ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 教育の役割 | トップページ | 指揮者は審神者 »

2012年5月 4日 (金)

学者vs小説家

 前にも書いたが、知事等首長のブレーンとして、学者が活動する場合と、小説家が影響を与える場合がある。関西でもは、大阪の堺屋太一氏が前者であり、滋賀の嘉田知事は自らが学者である。しかし、一般的には、学者より小説家の方が、政治に関する活動では、影響力が大きいし、東京大阪の例を見ても、実績が出ているように思う。
 この理由は、学者の議論は、厳密な論理に偏りがちであり、特定の前提で考えることが多いからである。学者の評価は、学会での評価が第一である。その中では、学会構成員が納得する前提の中での、しっかりした論理展開が要求されている。
 しかし現実には、前提としている部分や、想定範囲外の事象が発生することも多い。また、学者の厳密な論理展開は、一般人に理解できないことも多い。
 一方小説家は、読者に理解され、支持されることが重要である。確かに純文学と称して、一般人をバカにしている輩もいるが、大衆の理解を目標に書いた小説は、全般的に納得しやすいことが多い。このような綜合的な観点でのシミュレーションを小説で行うのは、良いことだと思う。
 しかし、学者の研究法にも、思考実験と言う手法がある。思考実験を上手に使えば、一般人にももっと受け入れられるのではと思う。特に工学・経営学などの実用的な分野の研究者は、もっと発言してほしいものである。

« 教育の役割 | トップページ | 指揮者は審神者 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 教育の役割 | トップページ | 指揮者は審神者 »