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2012年4月22日 (日)

文系の大学の弱さ

 現在の日本の弱さは、大学教育における文系の訓練の弱さに一つの原因があるという指摘を見た。確かに、日本の教育は、大学だけでなく、全体的に
   「自分の意見をキチンと言う。」
   「他人の意見をしっかり聴く。」
   「お互いに議論して、良いモノにしていく。」
等の訓練ができていない。知識の詰め込みが高校までの主体である。大学で自主的な研究と言っても、分権の比較考証などで、自分の考えをしっかり持ち、しかも人の考えと擦り合せて、良いモノとする能力ができているとは言い難い。
 これは、経済力の弱さだけでなく、政治的な面にも及んでいる。このような能力は、政治家だけでなく、それを選び評価する有権者にも必要である。有権者にこのような能力がないと、官僚が見下しているから、今のような暴走が始まっている。
 このような教育になった一つの原因は、学校教育の中で、教師が生徒に負けることを、恐れているのからではないかと思う。ディベートなどを入れると、教師が負ける可能性がある。これを恐れる教師が多いように思う。確かに赤本依存の教師には、自由な発想の生徒に負けることが多いと思う。
 加納治五郎が柔道教育を、乱捕り主体にしたとき、指導者が負ける可能性を含んで考えている。
 教育にもこのような考えが必要ではないかと思う。

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コメント

日本人には意思がない。
意思のない人間は指導者には適していない。
ただただ盲従あるのみ。

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