ご縁のあった人たち

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2013年7月28日 (日)

建前と本音について

 先日から、女子の就活について考えていたら、男社会の壁というものが一つ見えてきた。これは、突き詰めると軍隊的な社会にもつながってくる。従って女性の園である『宝塚』においても、同じような図式が存在する。つまり、24時間のつながりと、先輩への絶対服従で伝わってくるもの、および色々な側面で見る全人格的な評価である。
 これは、試験の成績と言う、客観的に作られた評価を重視する、学校社会とは別の評価である。このようなモノの一つの特徴は、明文化しにくいものである。そして、個別専門的な部分より、総合的経験的なものを重視している。野中流の『暗黙知』にはこの側面を示したものもある。
 日本の制度では、建前としての平等主義が強く、その結果としての客観的評価と言うことが強く言われすぎている。その結果、本音としてくすぶっている、総合的な評価と言うか、不安などが押しつぶされたり、不規則な形で出てくることが多い。
 さらに、もう一つ厄介なものは、日本固有の『話せばわかる』世界であり、皆が共通のものを持っているという『信仰』である。ここにおいて、上記の総合的な評価なども、『話せばわかる』式に客観的な評価ができるという錯覚につながってくると思う。
 特に、自分の考えが唯一の正義で、従わない他の者はおかしいという、盲信的な人間が、いわゆる『高学歴』『知識人』などに多くなっているのは、このような日本的信仰が絡んでいるのではと思う。
 総合的な評価は、主観的なものであり、人によって異なる。これを認めることから、議論は始まるのではと思う。自分が誤る可能性を謙虚に考える人でないと、多くの人を動かすことはできない。

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