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2012年2月19日 (日)

将棋の奥深さ

 日本将棋連盟会長の米長邦雄永世棋聖著『われ敗れたりーコンピュータ棋戦のすべてを語る』中央公論新社、を読んだ。
 正直言って、「プロの一流レベルの棋士が、ここまでやるのか」と言うのが、第一感である。言い換えると、コンピュータ将棋のレベルが、そこまで上がったと言うことである。プロの棋士は、指導対局などで相手のレベルに、合わせて指し方を変えるが、あまりにも定跡を外したり、悪形になるのはあまり見ない。しかし、プロ同士の対局なら、かなり厳しい番外戦術まで駆使して闘っている。今回の対局に当たり、米長邦雄永世棋聖は、コンピュータのデータベースの中身を想定し、保有していないデータで序盤の戦いを有利とする作戦をとった。
 このような対応を取るのは、相手の実力を認めていないとできないことである。
 ただし、私が興味を持ったのは、関係者の動きである。特に、コンピュータ側も米長邦雄永世棋聖にかなりの協力をしている。特に、強力な将棋ソフトであるボナンザの開発者の保木邦仁氏は、データベースの内容を教え、初手の助言も行っている。このような動きには、お互いに最善を求める、求道精神のようなものを感じ、日本文化の特徴をよく示していると思った。
 そう言えば、昔大山康晴十五世名人が、若き日の羽生善治戦において、対局第1日目と2日目の途中の移動などと言う、とんでもない番外戦術を使って勝利した話を思い出した。その時、周辺の人たちは、

「将棋界の将来を託す羽生善治には、これぐらいの経験をさせるのもよいと思う。」

と言う意見であった。今になって、このような配慮の重みを感じる。人間の尊厳を、コンピュータに対して維持するためには、すべての力を傾ける将棋連盟なら、このような伝承は当然行ったと思う。

 ただし、今回の対局において、人間側の価値と言うことでは、大きなキーワードが出てきた。それは、『構想力』である。序盤の戦いで、コンピュータ側が、構想的に負けていたのは事実である。このような力を人間が持つ限り、コンピュータ社会でも人間の値打ちを出せると思う。

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