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2012年6月 2日 (土)

数学を使うか数値処理の理解か?

 ある大学の広報を見ていたら、

「文系でも数学を必修にしている」

とPRしていた。これを見て色々と考えた。まず数学を必修とわざわざ歌うことである。今の大学入試は、色々工夫されているが、どちらかと言うと科目を減らす向きも多くなっている。このため、高校でも数学を学ばない学生が出ているのも事実である。そのような学生に、数学の重要性のメッセージ手段としての、必修と言う言葉は、少し理解できる。

 しかし、文系で本当に必要なものは、数学であろうか?もう一言言えば、大学で『数学』として教えるべきことは、何であろうか?このような疑問について、しっかりした議論が行われているのであろうか?

 私の考えでは、文系(社会科学系も含む)の学生でも、数値的なデータの処理は、色々なことに使っている。就職後でも、事務屋でも金のことがわからない人間は使えない。金の処理は、数値的な処理である。

 ただし、このような数値処理の実務は、現状ではパソコン上の市販ソフトで実行することも可能である。30年前なら、重回帰分析や因子分析のソフトを組むと言って、大学の学部の卒業研究でも取り上げていた。しかし現在は、EXCELの中の関数などに、そのような機能が入っている。

 従って計算の細部がなくても、因子分析や回帰分析が使える。その意味では、どのようにして、因子分析の計算をするかと言う知識は、不要なように見える。
 しかし、因子分析の意味、回帰分析の意味と言うものは、しっかり理解させておかないといけない。しかも、その計算の限界もしっかり理解させておかないといけない。
 このような方向付けができているのであろうか?

 どうも大学の数学教育は、数学研究者としての考え方を、教えることを目的としているような気がしてならない。高校までの微分で、曖昧な無限小と言っていたのを、デデキントの切断などを引っ張りだして、しっかり考えさせるようにしたいのではないかと思う?(この表現は、私の経験で、このような教育を受けたが、何を言いたいのか全く分からなかったので、したいと思っているかもしれないが、成果は疑問と言う言い方である。)

 大学教育で、文系に数学を教えるより、数値計算の意味をしっかり教えるべきではないかと思う。 

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