出て行け。」
と言う形のキャンペーンを利用し、
  「地元に協力しないと、出て行かないといけません。」
と言う形で、企業に言うことを聞かせていることが多かった。

 しかし現在は、企業の方も『選択と集中』や『海外生産シフト』などで、直ぐに出て行ってしまう。このような状況では、『企業確保』の努力を地方自治体としても、行わざるを得ない状況になっているらしい。

 この話し、どこかで聞いたことがある。それは、大阪の伊丹空港騒動である。関空を作ったときは、伊丹空港の騒音と住宅密集地上の侵入路の危険性が、地元自治体で喧伝され、
  「空港出て行け」
と言う声が大きいため、海上埋め立て空港になった。そして、伊丹空港の国際線閉鎖で、規模縮小になったとたんに、地元から逆に伊丹空港を使うようにと圧力がかかり、現在のような形になっている。

 大企業に対して、けんかを売ればよいと言う、発想はそろそろ収まるのかな。

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便利になったのか?

 昨日から、ココログのログイン方法が変ったらしい。これで便利になったと言うことらしいが、私のように、ココログフリーを使っていて、しかも別のniftyのアドレスを持っていると、どうもうまく行かない。

 おかげで昨日は、ログインできず連続更新が途切れてしまった。

 少ないかもしれないが、このようなユーザもいることを考慮して、せめてエラー時の処理を親切にして欲しいものである。

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