ご縁のあった人たち

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2012年12月19日 (水)

尊敬なしに政治家が働けるのか

 今朝の朝日新聞の『耕論』を見て、気になる発言があった。
   「 われわれ有権者は政治家を下に見て、消費してきました。」
このような発想は、私のような古い世代の人間にはなかったものである。確かに、『公僕』と言う言葉はあるが、どこかに
   「国の代表として働く方々には、尊敬の気持ちが必要である。」
と言う考えが基本としてあった。このように自国の代表を、国民が馬鹿にしていたら、他の国にバカにされるのも間違いない。確かに、近ごろの首相のやったことと言えば、バカにしたくもなるが、それを選んだ国民の値打ちも落とすことになると言うことを、理解しないといけない。

 これで一つ思うことは、戦後教育で変な平等主義や、マルクス史観の押しつけが入っているのではないと言うことである。またこれを掲載したマスコミの側にも、一部のテレビ局(朝日系列)には、
   「民主党政権は自分たちが作った。」
等と、思い上がった発言があったと聞く。(これは、「反ポピュリズム」のメディア論が詳しい)
 しかし人間は、機械ではなく感情でも動くものである。馬鹿にされた人間が、その人のために動くものであろうか。国のために働く人にはそれなりの尊敬が重要だと思う。

 ただし、もう一つ考えないといけないのは、日本人の個性として、親子関係が多く、成人間の平等な関係と言うのが、成立しにくくなっていることである。親子の関係だと、どこかで序列をつけたがる。平等を通り過ぎ逆転して、『下に見る』と言う発言が出たのではと思う。
 今後は成人同士の対等な関係で、しかも尊敬を持った行動が必要と思う。このような仕組みについて、維新の会の橋下市長はよく理解しているように思う。

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