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2013年11月 2日 (土)

失敗に関しての議論

 経営者として大成するためには、若いときに失敗を経験していないといけない、という話を聴いたことがある。この意味を考えると、二つの要素があると思う。
 一つは、チャレンジしない人間は、なかなか失敗をしないと言うことである。つまり、
   失敗しない人間=消極的な人間
と言う図式である。これは、かなりあてはまることが多い。
 もう一つの要素は、他人の失敗に対し、一度も失敗したことがない人間は、思いやりが無い、と言う面である。つまり、
   罪なき者は石を投げる
と言うことで、失敗した人間に残酷になる可能性が大きい。

 このようなことから、失敗の重要性について、議論する価値があると思う。
 さて、失敗には、価値のある失敗と、価値のない失敗がある。先ほども言ったように、チャレンジ性の高い物事には、失敗がある。新しいことには、試行錯誤が必要であり、そのための失敗と言うことは、ある程度は織り込んでおく必要がある。
 一方、ケアレスミスによる失敗など、簡単に防げることでの失敗は、価値のない失敗と言うべきである。

 これを、管理者・経営者の観点で、もう少し考えて見よう。部下が、仕事をしている時に、失敗をする。これをどのようにコントロールするかが、管理者の手腕発揮の所である。失敗と言うことは、多くの教訓を得る機会である。そこで、被害とのトレードオフを考えて、いかに多くの教訓を得て、被害が少ない時点を選び、撤退や修復作業へ切り替えするかは、上位管理者の決断である。また、どの程度の失敗を許容するかは、経営的判断でもある。将来のための、投資としての失敗もある。このような発想では、先ほど言った、ケアレスミスの失敗でも、フールプルーフの仕組みを考える等の教訓を引き出せば、積極的な失敗となる。失敗を活かすことは、総合職や管理職の重要な仕事である。

 また、部下の最高の能力を引き出すためには、小さな失敗に関しては、修復できればよいという発想で、認める管理もある。それをしないと、部下が縮こまり、全体安全圏でしか仕事をしなくなる。このような管理の手法もある。

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