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2011年6月17日 (金)

日本語の読み方の変化

 灘中の授業の話で、もう一度思ったことは、国語教育の変化である。どこから変化したか不明であるが、国語の読み方が、変化したように思う。
 昔の読み方は、描かれている人間の体験を自分も共感し、再体験していく読み方であったように思う。著者と言うか、描かれている人物か、そのどちらかの心に寄り添っていく読み方であった。
 しかし、今の読み方は、文章自体を客観的に評価し、論理的に読み解くことができれば十分と言う、感じがする。
 このように教え方が変化したのは、なぜだろうか。一つは、試験中心の社会の構造が原因であると思う。試験すべきためには、客観的に評価できることを優先する。そのためには、文章の構造だけで、評価できる論理的な文章読解が主流になる。主観的な経験は、あまり試験には出題されなくなり、軽視されたのではと思う。
 もう一つの原因は、テレビなどの画像情報の普及である。個人の努力で想像する必要がなく、客観的に見える情報を使うことが多くなる。このような面も、思いやりなどのセンスから遠くしているのではないか。

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