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2013年7月14日 (日)

「職業としての学問」を読む(その8)

 次にヴェーバーは、学問の前提について話をする。ヴェーバーの考えでは、「前提」なしの学問はあり得ない。彼の主張をまとめると以下のようになる。

 まず、学問の「前提」の意味を問う。もちろん、論理や方法論上の諸規則の妥当性は、全ての学問的研究において、常に前提とされている。この部分は議論の必要はない。次に、学問的な研究は、その結果が「知るに値する」という意味で重要な事柄である、という前提がある。この前提には、議論すべき問題のすべてが潜んでいる。なぜなら、ある研究の成果が重要であるかどうかは、学問上の手段では論証できないからである。成果の重要性の評価は、生活上の究極の立場から、拒否するか受け入れるかを判断する。

 更に学問の性格に応じて、前提との関係も異なってくる。自然科学の場合には、それらが到達し得る限りの最後の宇宙の諸法則が当然知るに値するものであることを前提としている。この分野では、「学問それみずからのために」知るに値する。この値自体は、学問みずからが論証できる事柄ではない。まして、世界が「意味」を持つか、世界が存在に値するかなどは、論証の限りではない。
 次に医学の場合には、医療技術の進歩が前提となるが、生命の延長の是非などは、医学の問うところではない。

一般に自然科学は、もし人生を技術的に支配したいと思うならばわれわれはどうすべきであるか、という問にたいしてはわれわれに答えてくれる。しかし、そもそもそれが技術的に支配されるべきかどうか、またそのことをわれわれが欲するかどうか、ということを、さらにまたそうすることがなにか特別の意義をもつかどうかということ、―こうしたことについてはなんらの解決をも与えず、あるいはむしろこれをその当然の前提とするのである。  p45

 また美学に関しても、芸術品が存在するという事実を前提とする。そして芸術品がどのような条件で成り立つかを解明しようとする。しかし、芸術と道徳の問題などは、問題にしない。また、法律学に関しても、なぜ法律が必要かの議論は行わない。
 また、歴史的文化的科学においても、文化現象の発生の諸条件と関連付けて理解するが、その存在に値したかを、その現象を知ることが努力に値するかという問にたいしても、それ自身はなんの答えも与えない。

続く

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