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2009年9月30日 (水)

新兵器を使った方が負ける

 昔戦争の話しで、

「ミサイルは使った方が負ける」

と言う話しを聞いたことがある。確かに、第二次大戦でもV1,V2のミサイルを使ったドイツは負けている。これを、もう少し突っ込んでみると、

「従来の戦力で不利な方が、新兵器に頼りたがる。」

と言う傾向がある。確かに、従来の戦力で勝てるなら、無理して新兵器を使うことはない。従って、新兵器の導入に関しても、十分検証してからと慎重になる。一方、不利になっていると、何でも良いから戦局を打開と、新兵器に飛びつく傾向がある。そして、少しの不具合があっても、目をつぶって使うようになる。
 しかしながら、いくら新兵器を投入しても、それだけで完全に逆転と言うのは難しい。従って、新兵器を使っても負けると言う事態になる。
 この話し、『イノベーション』に過度に依存している、経営者にも考えて欲しい。まず従来のやり方で、優位に立つ方法を考えて欲しい。正攻法が成功法である。

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2009年9月29日 (火)

日本的な目標

 首相が、25%と言うとんでもない削減目標を掲げたことが、ニュースになっている。しかしこの手法は、日本的経営手法と通じるものがある。トヨタ方式などを、中途半端に導入した場合には、いい加減な経営者や管理職は、無理そうな目標を部下に押し付けるものである。
 その理屈は、

「無理な目標なら抜本的に見直し、技術革新が起る」

と言う、人任せなモノである。
 しかし、日本の国民性と言うか、自分で哲学を作って進めると言うことは、苦手なことが多い。そのような国民に、とにかく無理と言うことでも目標を示すのは良いかもしれない。
 むかし

 「所得倍増」

などと言った首相もいたと思い出した。

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2009年9月28日 (月)

カントが今の時代にいたら

 今カントの「純粋理性批判」を理解しようと苦労している。そこでは、
  ・理性・・・知識による推論(前提を探す必要がある)
  ・悟性・・・記号的・形式的な推論
  ・感性・・・現実との対応
の3種類の機能を分けて考えている。ここで感性は、現実から直接「感じる」ものである。次の悟性は、形式的にきちんとした「論理的な推論」である。そして、理性は、概念に対する「三段論法」での推論である。
 さて、カントの時代では、あまり出版等の力もなく、理性での推論の前提になる知識が、少なかったと思う。
 しかし現在では、インターネットの上で多くの情報が溢れている。従って、理性のレベルでの、前提が溢れているように思う。そのような状況での推論は、正しそうなものを上手に選ぶことが大切だと思う。

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2009年9月27日 (日)

裁判員制度と民主党政権

 近頃のニュースで色々と議論のある、民主党政権と裁判員制度の共通点を考えてみた。私の考えでは、

「専門家の判断から一般大衆の判断へ」

がキーワードであると思う。
 裁判においては、専門用語が飛び交い、思考の厳密さを売りにした、法曹関係者の閉鎖社会に一般人への説明が入ってきた。また、量刑判断にも前例に捕らわれない一般人の感触が入っている。これは、判例を多く知っている専門家の知識比べでの量刑決定に、一石を投じたものであると思う。
 また政治に関しても、官僚と言う専門家でなく、選挙で選ばれた国会議員中心の政策決定と言うことで、これも専門家排除の動きである。
 考えてみれば、これだけ情報が公開されている社会では、専門家依存は、従来とは別の形にしたら良いと思う。

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2009年9月26日 (土)

インテグラルな物づくりの中のモジュラー化

 モジュラーなものづくりについて、色々議論されている。基本の発想は、東大の藤本先生の著作にある。しかし、私は、現場の経験と言うか、必要に追われて行う、インテグラルなものづくりの中でのモジュラー化について少し述べてみたい。

1.モジュラー化を行う行動特性
 お客様の要求に忠実に対応する、インテグラルなものづくりを行っている中で、必要に駆られて、モジュラー化を実現する。このような作業を行う者達の行動特性は、以下の2点を重視している。
 ・お客様第一で、要求実現を第一にする
 ・現実的な資源(納期も含む)での実現のため、常に効率化を考える

2.通常の業務遂行姿勢
 業務効率化のために、出来ることから実行していく。具体的には、小さな部品のレベルから、標準化を行っていく。このような効率化の成果が出ると、モジュラー化による標準化の動機が強くなっていく。しかしながら、このようなモジュラー化は、あるレベルで限界になり、それより上の組み合わせに成ると、擦り合わせが強くなってくる。

3.ブレークスルー
 そこで、もう一段階上でのモジュラー化・標準化を行うためには、視点を変える必要がある。具体的には、お客様の立場で考えて、スペックの裏まで見通すようにする。このような高い視点が取れると、ばらばらの要求物の変化範囲が絞られてきて、共通点も見えてくる。
 そのなかで、微細な調整や、組み合わせで要求事項を実現する、より高度のモジュラー化が、実現できるようになってくる。

4.歯止め
 このような、高度のモジュラー化が実用化するためには、想定したお客様の利用状況などを上手に説明する、文書化の能力が必要である。きちんと文書化して全体像を見せることで、モジュラー化の利用者が増えるようになる。そして規則に落とすことで、残すことができる。

5.補足
 このようなもの造りを実現するために、管理職の果たす役割を考えてみた。
 ・実務を行う人間の動機付けを確り行う
 ・価値観が確りしていると、小さな改善で成功体験を積ませる
 ・関連して、必要スキルを身につけさせる
 ・必要な設備などサポートを適切に行う
このようにやるべきことは多い。

なお、この記事は、日経BPのHP
 http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090917/175446/
にヒントを得たものである。

日本のもの造り哲学 日本のもの造り哲学

著者:藤本 隆宏
販売元:日本経済新聞社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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いわゆるハウツー本について

 あるところで人生相談で、

「上司がハウツー本ばかり薦める。もっと深い本を読みたい。」

と言う相談を見た。確かに、学生時代に確り本を読んできた人には、ハウツー本は軽薄に見えるかもしれない。しかし、古典の本ばかり読んでいても、現実に対して即適用できるものではない。そのような時、理論の現実での活かし方を教えてくれるのは、『適切なハウツー本』である。
 もう一つ深読みすれば、若い時には、

「大原則の正論を吐くが実務が出来ない」

ことが多い。そのような子に対し、上司が直接言わずに、『ハウツー本』を薦めることも大いにありうる。
 最も近頃は、古典を読まなくなったなー。

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2009年9月25日 (金)

イノベーションに依存するのが良いのか?

 経営状況が厳しくなってきたので、各企業はより多くの利益を生み出す仕組みを、求めている。その場合に出てくる一つの意見は、イノベーション待望論である。確かに、イノベーションによって大きな利益創出を行った事例はある。しかし、劇的な新技術や、新市場を求めるのが正しいのであろうか?地道な改善の積み重ねで、現在の利益を確保し、増やす工夫も大切ではないかと思う。
 特に気になるのは、状況が悪くなった時に、経営者はギャンブルを行う傾向があるということである。一発逆転を狙って、成功すれば大きな利益という話しに、リスクに目をつぶり飛びつく傾向がある。太平洋戦争後半の日本の軍部の書いた作戦は、大部分はこのようなものであった。そして新兵器を求め、特攻に至った。近頃では、年金の運用利益を確保するために、アメリカの怪しげなファンドに引っ掛かっている。
 新しくて、大きな利益と言う話しは魅力的だが、まず現状の足場できちんと利益を確保して欲しい。

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2009年9月24日 (木)

数学の使い方

 金融工学の話しを聞くたびに、『数学に使われてはいけない』と思う。数学は、単なる道具であり、『適切な前提から、結果を得る』ために使うべきである。しかし、数学の道具としての強力さは、的中した時に大きく印象付ける。そして、その力に溺れて、適用範囲があると言うことを、忘れてしまう。数学は、強力道具であるが故に、確り制御して使わないといけない。
 これは、カントが「純粋理性批判」で、述べたことだが、今でも数学に惑わされている人が多いように思う。

純粋理性批判 下    岩波文庫 青 625-5 純粋理性批判 下    岩波文庫 青 625-5

著者:カント
販売元:岩波書店
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2009年9月23日 (水)

若い人が優先順位をつけられないのは?

「若者と優先順位」について本屋で見た。これで思うが、若い間はあれもこれもで迷うのが当たり前ではないか。全体が見えないから、何もかも重要に見える。これが若い純粋さと思う。

また学校と言うものも、優先度をつけにくくしているのではないか。「英語は嫌いだから宿題しません」「国語が好きだからしました」などと言えば、どんな風な結果になっただろう?

なぜ若者は優先順位がつけられないのか? (学研新書) なぜ若者は優先順位がつけられないのか? (学研新書)

著者:長谷川 一弥
販売元:学習研究社
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日本的な意志決定

 日本の企業のものづくりについて、少し考えてみた。標準化などを行うとき、日本の場合には実際にできたものを擦り合わせ、それの共通部分を皆が衆知をあわせて、標準に持っていくことが多い。作業標準等は、暗黙的に合意になっていくことも多い。
 一方、欧米のものづくりでは、トップダウン的に、
   「指導者が方針を出し、それに従え」
と言う形で進むことが多い。この場合、トップのポリシーと言うか哲学と言うか、そのようなものが重要になる。
 この二つについて、昔の剣豪の話を思い出した。剣術の極致には、狙ったところに必ず届く神妙剣がある。しかし、その上に人の思案を超えた夢想剣があると聞く。
 日本的な発想では、哲学的に指導されるより、衆知の結果としての自然発生の動きの方が、強いと言うことであろうか。

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2009年9月22日 (火)

部分情報から全体を知るために

 よく言われている、「一を聞いて十を知る」はどうしたら実現できるだろうか?これは、事前の準備と言うか、悩みがあるから成立することである。ここで、適切な悩みと言うか、問題設定を行えば、情報を効果的に使えるようになる。まずどのよう現象が起るか考えてみたい。
 (1)確認する効果・・・不安を除く効果
    自分のおぼろげな考えを、一つの実例で後押しする。
    経験的に行ってきたことを説明する理論との出会い。
 (2)破壊する効果・・・今までのモノを壊す
    今までの先入観を壊す強烈な反例との出会い。

 (3)類推を与える・・・全体像が見えないときに有効
    全体的な構造や、新たな関連項目を思いつく。

 (4)三段論法の利用
 (4-1)前提条件を探す
    実例の中から、前提にある条件を見出す。
 (4-2)中間項を探す
    一般論に当てはまる、現実のものを見出す。

このような情報を求める疑問を出し、探すことで、
  「判った」
と言う体験をすることができる。  

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物余り時代の供給業は?

 雑誌出版と、デパート経営、これを物余りと言う時代で、考えてみた。雑誌については、インターネットの環境で、単なる情報の入手は、簡単にできるようになっている。例えば、1970年代に私が仕事をしていた時には、雑誌記事を見て、インテル社の新製品がどんなものか知った。今なら、何処のメーカーでも、ホームページに必要な情報は公開されている。また、大学などの発信もあり、新情報の入手には、不自由しない。
 一方、デパートについても、40~50年前なら、大抵の欲しいものが揃う便利な所であった。しかし現在は、専門店が多く展開し、一方ネット上の通販もある。
 つまり、両者とも30年以上前の、知識や物の不足時代に、便利だった仕組みである。さてこれらが、現在の世界でどのような存在価値を、生み出すのであろうか。私は、両者とも生き残る価値はあると思う。なぜなら、両者は
  「単なる知識・物の供給だけでなく、評価を加えた提案」
を行っていたからである。もう少し言えば、雑誌に於ける『編集機能』、デパートに於ける『店舗配置計画』が、利用者に対して、価値観を伝えて主張していた。このような能力は、情報余り、物余り時代だからこそ、必要である。迷った利用者に対し、どれだけ助言を与えることができるか?これが今求めれれている、付加価値だと思う。
 具体的には、雑誌に関しては、
  「これだけ読めばよい」
記事があればよいと思う。
 一方、デパートならば、お客様の要望を聞いて相談に乗りながら、展開している店舗を案内し、必要なものをそろえる、サービスなどが良いと思う。例えば、
  「親子で同一デザインの服を着たい」
などと言う要望があったとき、
  「子供服は3階で、ヤングミセスは4階で、紳士服は5階です。」
等と、呆けた案内をせずに、同じブランドの店を案内したり、一つの部屋に取り寄せて提案するなどのサービスがあっても良いと思う。
 このアイデア、どこか買ってくれませんかね?安くしておきますよ。 

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日米論文生産方式の比較

 ネット上を探していたら、日本の経営学が世界に向けて発信する力は、アメリカに負けていると言う意見があった。
http://www.president.co.jp/pre/backnumber/2006/20060918/1150/
 この中で、

「アメリカの研究世界は、論文作成もモジュラー化している。」

と言う話が面白い。確かに、日本の経営学研究は、今までの前提を覆すようなものも多く、翻意しないと理解してもらえないようなものが多い。そういう意味では、『インテグラル』な研究である。この場合、大先生の成果発表は出来ても、若手の研究が育つ機会は少ないよう。
 一方、アメリカの研究は、大方針に従った中で、部分的な成果を積む『モジュラー』な形で若手を鍛えている。ポランニーの『暗黙知の次元』にもあるが、研究者としての出発点は、『身の丈にあった問題を解く』ことからはじめるのが、入りやすいと思う。特に、アメリカの研究者は、小さな問題を解く過程で、方法論をきちんと教え込まれている。
 しかし、日本の経営学は、現場の意見は謙虚に吸い上げているように思う。現場の意見は、論文のレベルまでは整理されていないが、擦り合わせに活かせば、大きなものを生む力がある。米国の良い所を取り入れると共に、日本の良さも残して、『日本式経営学』を育てて欲しい。

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2009年9月21日 (月)

マイクロ・グリッドの意味を考える

 電力の利用者側で、有効活用を図る、スマート・グリッドがアメリカ等で注目を浴びている。この動きに関して、日本では沖縄電力が、検討を進めている。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090708/199541/
http://business.nikkeibp.co.jp/article/tech/20090916/204862/

 この動きが、今出たということは意味深い。現在の日本の電力供給は、大電力会社の責任で、中央給電指令所をトップにした、全体最適化のシステムで運用していた。そして配電の末端の微妙な変動を、大電力の供給の中で吸収していた。更に言えば、風力や太陽光などの自然エネルギー等の不安定な電力供給に対しても、電力会社に買い取り義務付けをさせ、しかも変動に対しても、それを受け入れろと無理を押し付けてきた。つまり、

 「大会社だからそれぐらい面倒を見ろ」

と言う論法である。言い換えると、

  「日本の電力政策は、『大電力会社』に親分としての責任を負わせる。」

と言う図式であった。一方アメリカは、自由の国であり、発電と送電の分離で、自由な電力調達を実現していた。その結果、『ニューヨーク大停電』を発生させても、何処の責任と言うことが曖昧になり、犯人探しと再発防止も大変な作業となった。一方、日本の場合には、

「阪神大震災時の関西電力の電力供給維持の名人芸」

を、中央給電指令所から末端の作業者まで一体になって動いていた。

「姫路や赤穂などの火力発電所群から、大消費地の大阪地区に向かう大動脈の一部である、神戸地区の送電線が寸断された状況で、系統安定のための迂回路を、全系統に波及しないように、短時間でで設定する。」

これだけでも、至難の業であるが、その他にも多くのトラブルが発生している。このような難題を、全系統停電を起こさずに切り抜けたことは、電力会社の供給責任の重みを、社員全員が共有していたからと思う。このような、”親分”としての大会社の責任は、戦後体制の特徴でもあった。
 さて、ここでスマート・グリッドを導入する意味を、もう一度考えてみよう。スマート・グリッドの発想は、消費者に近い所で、電力の供給を安定させる働きである。つまり、親分に頼らず、現地で自活すると言う発想である。確かに、島嶼地区をかかえる沖縄電力ならば、この発想は自然と思う。しかし、大きな流れとして、中央に頼らず末端で、責任を持つという発想で、スマート・グリッドを考えるならば、これは大きな変革になると思う。
 そうなった時、電力会社は、「良い発電業者」から電力を購入し、「良い消費者」にしか電力を供給しないと言う発想まで進むかもしれない。分散と集中と言うことは、色々な側面で検討していくべきである。

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努力を見せないといけなくなった

 昨日のNHKスペシャルでは、「ON(王・長嶋)」について、取り上げていた。特に、天才と言われた長嶋選手が、人に見えないところで、必死の努力をしていたことを伝えていた。当時の長嶋=天才というイメージは、マスコミも含めて作り上げたものであった。そしてそれに答えるために、隠れたところで必死の練習をする。一方、見ているファンの方も、長嶋先週の努力についても薄々は知っていた。しかし、天才と言うことを受け入れていた。
 しかし現在は、

 プロとアマの境目がはっきりしなくなった時代でもある。まれにすごいことを、さりげなくやってみせる人たちがいる。そういうひとこそ不世出の天才というものなのだろうが、天才でないことをわきまえた昔の並のプロは、見た目からまずガツンと威嚇してみせてきたのだろう。

 しかし、いまは謙虚にしていたんでは、だれも陰の「努力」に目をむけない時代なんだと紳助さんは言いたかったのかもしれない。

である。(日経BP社のHPから引用)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090917/205019/?P=2

天才を認めにくい世界になってきたのが、本当の天才が生まれにくく、ブレークスルーが少なくなった要因ではと思う。

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2009年9月20日 (日)

独創的な意思決定について

 経営者の意思決定は、他の人間より早くないといけない。しかし、独断であってはならない。このために、生き残る経営者は、二つの戦術を持っているように思う。まず一つは、速い検討を行っていても、代案や対抗案の考慮や、リスク検討を忘れないことである。そしてもう一つは、実行時に間違ったと思えば、直ぐに変更する柔軟さを身につけていることである。
 前にも書いたが、新しいことへの反応は、「独断・懐疑・批判」の3段階がある。ワンマン経営者はカリスマ的に、独断的な判断を行うことが多いように見える。しかし実際は、彼の頭の中では、きちんと批判を行っていたり、きちんと助言する人に、反対意見を言わせるようにしていることが多い。そこまでしないと生き残れない。一方、大きな会社ほど、懐疑論者が多くなり、柔軟な対応が難しくなる。
 カリスマとドンキホーテを分けるのは、批判能力を上手に使えるかに掛かっているように思う。

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組織としての動きの変化

 組織としての動きが、統一が取れていると、大きな成果を生み出すことができる。さて、その方向付けは、どうなっているのだろうか。大きく分けて、配下構成員を規則や命令で動かしている組織と、全員が方向付けを共有して自発的な動きが揃う場合がある。全員が方向付けをした、動きと言うものは、魚の群れが一定の方向に動いているようなものである。そこで、注意して欲しいのは、魚の群れが動くと、周りの水流が生じて、魚をその動きにもう一度強制する働きである。組織の動きにも同じような現象がある。皆が行っていることと同じことをするのはやさしい。変えることは難しい。
 さて、変革に対応する場合には、どうしたら良いであろうか。まず、規則や命令で動かしている場合には、トップが動きを変え、それについて来いと言って、規則を随時変えていけばよい。但し、この場合にも、周辺の水流のように、組織構成員に対して働いている、強制力をもう一度見直しておく必要がある。
 一方、全員が方向付けを共有して自発的な動きをしている場合には、その方向付けを変えてもらう必要がある。これが自主的に変化しないと、今までの良さが無くなってしまう。そのためには、今ある状況の『前提』となっている事が変化したと言うことを、皆に納得してもらう必要がある。その上で、構成員の中から『自発的に』あるべき姿が生まれれば、実行される確率が高くなる。
 ただし、どちらの場合にも、組織構成員を暗黙裡に強制している力を考慮して、それを変える配慮が必要である。魚は水の中にいるが、その水が流れていることを忘れてはいけない。しかし逆に、流れを変えれば、比較的容易に組織を変えることができる。自分が水平な大地に立っていると思っている人を、実は傾いている土地に立っていると知らせると、簡単に倒すことができる。このように、環境が変っていることを、皆が本当に認識すれば、変る意識付けはできる。トップの指示だけでは、簡単に変るものではない。

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2009年9月19日 (土)

揚げ足取りが多すぎる弊害

 民主党政権となって、国会答弁を官僚に下書きさせない、と言う方針になったらしい。これは当たり前だが、何故今まで出来なかったかを考えてみたい。
 私の考えでは、野党議員にも責任がある。国会答弁では、『間違ったことを言う』のが一番悪く、『何も実のあることを言わない』より罪が重いらしい。従って、大臣達は、間違わないように専門家に依存するようになる。一方攻撃する野党のほうは、細部の揚げ足取りに注力することが、多くなっていたように思う。
 今度は自民党が野党になったが、今までの政権の経験を活かして、本質的な質問をするようにして欲しい。

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独断論、懐疑論そして批判

 今カントの『純粋理性批判』を読んでいる。難しく簡単に理解できるものではない。しかし、色々使えるものがある。
 まず、
  独断論→懐疑論→批判
の流れが面白い。色々な理論の、前提を無視して無条件に受け入れる独断論が最初に起る。そして、それに対し疑わしいと否定する、懐疑論が出てくる。最後に、何処まで使えるという議論をきちんとした批判が行われて、その理論の効果が定まると言う流れは、色々なところで使えると思う。
 日本の教育の歴史もこれが、当てはまるように思う。まず明治の時代に『教育勅語』で、教師は天皇陛下の言葉を伝えると言う、独断的権力で教えていた。そして、昭和の敗戦で、今までやっていたことの全否定と言う、懐疑論の段階になる。但し、ここで一部には、「独断で理解したマルクス主義」もどきによる、独断論に移った部分もある。
 そして現在は、高学歴の親たちや、外部の目に曝されて、批判に耐えるような、教育になっていると思いたい。

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2009年9月18日 (金)

判ったという経験について(その3)

 昨日までの続きで、もう一つ書いておきたい。判ったということには、2つの方向があると思う。一つは、経験が先行し、理論を学んで、それを説明できるようになる場合である。もう一つは、理論を先に学び、それが経験に繋がったという瞬間である。
 理論と現実の間が複数の例で繋がることは、わかったという一つの瞬間になると思う。

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2009年9月17日 (木)

つながった(判ったの一つ)

 人と話していると、
  「これで繋がりました」
と言われることがある。自分でも、ばらばらだった思考対象が、連鎖した動きを頭の中で見えたとき、本当に判ったという感じになる。
 このように繋がった動きが始まると、個別の対象の機能が、絞り込まれて、明確になっていく。
 私の経験でも、数学の整数論で、整数の組み合わせが基本と納得した時、つながったと言う感じがした。

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2009年9月16日 (水)

判ったという瞬間

 日本語のイメージ共有による伝達について、昨日少し触れた。日本語の単語、特に名詞には、その会話で暗黙裡に共有するモノを、前提として会話が進むことが多い。しかし、このイメージには色々な広がりがあり、多様な解釈が出来ることも多い。
 そして、実際に納得のいく働きは、多様な解釈の中の一つに絞られることが多い。そのような時は、自分の中で『判ったと』と言う瞬間である。これはある種の感動でもある。
 さて、このような解釈の収束は、どのようなときに、生じるのであろうか。以下の様なパターンがありそうだ。

  1. ある実例を見たとき
  2. 類推できるヒントを得たとき
  3. 外部から制約を受けた時
  4. 現状に矛盾を感じたとき
  5. 自分で構造を考えたとき
  6. 動かしてみた時

等、これをもう少し追求してみたい。

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2009年9月15日 (火)

正しい日本語とは?

 日本語の常識が、失われていると言う話しを聞く。確かに、故事を踏まえた言葉の、真意を伝えない用法が多くなっている。これは、日本語の連想機能が豊富と言う一面も、関係していると思う。これについては、別途議論したいが、今回は、『正しい日本語』とは何かを考えてみたい。
 正しい言語の候補には、大きく分けて2つの方向がある。一つは、完全に変えず、従来のままを堅持する方法である。このような発想は、学校教育などで制御している、フランス語が一例である。もう一つは、多くの人が使っているものが正しいと言う発想である。この発想は、アメリカ英語である。
 さて、日本語はどちらであろうか?結構無節操に外国語を取り込むので、完全に変えないと言う思想は難しい。しかし学校で評価して、正しいと言うことを強制しているのは、変化を拒否する方向である。
 こう考えると、正しい日本語と言うものにも、難しいものがある。

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2009年9月14日 (月)

希望の格差

 先ほどのNHKの番組で『希望』について、取り上げていた。そこで気になったのは、

「高学歴者ほど、希望を持ち、低学歴の場合は、希望が持てない。」

と言う調査結果である。これは、本当に正しいのであろうか。確かに高学歴で成功した人間いは、希望があるだろう。しかし、高学歴者の失敗者は、かなり惨めなものであるし、復活能力も低いように思う。
 それは、さておき、低学歴者は、本当に希望を持っていないのであろうか。大学の先生の質問に答えて、上手に希望を言えないだけでなないのではなかろうか。特に、希望と言うと、かっこようくしゃべらないといけないと言う事で、答えられなくなっているのではなかろうか?
特に今までの学校社会では、成績優秀者を目的とした仕組みになっている。成績がそれほどでない場合に自分のやりたいことなど、いえなくなる雰囲気があったのではないか。
 このような観点で、いわゆる『希望の格差』についても考えてみた。 

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努力を継続する条件

 イチロー選手が、9年連続200本安打の新記録を達成した。彼の成功要因の一つは、地道な努力を続けた、常時の改善である。
 このような努力が続く条件を少し考えてみた。まず第一は、微妙な進歩を敏感に感じる力である。努力を続けるためには、自分の努力が、有効であると言う信念を維持できないといけない。その為に、細かい進歩が自分で評価できれば、成果を確認して努力を続けることができる。
 第二には、大きな目標設定の力である。一つの目標が達成すれば、直ぐに満足してしまうようでは、大きなことが出来ない。今得たものに満足せず、少し上の目標を次に設定する。これが大切である。
 このような、能力開発の基本がおろそかにされているのではないか。

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2009年9月13日 (日)

「見えない大学」への入学

 前に書いたが、研究者として、認められると言う為には、あるレベルより上の能力が必要である。これをある人は、「見えない大学への入学を許される」と表現している。
 このニュアンスは、単純に伝えることは難しいので、一つのシミュレーション・ストーリを作ってみた。まず準備段階はここ、
 http://homepage3.nifty.com/manabizz/KdaiBenkyou1.pdf
次に、認められる瞬間は、下の5~6ページに書いている。
 http://homepage3.nifty.com/manabizz/KdaiBenkyou2.pdf

なお、この話しは、前に話題になった本を踏まえたものである。(パロディにしてはまじめだが?)

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難しく考えすぎない

 よく

「技術系の仕事をする場合でも、市場のことを考えろ。」

言われている。そこで、技術系の学生でも、MBA教材のマーケティングの話を、勉強しようとすることがある。
 しかし、実際はもっと簡単に考えて、

「利用者の状況を想像する」

力を持てば、十分なことも多い。何も難しい理論を勉強しなくても、身近なものを活用し、自分で出来ることを、確実に増やしていけばよい。
 仕事において、少しでも関係者のことを思いやる。相手の立場を想像する。これが出来れば、かなりスムーズに仕事ができる。

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2009年9月12日 (土)

Web時代の大学のあるべく姿

 前の記事に続いて、日経BP社の「イノベーション雑記帳」から刺激を受けた内容を書きたい。http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090911/175158/

 Web時代の大学の位置付けについて、この記事で書いていたが、大学に関してはもう一度『暗黙知』の観点で、議論してみたい。詳細は、ポランニーの『暗黙知の次元』を自分で読んで味わって欲しいが、私の考えでは、
   「『大学の暗黙知』として一番大切なものは、本当の研究者を識別する機能」
である。ある人はこれを、
   「見えざる大学に入学を許される」
と言う。研究の為の確りした論理展開、そしてそれを評価する力、適切な課題を選ぶ力等、『暗黙知』としか言いようのない力を身につけた人間が、この「見えざる大学」の学生である。

 大学の機能は、単なる知識の蓄積・伝達だけでなく、本当の研究者を育てる機能があることも、再度認識して欲しい。これは、Webでどう展開するか、大きな課題である。Web世界で門戸を広げるのも良いが、正しく暗黙知を伝授していく仕組みは、単なる放送的な発信では実現しないと思う。ただし、Web2.0となると、双方向性のニュアンスがあるので、このような伝承も可能かと思っている。

暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫) 暗黙知の次元 (ちくま学芸文庫)

著者:マイケル ポランニー
販売元:筑摩書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する


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尖った力と広がった力

 よく言われていることだが

「現在の経済の危機を脱するためには、イノベーションが必要である。」

ことは多くの人が同意するであろう。さて、このイノベーションを効果のある形で実現するためには、2つの段階があるように思う。まず従来の常識では、不可能であると思われていたことを、可能であると示す段階である。次に、単なる可能性から、事業としての実現まで持ち込む段階である。
 最初の、可能性を示す段階では、個人で独創的な研究を続ける『尖った力』が必要である。このような技術者、研究者には、「個性が強い」と言われるぐらいの人材を、上手く活かすことが重要である。彼(彼女)らに協調性を求める必要はない。但し、彼らの成果を見てやる管理的・経営的な立場の人間は必要であろう。
 次に、可能性を示しただけでは、製品等として世の中に出すには、不十分である。例えば、製品として世に出すためには、安定した品質の製品を、適切な工数で作れる様に全工程を実現する必要がある。製品の設計時には、実使用に耐える丈夫さを与える必要もある。従って、研究段階から開発・設計に移る時には、幅広い観点で検討しながら、モノとしてまとめる必要がある。このような技術者には、「広がった力」が必要であると思う。
 しかし、経営上のイノベーションの場合には、トップが「発想し実現までもっていく」場合が多いように思う。この理由は、経営学の『研究』がまだ未成熟と言う面もあると思うが、経営者が今までの経験で、元々幅広い見識があり、そこに特定分野で『尖った』力を出してブレークスルーして、新しいビジネスモデルを実現させる。このような経営者のT型人材の能力が、力発揮したと思う。
 さて、このような人材の育成には、どのような手段があるだろうか。一つの考えは、旧制高校の様に、大学の初年時に全寮制で交流し、専門に別れる前に色々な立場で、議論するなどの仕組みも良いのではと思う。
 一方、「尖った能力」を活かすためには、「寮などにいれず孤独に耐えるような方針」も有効かもしれない。ただし、企業において研究する場合には、地道な仕事で利益を出し、研究者の生活を支えている人達を忘れないために、全寮制なども良いかもしれない。
 この記事は、日経BP社の『イノベーション雑記帳』を参考にしました。
http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090911/175158/

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2009年9月11日 (金)

自分で行うと言うこと

 独創的な研究と言うものは、人に理解されるまで時間が掛かるのが常である。誰もがイメージできないようなものを提案するのが、独創である。少なくとも、コンピュータ・シミュレーションを行った後なら、他人からも見れるかもしれないが、理論的な話しでは理解することが難しい。
 私が、若い学生さんにアドヴァイスしたことは、

「どんな分野の研究を行うにしろ、自力でシミュレーションプログラムが組める程度の、プログラミング能力を身につけておく。」

である。独自の研究は、他人に理解できるものではない。自分イしか出来ないものは自分でプログラムを作るしかないのである。
 さてここで、経営学などの世界を考えてみた。日本の大学の先生が、自分で会社を経営していると言う話は少ない。このような状況で、自分の独創を人に示すことが出来るのであろうか?

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2009年9月10日 (木)

大学の学科(学部)の選び方について

 ある機会に、高校生の息子を持つお母さんと、話す機会があった。私は、文系ならば、経営学科(経営学部)への進学を勧めたが、その時のお母さんの答えは以下のとおりである。

 「経営学と言うと社長さんの学問でしょう?うちの子なんかにはとても!」

 私は、経営学科(学部)で教える科目は、会社生活で役立つ知識が多いから、進学を勧めたのだが、経営学と言うと
   「社長さんになる学問」
と言うイメージがあるらしい。
 しかし、経営学部(学科)で教える科目には、市場の話や、資金に関する、実用的な話しが多くある。理系なら工学部、文系なら経営の学科が、基礎知識では、企業への就職が有利ではないかと思う。その専門性を活かさないのは、採用側にも原因があるように思う。もっとも、就職試験の席で、
    「御社の経営方針は間違っている」
などと言う、上から目線の学生には、採用したくないと言うのは、解からないことはない。

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2009年9月 9日 (水)

学校的な社会の弊害とその対策

 今の学校制度の弊害を、一言で言えば、子どもに「正解」を求めすぎていることであろう。そして教育を受けた人達が、何事に関しても「正解」を捜し求めると言うことである。その付録として、失敗を極度に恐れるようになる。そして、一度の失敗で、全てが終わったように考えてしまう。このため、試行錯誤を繰り返しながら、良くしていくという方法も取れなくなっている。
 そのほかの弊害として、順位をつけすぎているように思う。
 少なくとも会社生活では色々な役割がある。しかも、試行錯誤しながら少しでも良くする努力も必要である。
 このように学校的で無くなる努力も重要である。

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2009年9月 8日 (火)

組織にとって必要なものは

 組織にとって、皆の意見が一致することは、必ずしも必要はないと思う。しかし、評価尺度に於ける合意は大切である。意見が分かれたときでも、どちらを選ぶかと言うことで、判断基準が一致すれば、後までしこりが残るものではない。
 さて、今回の選挙の後の、民主党の動きを見ると、今回だけの勝利ではなく、続く選挙まで見据えた動きのために何が大切か、こういう価値観が確りしているように思う。一方、自民党では、首相指名に誰を入れるかすら、意見がまとまっていない。しかも、老害の大物と、若手の間には、価値観の違いが大きいように思う。これだけ見ても、敗戦理由がよく判ると思う。
 今回の民主党の反応を見れば、前回の郵政選挙の後の、自民党の思い上がりがよく判る。やはり、負けるべき政党であった。

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2009年9月 7日 (月)

開発と研究の違い

 理系の就職志望者の中には、「研究・開発」を行いたいと言う人が、多くいる。しかし、研究と開発の間には、大きな溝がある。これを、知っておいて欲しい。なおこの考えは、私が企業における経験から書いたもので、世間一般の理解と同じかどうかは保証できない。
 さて、私の定義では、
   研究の目的は、可能性を示すこと。
   開発の目的は、良い製品を作れるようにすること。
である。もう少し補うと、
   研究の場合には、その方向は不可能であると示すことも、大事な成果である。
   開発の場合には、あらゆる手段を使って、製品化しないといけない。
となる。研究と開発が分離していないと、不可能なことに多くの開発費を投じ、しかも今までの開発費がもったいないからと、更に泥沼にはまるケースが出てくる。このようなことにならないため、可能性を研究段階で確り見極めておくことが大切である。
 研究段階では可能性だけ示せばよいので、実現手段や製造のし易さなどに、配慮せずに、理論的な可能性を求めて、突き進めればよい。とにかく一点のブレークスルーを得る。これが研究の目的である。
 一方開発の場合には、研究成果である、成功可能性を見ながら、生産性など周辺を見て、丈夫な解に育てる努力が必要である。この時は、とにかくブレークスルーしているのだから、周辺の状況を加味して行けば、いつか成功することが多い。開発と言うのは、このように成功可能性が高いことに、資源を投じるべきだと思う。
 このような、開発の前の段階をきちんとすることも、経営者の大事な役割と思う。

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2009年9月 6日 (日)

制御工学と言うものは

 「ものつくり敗戦」を、日経BP社の技術コラムで紹介されたので、読んでみた。http://techon.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090903/174908/
どうも、著者の意見には同意できないが、一つ思いついたことがある。
 この本の著者は、制御工学の専門家である。制御工学では、システムと言うとフィードバックなどを中心とした、制御系のことを言う場合が多い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%B6%E5%BE%A1%E7%90%86%E8%AB%96
 これだけで、システムが記述できるかと、問われると難しいものがある。しかし、工学の基本として、線形システム論ぐらいは理解しておいて欲しい。電気回路や機械系でも、単純なフィードバックの思想は、色々と応用が利く。
 制御工学は、要素技術として、数学の一つの応用例として、工学部出身者の多くの人が学ぶべきではないかと思う。

ものつくり敗戦―「匠の呪縛」が日本を衰退させる (日経プレミアシリーズ) ものつくり敗戦―「匠の呪縛」が日本を衰退させる (日経プレミアシリーズ)

著者:木村 英紀
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日本の政治とは?

 戦後の日本の政治は乱暴に言うと、右肩上がりの経済成長と、アメリカと言う保護者に頼った政治であった。特に終戦直後は、米ソ対立を上手く使って、アメリカから色々な補助を引き出し、その後は、右肩上がりの経済成長に持っていった。
 このような状況では、政治と言うものは、本質的に富の分配であり、しかも前後の順番付け程度の問題であった。このような状況に、上手く適合したのが、自民党の面々であり、地元に対するバラマキをいかに上手に行うかが政治であった。そこでは、政治決断を失敗しても、何とかつじつまを合わせてきた。例えば、関空を作り、伊丹空港の騒音問題を解決する。これを実行した後、伊丹空港の跡地利用の発想がなく、「地域が寂れるから!」と、地元の(騒音対策で空港出て行けと喚いていた)市長達の陳情を受け、もう一度伊丹路線を大幅に復活する。そして、関空の不採算対策には別予算で、などの無駄も許されてきた。これは、数学的に言えば、積分効果で、小さな変動を吸収し、大きな流れに沿っていくようにする。これを政治がになっていた。
 しかし現在は、安定的な経済状況で、有限の資源を有効利用しつつ、将来への布石もきちんと打つ必要がある。微小な変化が、将来に大きく影響するようになってきている。従来の、積分効果はもう期待できない。細部の動きが、将来大きく影響する。そのような考えで、政治についても考えないといけない。

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ビジネス・インサイトを読んで(その4)

 「ビジネス・インサイト」について、もう少しだけ書かせてもらいたい。今まで、批判らしきことも大分書いたが、この「インサイト」の効果は、大きいと思う。ただ、インサイトを得るのは、従来の「仮説検証」の手法でもあると思う。
 例えば、コンピュータのプログラムを検証していても、1ステップ1ステップをきちんと追いかけていると、ある時頭の中でプログラムが動き出すことがある。これは、「棲み込む」と言う現象と同じではと思う。また、コンピュータシミュレーションのモデルつくりでも、ある瞬間から収束しだす。このような現象は、同じではないかと思う。
 もう一つ言えば、従来から『科学的』と言う概念も、大分変っているように思う。例えば、心理学でも、科学的な客観的手法重視から、内面まで踏み込む『認知手法』が広がってきた。このような発想で、経営学に持ち込んで『棲み込み』などの言葉が生きていると思う。
 なお、もう一つアイデアを出せば、組織に対しての、コンピテンシーのようなものを求めるのも面白いと思う。社史の読み方を、コンピテンシー発見と考えるのも一つの手法と思う。

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「ビジネス・インサイト」を読んで(その3)

 「ビジネス・インサイト」についてもう少し書きたい。この本で、「対象に棲み込む」ことを重視している。つまり、その状況に自分を置いて、考えることを重視している。
 この考え方は、主観的になりすぎるという欠点はあるが、多様な見方から新しい発想を引き出す可能性がある。また、別の見方では、
  「上から目線の評論家的発想」
を防止する効果がある。企業に勤める立場で、大学の先生たちと話していて、感じるものに、動じても、上記の「評論家的発想」と言う感じをすることがある。先生方にそのような話しをされても納得がいくが、大学生や新入社員にまでそのような言い方をされると、少し反発を感じてしまう。このような経験からも、
  「大学の理論は役に立たない」
と言う企業側の発言に繋がるのではと思う。
 この応用として、会社の『社史』を読むときも、現時点での知識を一旦外し、その時代の環境に『棲み込んで』読むことで、
  「何故その時の指導者がそのような行動をしたか」
共感することができるようになると思う。このような読み方をすれば、企業理念なども生きて見えるのでないか。
 この本にあるケース・スタディの指導を受けることは、就職活動にとっても有効だと思う。

ビジネス・インサイト―創造の知とは何か (岩波新書) ビジネス・インサイト―創造の知とは何か (岩波新書)

著者:石井 淳蔵
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2009年9月 5日 (土)

「ビジネス・インサイト」を読んで(その2)

 先般も書いたが、岩波新書の「ビジネス・インサイト」には、色々と参考になることと、同意できない話しがある。そこで、気になることについて、もう少し書いてみたい。
 今回は、大学の研究と、実務の関係について、もう少し議論してみたい。同書では、
  「経営学だけが、大学の研究が実用と結びつかない」
と嘆いているが、私の感触では、例え工学部出身者ですら大学での研究が、そのまま実用になる例は少ないと思う。ただし、技術系の場合には、工学部の基礎勉強を仕事で活かす仕組みができている。一方一つの仮説では、経済学部等の文系では、昔から、
  「大学で学んだマルクス主義の毒を消す」
仕組みが出来ていたのが、現在の「大学と企業のギャップ」に繋がっているのかもしれない。
 しかし、経営学の先生には、大学の研究と企業の現場のギャップは、押さええておいて欲しいと思う。
 これと関連して、経営学の議論を使う使わないと言う話しがある。この話しは、大企業の部長・課長が経営学の講座を効いても役立たないと言い、規模の大小を問わず経営者の立場では、自分の仕事に活かせると言う、状況である。この理由は、大企業の部長課長は、現状に満足していることが多く、経営者は危機感が大きいので必死に学問を活かそうとする。この勢いの違いがあると思う。もう一つ、経営者には自分の裁量範囲がある。自分の最良で試すことが出来れば、知識を活かす方向が見えてくる。この差があるように思う。
 なお、大学の先生と、一般人とは、論理的な道具の使い方が違うと思う。仮説検証などの手法は、一般人では使えないように思う。逆に、この本で言う『棲み込み』の方が、使いやすいのではないかと思う。私なども、創造性の訓練を先にしたので、ストーリィを書いてシミュレーションする考え方を先に行い、部分的に仮説を設定して、検証するほうが多い。仮説検証の方法は、野中先生が訳された、『理論構築の方法』を数年費やして、何とか理解することが出来た。このように、大学の手法は一般では使えないことにも、大学の先生には配慮して欲しい。 

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2009年9月 4日 (金)

女性の仕事場について

 昨日も書いたが、社員個人が責任ある仕事をしながら、必要に応じて休めるような職場は、今後増やす必要がある。特に、子育て中の女性にとって、子どもの急病などで、休む機会が多くなる。このような状況でも、気持ちよく休める環境を作ることが重要である。
 実は、私の部下にも、シングルマザーがいる。彼女が、責任を持って仕事をしながら、しかも必要に応じて休めるようにする。その為には、相互の情報共有によるバックアップ体制を強化している。但し彼女自体も、お客様重視の行動で、深い信頼の人脈を築いている。これは、少しぐらい休暇をとっても揺らぐものではない。
 これが休暇をとっても、責任のある仕事を行なう、一つのパターンではないか。

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2009年9月 3日 (木)

仕事を休める環境について

 会社を休み難いという状況は、現在の日本ではよくある話しである。特に、責任のある仕事を任されている場合には、休み難いことが多い。一方、誰でもできる仕事の場合には、代わりの人の手当てがつけば、比較的簡単に休めるようになる。
 ここで、課題となるのは、個人の仕事に関して、尊敬を受けながら、しかも比較的容易に休める、仕事の環境を作ることである。
 まず、
   『仕事で尊敬を受ける』
と言うことはどのような条件であろうか?まず一つの条件は、
   『その人でないと出来ない』
と言う仕事を持っている場合である。これは、確かに大事なことである。一つの組織で存在感を示すためには、
   『ある分野でぬきんでた力を持つ』
ことである。その時、
   『他人の追随を許さない』
ことは、一つの到達点である。それでは、このような人が、自由に休めるのであろうか?
 ここでもう一つ大切なことは、その仕事を必要としている、(広い意味での)お客様の存在である。『お客様』と言うものは、本来わがままなものである。そのお客様が、突然の要求を出す。しかも、それを即時に解決しろと言う。それを、
   『その人でないと出来ない』
人が対応することになれば、『その人』は休めない。インフルエンザにも罹ることが出来なくなる。
 インフルエンザの蔓延などを考えると、このように一人の人間に依存すると言うことは、非常に危険である。そのため、心ある管理者は、一人の人間が仕事を抱え込まないように、複数人がバックアップしながら対応できる仕組みを作っている。例えば以下の項目がある。

  1. 情報共有の仕組みができている
  2. 判断規準や価値観の共有が出来ている
  3. 組織員の間での思いやり

このような形で、相互支援の形をつくるのが一つの条件である。しかし、このように相互支援を行う人材を抱えると言うことは、余剰人材に繋がってくる。この対策としては、業務に優先度をつけ、平常時に実行していても、緊急時には止めることができる、仕事を持っておくことも重要である。このような仕事を取ってくることも、管理職の腕の見せ所である。
 さて、もう一歩踏み込んで、存在感のある社員とは、どのようなものであろうか。自分の仕事のコツを隠し、『秘伝のXX』等として、自分だけしか出来ないものを持っているのは、本当に尊敬に値するとは言いがたい。確かに、長年の訓練で身につけたものは、尊敬に値するであろう。しかしそれも、後継者を育てると言うことがあって始めて成果として認めるべきである。
 そこで、最後に残るものは、
   『人間性』
と言うもので、尊敬を受けるのではないかと思う。特にお客様からの信頼と言うことが、一番大切だと思う。

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2009年9月 2日 (水)

経営者は跳ぶものか?

 「ビジネス・インサイト」を読んだ。参考になる点もあり、反論したい話もある。まず最初に、序章から気になる表現がある。

経営者は跳ばないといけない。

確かに従来の延長で仕事をするだけなら、経営者は要らなくて管理者だけいればよい。
 但し、本当に『跳ぶこと』が必要であろうか?
 経営者には、部下の誰よりも、高い視点から、広く見た判断が必要である。そのよう観点からの決断には、部下の目から見ると不連続で『跳んでいる』様に見えるかもしれない。しかし、経営者の視点では、継続になっているのではなかろうか。
 もう一つ、『跳ぶ』と言う言葉には、どうしてもギャンブル的な要素を感じてしまう。確かに、確実な情報がない段階での決断は、経営者の宿命である。しかし、できる限りの知恵を尽くした決断であって欲しい。確かに、狭い視野からしか見ていない部下にとっては、ギャンブルであっても、経営者にとっては勝算のある仕事をして欲しい。
 現在のように、苦しい経営環境にある時には、どうも一発逆転を狙う向きがあり、ギャンブルに傾きそうな気がする。そのような危険を感じて、『跳ぶ』と言う表現には、反対意見を出したい。

ビジネス・インサイト―創造の知とは何か (岩波新書) ビジネス・インサイト―創造の知とは何か (岩波新書)

著者:石井 淳蔵
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2009年9月 1日 (火)

組織のスキルとは?

 前にも書いたような気がするが、スキルと言うものを、個人から組織に広げて考えると、色々面白いものが見えてきそうである。
 まず、組織内のコミュニケーション能力、相互協力体制が一つのポイントである。お互いが信頼し、力を重ねていく。これができるかどうかで、成果は大きく変る。さらに、情報の蓄積、相互協力の発想なども大きいと思う。
 それ以外に、お客様のことを調べる仕組み、マーケティングのリサーチ能力などもあるように思う。このような組織のスキルを考えてみたい。

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