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2013年10月15日 (火)

今後の政治に期待するモノ

 先ほど、災害復旧能力の低下を、地方公務員の人員減と、土建業の力が削減された結果として、メモしておいた。この理由には、マルクス主義の社会観で、まず資本家悪玉論がある。
 もう一歩踏み込めば、マルクス主義の経済学手法の欠点もある。マルクス主義にしろ、近代経済学にしろ、物理学帝国主義の影響を、大なり小なり受けている。つまり、数式化してできる限り検討することが正しいという価値観である。特に経済の話に関しては、お金と言う数値化しやすいものが存在する。これで、式を立てるなり、大小関係を記述すれば、しっかりした理論展開ができる。これとくらべれば、ヴェーバーの社会に関する議論は、定性的でしかも個人の考えに着目した話にしか過ぎないと、批判する向きがあるのもわかる。
 しかし、先ほどの災害復旧の話でも、地元の業者が、付き合いのある人を損得抜きで助けに出る。地元のインフラの復旧を、皆で必死になったやる。このような関係は、金銭的なもので測れない。こうして生まれた信頼関係などから、地元の仕事は地元業者に発注する。そして仕事がないときでも、何とか皆が食べて行けるようにする。このようなさじ加減を、優等生の官僚や、正義の味方を自称するマスコミなどが寄ってこって、「地方政治にたかっている」などと言って、潰した結果が現在の状況である。
 ただし、旧来の政治家たちにも、このような効果を含めて、きちんと住民に説明してこなかった落ち度もある。確かに、明治維新以降の政治に関しては、住民が理解できないことが多く、お上任せもしかたなかったと思う。そのような、お上に対して、発言できる人材を育成するのが、私学の大学であった。この辺り先般の「八重の桜」が良く描いている。
 しかし、現在の高学歴社会では、このような全体像の議論が一般民衆でもできるようになっている。しかもネットの上で公開する仕組みもある。
 こういう条件を考えれば、今の政治家と学者の役割は、全体像を描きその上で議論することではないかと思う。
 理想的な社会はどうあるべきか、そして現在の機能はどうなっているのか、このようなものをきちんと描く時が来ていると思う。自称専門家のカリスマ的支配は、もう終わっていると思う。

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