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2013年12月30日 (月)

学校教師の体罰問題について

 この時期になると、色々な振り返りが出てくる。このブログでも、少し思いつくことについて書いてみたい。このブログの表題に戻り、教育関係で少し考えて見よう。
 やはり教育で大きい問題は、
   「部活指導の体罰問題」
である。桜宮高校の場合は、「体罰」という次元ではなく、「暴行事件」と考えるべきであろう。
 しかし、この問題の本質を突いた議論は、あまりなされていないと思う。私が考える、この問題の本質は、
   無能指導者の生徒への責任転嫁
である。つまり成果が出ない。そこで「部員が悪い」「怠けている」ということで、
    「怠けさせないために殴る
という図式である。本来スポーツ指導には、どのような欠陥があるので対策する。そのための強化はどうする。または、新しい方式を導入する。そのために、この練習を行う。これらを指導者が示し、皆がその目標に向かって努力する。こういう指導があるはずである。
 しかし、指導者が方向も示せず、負ければ生徒が悪という。さらに、練習方法にも工夫もなく、部員が力を入れていないと怒る。これらは、自分がすべきことを、人のせいにしているからである。
 しかし、この問題は、本当に運動系の部活だけであろうか?
 学校で、成績が悪い。この時怒られるのは生徒である。
   「お前が努力しない」「お前の頭が悪い」
教師側に反省はないのであろうか?教科書会社が作った、指導要領書の通りに授業をし、考えずに教えている。このような体質だから、生徒の成績が悪いのは、自分の教え方が悪いという、発想すらないのではないかと思う。
 学校文明の、このような体質を変えない限り、根本的な解決にはならないと思う。

 なお、私の会社生活での経験では、問題点を他人のせいにせず、自分のできることで解決するようにした人間が、最後まで生き残った。これは、今の就活をしている人たちにも知っておいてほしい。学校的な文明で、人のせいにする発想の人間は、今の企業には(少なくとも総合職に)は不要である。

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