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2012年11月19日 (月)

勉強の目的について

 先日、国語の勉強について書いたが、全体的に勉強の目的が、入試対策だけになっているのが、現状ではないかと思う。私の経験では、30歳~40歳以降の、特に総合職または管理職の立場での生き残りには、若いときの勉強の基礎がしっかりしていることが、必要条件である。このような観点で、もう一度勉強の必要性を考えて見たい。
 まず数学であるが、これは論理的な思考法を、身に着けるために必要と言うのが一般的な意見である。確かに、証明問題を自分で解くときに、論理的な考え方を身に着けることは、大きな成果である。前に書いた、必要条件、十分条件と言う話も、証明の基礎的な要素である。しかし、これ以外にもう一つ大切なものがある。それは、文章題などを解くとに身に着ける、問題の意味を考えて、モデル化する能力である。小学校の文章問題をまず、小学校の手法で具体的に解いてみる。その上で、1次方程式に表し、方程式の規則的な操作で簡単に解けることを学ぶ。ここで大切なことは、式で表現する作業をきちんと行うことである。この段階で、意味をしっかり考える。数学には、形式的処理の側面と、その意味を考える側面がある。たんなる機械的な処理だけでなく、なぜそうするのかを考える。また機械的な記号処理は、絶対的なモノではなく、その時々のルールに従うと言うことも、しっかり理解するのが、数学との付き合い方だと思う。
 次に国語については前にも述べたが、論理的に意味を理解することの上に、各人の心に寄り添う訓練が重要である。色々な気持ちがある。そのことを完全に理解できなくても、できるだけ寄り添うことが大切である。
 さて、理科社会であるが、特に社会は暗記ものだけではない。なぜそのような社会制度になっているのか、特に歴史で起こったことを、その理由を考えることは大切だと思う。
 一方理科に関しては、唯一絶対と言うのではなく、自然の前に少しずつ理解を進める、私たちの努力も知っておくべきであろう。
 なお、英語は道具であり、繰り返し訓練して身に着けるものである。この繰り返しと言うことは、スキル訓練の一つとして、大切だと思う。英語に関しては異文化理解の一面もあるが、その前に聞き取り話す能力は、スキルとして繰り返しの訓練が重要である。

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