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2013年7月16日 (火)

「職業としての学問」を読む(その16)

 最後にヴェーバーは、当時の混迷の時代の学生に対して訴える。

こんにち、究極かつもっとも崇高なさまざまな価値は、ことごとく公の舞台から引きしりぞき、あるいは神秘的生活の隠された世界のなかに、あるいは人々の直接の交わりにおける人間愛のなかに、その姿を没し去っている。これはわれわれの時代、この合理化と主知化、なかんずくかの魔法からの世界開放を特徴とする時代の宿命である。 p71~p72

 つまり預言者になるのは無理と言い、この時代の宿命に耐えることができないものは、
「大人しく素直に、昔からの教会の広くまた温かく広げられた腕のなかへ戻れ」
と言う。このような宗教上の無条件の献身による知性の犠牲は、道徳的には知的廉直の義務の回避とは異なる。
 そして、知的廉直の徳に従うなら、新しいものを待ち焦がれるのではなく、「日々の要求」を満たす仕事に戻ろうと呼び掛けている。

(終わり)

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