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2013年11月17日 (日)

日本の学校教育制度の効果

 今朝の、「題名のない音楽会」は、なかなか面白かった。この番組は、オーケストラの楽器商家などでも使えると思った。そこで考えたことは、
 「これを学校の音楽教育の場に、持ち込めるのだろうか?」
と言う疑問である。私の中学校の音楽の教師は、ビートルズの曲を、
 「単純な音しか使っていない」
とこき下ろしていた。今回の番組も、
 「下品な振る舞い」
とケチをつけるであろう。日本名物の「出る杭を打つ」は、ここでも出現している。

 さて、これをもう一歩、学校制度の仕組みの中で考えて見た。つまり小学校から始まる学校では、
 「教師の枠より出てはいけない!」
という大原則がある。つまり、本質的なことなど考える、「出る杭」は、いけない子である。
 こうして、「教師の枠」と言う、先端より出ないように、しっかりしつけられているのである。
 この制度を、もう少し考えて見ると、明治の文明開化でも、西洋と言う先生の成果を、吸収して、
 「お上の言うとおりに実行する」
人材を大量生産する仕組みとして、学校制度を作ったのである。
 つまり、義務教育として、皆が「お上の指示を理解できる」レベルに到達することを、考えたのである。こういう制度では、出る杭が打たれるのは当然である。

 なお、自由に考えるはずの大学でも、多くは「科学的態度」と言うことで、まず先行研究の枠内で考え、それに追加することがしつけられる。これは、確かに厳密な思考力の訓練としては悪くない。ただ、政治一般の議論を、深く考えた上で行う、「本当の知識人」の育成には、まだまだ不十分だと思う。

 この話には、神学の問題が深く絡むが、これは別の機会に議論したい。

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