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2012年5月26日 (土)

成長するための条件(失敗を認める)

 昨日の結論は、批判を正しく受け入れることが大切言うことであった。この裏返しで、日本人は批判に対して弱い面がある。特に、学問の世界でも批判に対して、人格攻撃のような側面を見て、批判を受け付けないような面を感じる。しかし、今までの学問は、批判を受け、今までの体系の不十分さを見出すことで、新しい見方やより精密な構築を生み出してきた。
 カントの純粋理性批判などを読むと、従来の考えを批判し、二律背反に悩むことで、新たな見方を生み出している。但し、従来の成果を否定するが、そのように考えた人間を、否定するものではない。研究成果が、成長するための段階として、『その当時としては』ベストな結果を発表する。これが、時代とともに変化することは当然のことである。このように、進歩すれば前の結果の間違いは見つかる。このような批判結果を受け入れることが、進歩を引き出す条件である。
 しかし日本の現状を見ると、どうもこの考えがしっかりできていないように思う。
 「マックス・ヴェーバーの犯罪」
等と言う本が、売り出されているが、学者の研究不十分での間違いを、『犯罪』などと言って一般に売り出す姿勢が、一つの例であると思う。
 ただし、「日本のヴェーバー研究者の犯罪」なら私は一つは、肯定すべきものがあると思う。このブログでも前に書いたが、「職業としての学問」で意識的な誤訳を広げた研究者と、そのまま無批判に『新訳』で展開している人たちは、動機面も考慮すると、犯罪としか言えない面がある。これは戦前の戦争協力と、戦後の「マッカーサー万歳」の手のひら返し人種の犯罪である。
 戦後の、マルクス主義の悪弊もある程度消えたことだし、そろそろ健全な批判のある世界に変更していきたいものである。

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