ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 人間の器の問題(オリンピック女子柔道問題) | トップページ | 管理職の教材をまとめました »

2013年2月 5日 (火)

本当に勝ちたいのか?

 スポーツ界の体罰問題について、『勝利至上主義』が悪いと言う御仁が時々いる。しかし、女子柔道にしろ、桜宮高校にしろ、本当に勝つための指導者を選んでいるとはとても思えない。本当に勝ちたいなら、少なくとも選手の邪魔をしない『人在』を選ぶべきであって、やる気を失わせる『人罪』を選ぶべきではない。
 確かに、監督や指導者の人選は、勝利のためには重要である。例えば、プロ野球の球団が、本当に勝ちたいと思ったら、野村克也氏を監督に選ぶようなものである。彼の性格の暗さ、どう見ても好感がもてそうにない夫人と言う、負の付録物が付いていてもである。また、彼の体力低下が見えて、現場では難しいと見たら、実績があっても交代させるのも見識である。
 今の日本では、このような監督の人選が、うまく行かないことが多いように思う。その理由は色々あるが、本当の識別力がある人間がいないのではなく、識別力のある人間を潰しているのではないかと言う感じがする。
 明治以降の、日本軍は維新の元老、特に山縣有朋、が生きている間は、成績以外でも抜擢された人材がいた。その人間はそこそこの動きをしたと聞く。しかし、元老の力が衰えた後は、陸軍大学の成績至上主義と言うことになり、優等生をそろえた軍指導者が、日本を滅ぼしたことは、歴史が証明している。
 私は大学の学問自体を否定するものではない。但し学校で学んだものは一つの武器である。その武器を使いこなせる人間であるかどうかは別物である。勝利至上主義になるなら、武器を使いこなせる人材に監督を任せないといけない。このような人選を行う人間は、一時は独裁と言われても仕方ないと思う。但し、周囲の批判を謙虚に受ける仕組みは必要である。このようなしっかりした仕組みの作り直しが必要と思う。

« 人間の器の問題(オリンピック女子柔道問題) | トップページ | 管理職の教材をまとめました »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 人間の器の問題(オリンピック女子柔道問題) | トップページ | 管理職の教材をまとめました »