ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 指導死、過労死そして体罰 | トップページ | 学校で身につくこと(その2) »

2013年6月19日 (水)

学校で身につくこと

 学校で得るべきことは、卒業証書だけであろうか。また成績証明書だけであろうか?この疑問に対して、定年退職した今では、何が役立ったかについてかなり正確に言える。しかし、学生たちにとっては、社会成果と言うか、会社生活と言うモノが見えていないので、何が役立つかはっきりわからないと思う。私も40年前はよく解っていなかった。しかし、現在の学生さんたちはもっとわかっていないように思う。これは、一つは学校教育の怠慢でもある。
 例えば、前に見かけたYahoo知恵袋の質問にあったが、
  「柔道で試合では受け身をとっても一本を取られるなら、受け身の稽古は無意味」
と言う風な、試合結果や成績だけを求める子に、なぜこれが必要か、解らせていない。例えば、受け身の理由としては、
  「受け身は日常生活でも、転んだ時の身を守るために大切である。また、柔道試合で勝つためにも、自分も投げられる経験が必要である。そのためにもきちんと受け身を身に着ける必要がある。」
と言うことをきちんと納得させる指導ができていないのであろうか?
 この理由は、もっと深いものがあるように思う。
 まず今の学校教育では、知識の教育が重視されている。しかし学校教育で身につくものは、単なる知識だけではない。逆に言えば、知識だけでは、使える範囲は少ない。例えば、数学の知識でも、エンジニアなら微分積分まで使うかもしれないが、一般にはお金のための加減乗除の程度であろう。ただ、数学を勉強する過程で身についた、計算のスキルは色々なところで生きてくる。また数学の証明問題などで、きちんとした論理的な展開を使えるようにすることは事務系でも必要となる。例えば、人事部門の議論でも、
   「定義はどうなっている」
と言うような質問はよくであう。
 このようなスキルや、問題解決に対する姿勢をきちんとすることが、学生生活で身に着ける者の一つである。

« 指導死、過労死そして体罰 | トップページ | 学校で身につくこと(その2) »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 指導死、過労死そして体罰 | トップページ | 学校で身につくこと(その2) »