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2012年5月25日 (金)

素人の力と学者の意見

 原子力発電の再開問題の議論について思うのだが、近ごろは専門家の意見と言うものが、重みをもたなくなったようだ。これは、情報の不均衡と言うことで、官僚村や政界村、そして原子力村の人間と、一般人の間に力の差があったころから、ネット社会で巷の賢人の意見が、色々と公開されている世界への切り替え時期の一つの現象ではと思う。
 このような結果、大学教授の発言の重みがなくなっているように思う。但し、今までの大学教授は、自分の専門以外まで、口を出しすぎているように思う。なぜ、数学の教授に「国家の品格」を教わるのか?そのような発言をする場合には、大学の専門とは別の分野であると断って、発言すべきである。
 しかし、素人の意見が全て正しいということでもない。専門家にはそれだけの、推論方式や適切な概念装置がある。これをきちんと評価すべきであると思う。但し、専門家の暴走を止める仕組みと両方が必要であると思う。
 こう考えると現在の一番大切なものは、正当な評価の仕組みであると思う。少なくともそれができない場合にも、批判をきちんと受ける仕組みを作るべきであると思う。

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