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2012年4月16日 (月)

キリスト教の布教経験が標準化推進に役立つ

 昨日の「たかじんのそこまで言って委員会」で、面白い意見があった。

「日本人が国際標準化を設定するのが下手なのは、布教経験がないからである。」

確かに、標準化はある意味で宗教のようなものである。そして、自分が信じるものを、他の民族や国家に押し付ける、このような経験は日本人には、特に西洋文明国に対しては持っていない。確かに、明治維新後から第2次大戦中までのアジア諸国に対する、日本流の押しつけには、神社まで作らせている。
 しかし、各国の文明がある状況で、それでも布教する、キリスト教の力に相当するものが、日本にはない。日本人の議論下手の一つの理由に、キリスト教的な異文化の説得経験が弱いということもあるかもしれない。確かに、日蓮宗などには、色々な経験があるかもしれないが、一般的ではない。
 もう一つの側面は、標準と言うのは、良いモノではなく、多くの人間が受け入れるものである。この考えで、説得や議論の力が重要と思う。

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