ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 阪急・阪神ホテルズの食材偽装について(もう一つ) | トップページ | 議員の育成 »

2013年11月 6日 (水)

マルクス主義と勧善懲悪の関係について

 「日本の民衆は、『勧善懲悪の低級ドラマ』が好きで、レベルが低い」とよく学生時代に、「文学青年崩れ」の国語教師たちに言われたものであった。確かに、今にして思うと『勧善懲悪』の筋書きを信じていると、色々な弊害がある。しかし、よくよく考えると、『勧善懲悪ドラマ』を低級と否定する『進歩的知識人』の中にも、自分達の信じることを行わない人間を、悪人と決めつけて、かなりひどい攻撃を行う例もある。これはどう見ても『勧善懲悪』の一つの生き方ではないかと思う。
 例えば、旧日本軍人に対して、個人の人格を貶めたり、戦犯としての重罪を引き出すような、文章を書く人たちがいる。彼らの人権は無視して追及しているのは、自分たちに『正義』があると、信じているように感じる。マルクス主義で、科学的根拠を得たと信じて、進化論的に自分たちが優れていて、資本家と言うのは悪人だと決めつける。この上で、『勧善懲悪』的に追及する。
 このような追求形態は、日本の場合には、欧米と比べて別の意味があるように思う。確かに、日本では『水戸黄門』方式の『勧善懲悪』が人気が高い。この一つの理由として、日本には、真言密教や華厳の思想で「あるべきようは」という真理が『ある人には解っている』と言うことを、受け入れる素地がある。つまり、「黄門さまは、すべてお見通し」と言う信仰で、勧善懲悪がおこなわれ、皆が拍手するのである。
 これを交流分析でいえば、民衆の立場は『子供』の立場で、部分的にしか知らない。しかしどこかに『親』の立場で、すべてを知っている人がいて、『正義』を行ってくれる。この人は、すべてを理解し、間違っていない。このように、多くの人が信じているのである。
 ここで、自分が全て知っていると、思い込んだ人間が出現すると、容赦なく他者を断罪するようになる。マルクス主義的な見方は、ある意味『科学的』であり、他の見方より『良く』見える。この武器を手にした人が、他の人間を断罪すると、容赦なくなってしまう。これをまた受け入れる下地が、先ほどの『子供』である大衆にある。このような関係で、山本七平氏が指摘する『空気』の暴走が始まるのではないかと考える。
 なお、日本の教育の弊害も、もう一つ触れておく。一つは小学校から始まる、『従順な子供』作りの教育である。つまり、『親』の立場である『先生』に従う、『良い子』づくりが、高校まで進んでいく。一方、大学で『大人』の議論や、『親』の立場で考えて、指導する訓練、というものが、教えられているかと言うと、なかなか難しいと思う。
 このような教育など、総合的に考えて、この国の将来を考えるべきではないかと思う。

« 阪急・阪神ホテルズの食材偽装について(もう一つ) | トップページ | 議員の育成 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 阪急・阪神ホテルズの食材偽装について(もう一つ) | トップページ | 議員の育成 »