ある憲兵隊長の日露戦争秘話(その3)
2.旅順の戦い(第一回総攻撃)
西南の役の戦場イメージは消えて、霊界からの声が響いた。
「まず始めに、確認しておくが、旅順の攻略の意味をお前は知っているか?」
「旅順艦隊を撃滅させるために行った、と聞いていますが。」
「それが根本的な、理解不足だ。日露戦争の日本陸軍にとって、本当の勝利と言えるものは何だ?」
「奉天の大会戦での勝利と聞いていますが…」
「本当にそう思うか。特に相手はロシアだぞ?」
そこで、また一つの映像が浮かび上がった。それは、西洋人同士の戦いであった。一方の軍は、自分たちの村に火を放ちながら、後退していった。そして、調子に乗って攻めていったもう一方の軍は、冬場に食料もなく惨めな退却を余儀なくされていた。
「ナポレオンのロシア侵攻の失敗の様子だ。ロシア人は退却は平気だ。」
「確かに、ロシアは対ナポレオンの伝統から、戦略的な後退はお家芸ですね。奉天の会戦では、単にロシア軍が交代したと言う話しですから、勝利とはいえませんね。」
「さて、ここで旅順の攻防戦はどうだ?」
「難攻不落の要塞守備隊が降伏したのですから、敗北ですね。なるほど、世界とロシア自らが認める、敗北は、『海の日本海』と『陸の旅順』ですか。」
「そのとおりだ。日本陸軍の戦略的な勝利は、旅順要塞を正面攻撃で落としたことだ。そのため、ステッセル将軍と乃木将軍の写真を、世界に配ることが重要だった。そういう意味で、乃木将軍の功績は大きい。」
そこで、また一つの戦場が見えた。今度は、空から戦場を見渡す形であった。山の中腹に、コンクリートで固めた防御陣地が出来ている。その外側には、鉄条網などの障害物が横たわっている。そして、陣地からは、機関銃の砲口が障害物の方向を向いていた。
そして、その陣地に突撃する兵士の一群が、機関銃になぎ倒されていた。
「あれは、37年8月19日の第一回総攻撃だ。歩兵の突撃の前に、大砲での制圧は十分行ったつもりだったが、機関銃を全て潰すことは出来なかった。」
「これは兵士の命を軽んじる指揮ですね。」
「そこまでは言い切れない。指導者達の無知と言う面はあるが、制圧の砲撃は十分行っていたので、簡単に落とせると言うのが、それまでの軍事常識だった。これで、一万五千八百人あまりの被害を出した。」
「大きな被害ですね。」
「但し、これで戦略的に大きな物が生じた。」
「それは?」
「ロシア側にとって、これで引けなくなったと言う点だ。この時点での敗退なら、『要塞を作っている途中だった。』と言い訳が出来た。しかしここで、確り攻撃を撃退した結果、世界に対しロシアの力を示す、戦略的攻防戦となった。」
「陸の旅順の誕生ですね。この結果、水師営の会見が世界の注目を浴びたわけですね。」
<続く>




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