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2013年7月10日 (水)

「職業としての学問」を読む(その1)

 先般から、色々アクセスの在った、「職業としての学問」をもう一度読み直してみた。なお、主として読んだのは、岩波文庫白209-5マックス・ウェーバー著尾高邦雄訳の「職業としての学問」である。但し、此の訳は意訳が過ぎる面があり、原本に当たりたいがドイツ語は不慣れのため、プロジェクト杉田玄白の岡部拓也氏の「職業としての科学(1919)」を一部参考にした。こちらの方は、直訳に近く訳者の解釈が入っていないので、ウェーバーの本意を探るには、便利である。
 http://www.genpaku.org/sugitalist01.html
 http://jaguar.eng.shizuoka.ac.jp/etc/WB-ja.html

 また、これと関連して、岩波文庫白209-2マックス・ヴェーバー著富永裕治・立野保男訳折原浩補訳の「社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」」を、特に注解を中心にヴェーバーの研究の方法論を知るために、参考にした。

 なお、「職業としての学問」の説かれた場面を、よく理解しておく必要がある。これは、第一次世界大戦敗戦直後の1919年1月に、ドイツ・ミュンヘンで行った講演である。受講者たちは多くは学生であった。
 尾高の後書きによれば

かれらは現実のかわりに理想を、事実のかわりに世界観を、認識のかわりに体験を、専門家のかわりに全人を、教師のかわりに指導者を欲した。
~一部略~
ウェーバーは青年たちに向かって「日々の仕事に帰れ」と叱咤した。 p90

とある。
 このような背景を理解した上で、この本を読むべきであろう。(続く)

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