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2012年11月 8日 (木)

田中文部科学大臣騒動

 今回の田中文部科学大臣の、大学設置認可騒動については、お粗末極まりない結果となった。しかしこの一件を深く考えると、現在の日本社会の問題点が色々と浮かび上がってくる。
 まず、許認可業務のあるべき姿で議論してみたい。岡田副総理が言ったと思うが、

「まだ認可が下りていないのに大学の設備を作る方がおかしい」

と言う議論がある。許可がないのに物を作ってよいのかと言う議論である。例えば、建築許可が出ない条件で、家を建てたらどのような批判と言うか処罰があるのであろうか?
 これを考えると、認可が下りずに大学の準備をする方がおかしいという議論になる。
 しかし、これは大学側を責めるわけにはいかない状況がある。文部科学省に大学設置の認可を求める場合には、しっかりした設備と教員の状況を提出しないといけない。つまり、許認可の判定は、出来上がった形に対して行うのである。そのためには設備も作り、人も確保しないといけない。このような完成した形でないと、審査できないのが現在の許認可の形である。
 従ってここまで進んでいると、認めないと言いにくいのも事実である。
 このように完成品の目算ができないと審査できない点に一つの問題がある。
                                          (続く)

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