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2013年4月17日 (水)

日本における実力主義の不成立の諸影響

 日本の社会では、専門家の発言は多いが、総合的に判断に関する議論は、あまり良いモノを聞いたことがない。国会の議論も、一方的な主張か、揚げ足取りばかりで、総合的な観点での協力と言うか、作り上げに至る議論は少ないように思う。
 この一つの理由は、日本社会が本当の実力主義を受け入れていないからではと思う。そういうと、各種試験や学歴による評価を行っていると言う、反論が来るかもしれない。しかし、その評価は一面的しかも一時的なモノである。例えば東大入学試験に合格した。これが一生ついて回る世界である。
 本来の実力主義は、皆が自分の考えと言うか判断力で持って、他の人の総合的な力を認め、自らと違うと言うことで尊敬しながら従っていく。このような、フォロワーが育たないと、本当の実力主義は根が付かないと思う。ここで一つ気になるのは、日本の官僚機構の問題である。彼らは大きな権力を持っているが、その力を国民に直接示す機会は少ない。また直接の評価を受けることも少ない。彼らの権威の根源は、公務員試験の合格と、上司と言うか霞が関村社会の評価である。
 このような評価機構は、上記のオープンな実力主義とは相いれない。
 日本の風土では、大阪商人の伝統にこのような実力主義があったように思う。これを潰したのは、第2次大戦後の通産省の支配であると言うのが、堺屋太一氏の説である。これに私も何か共感するものがある。今の大阪維新の会は、実力主義のもう一度の抵抗のように見える。
 なお、日本の実力主義は、『和』の精神でつぶされたというのは、井沢元彦氏の意見である。
 戦国時代の話としてこの意見は面白いと思う。

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