ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 生き残ると言うコト | トップページ | 『慰安婦問題』に関する橋下発言について »

2013年6月11日 (火)

自らの責任と言う発想

 前にも書いたが、戦後の
   「自ら被害者でもあるが、加害も行っていた立場」
の人たちの行動を見ると、大きく分けて2つのパターンになる。一つはあくまで自分のしたことに口を拭って他罰的になる人種である。この中には、軍部など一部の責任として、糾弾する側に回ろうとする人たちがいる。
 一方、自分の責任を感じている人も多い。この中でも、臭いものにふた的な発想で、触れたくないと言う多くの人と、真摯に向き合い悩む人がいる。
 一方、両者共通だが、あくまで論理的に議論しようとする人と、感情論で問答無用型の攻め方をする人がいる。

 さて、戦後の日本では、論理的と言うことが重視されていたように思う。これに関しては、日本を占領したアメリカ側の誤解もあったと思う。山本七平氏の著作にあったと思うが、

アメリカ占領軍は、日本人は天皇陛下は天照大神の子孫であると、心底から信じている。つまり、高天原から天下る~~を真実と思っている。これは間違いであるので、進化論をしっかり教えないといけない。

と言う発想があった。つまり、日本人は非論理的だから、論理的に物事を考えさせないといけないと言う発想である。実は、日本には『建前と本音』という超論理兵器があったのだがこれは、アメリカ人は理解できなかったようである。
 このように、論理的な推論は重視されるようになった。しかし、基本となる価値観や、事実と意見の区別などがしっかり身につかないままで、変に論理を振り回す人種が誕生した。これが他罰的に動くと、論理的糾弾の集団となる。
 交流分析では、お互いが論理的に議論するA(成人)の関係と言うモノがあるが、ここで論理を武器として人種の弊害に関しては、もう一度考え直すべきではないかと思う。

« 生き残ると言うコト | トップページ | 『慰安婦問題』に関する橋下発言について »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 生き残ると言うコト | トップページ | 『慰安婦問題』に関する橋下発言について »