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2013年9月25日 (水)

総合的な観点がどこで抜けたか

 テレビで、時々『総合診療医』という肩書を見る。確かに今のお医者様との付き合いでは、自分で一次診断をして、この時は耳鼻科、この時は内科・・・と区別していかないと、本当の病気を見てもらえないことがある。そういう意味では、総合診療医の存在は、ありがたいものである。
 しかし、この場合の総合診療医でも、最後の診断結果は『XX病』と言うことで、特定臓器の異常に診断が絞られていく。確かに、診断は総合的だが、人間観は特定臓器の積み重ねであり、病気も特定部分の機能障害に絞り込んでいく。東洋医学などでいう、気の流れとか、全身の勢いのようなものは、どこかの部位に還元されてしまう。
 このような発想の一つは、西洋文明の機械的人間観が、根本にあると思う。時計が不良になったとき、分解してどの歯車がおかしくなったか、原因を究明する。これを人間に、当てはめている。
 これと同じような話が、SEXについてもあるように思う。ロマンティックな言い方をすれば、お互いが、好きあって抱き合う。こうしてお互いの温かさを感じ、気が交わる。その中で、肉体部分で交われるものとして、口と口を合わせたり、性器を結合したりする。このようなSEX観があったと思う。しかし今のSEX観は、「どこの部分を、どのような形で刺激したら、快感を得ます。」と言う機械的な、話に重点が置かれているように思う。
 このような人体を、機械とみる発想は、さらにゲーム世代になるともっと進むような気がする。人間というものは、もっと総合的な何かがあると思いたのだが、さびしいことである。

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