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2013年12月24日 (火)

日本の教科書の功罪

 山本七平著:「常識」の研究で、教科書記述の弊害について、このブログでも色々書いた。
  http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-b541.html
  http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-5423.html
  http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-cbc7.html
  http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-c499.html

 私も、山本七平氏の意見には同感することが多いが、教科書に関してはもう一歩踏み込んでみたい。
 まず、日本の明治以降の教育の効果は、ある程度は認めないといけない。いわゆる文明開化と曲がりなりにも議会制民主主義政治を、何とかこの国に定着させたのである。第2次大戦後に、アメリカ占領という荒療治があったにせよ、そこで民主主義を受け入れたのはそれなりの下地があったからである。この効果は、イラクでの失敗と比較すれば、よく解ると思う。このように、民主主義政治というものを、それなりに皆が受け入れる価値観の統一ができたのは、教科書教育の効果であろう。
 もう一つ、
   「母国語で学べるありがたさ」
に関してもきちんと理解しておかないといけない。日本の底力は、先端の学問を大衆化する力に一つの土台がある。このためには、教科書的な、
   「短くて納得しやすい記述」
が有効であった。しかし、この教科書的記述には、当然の弊害がある。この弊害について、議論する前に、自然科学と社会科学の状況を、明確にしておく必要がある。自然科学は、ある程度の収斂があり、教育内容の階層化が可能である。つまり、まず比較的単純な、ニュートンの力学で考える。そこでもっと大きな世界や、光速に近い世界では、相対論を入れて、今までのニュートン力学は、近似的なモノであり、もう少し補正をいれないといけないという。
自然科学系ではこのように、教科書の記述は、あるレベルの近似であり、次の深さまで行けば、もっといろいろな世界が展開すると、言える段階になっている。
 しかし、社会科学や人文科学では、このような階層化が十分できているとは言えない。経済学に関して、ガルブレイスが言ったと思うが、
  「経済学者は先人の言ったことを否定する」
というレベルであり、今までの議論を精密にするという段階ではない。そこで、きれいに短縮した記述というものは、なかなか成立しなくなっている。これは、歴史や政治、そして宗教など、多くの分野でこの現象が起こっている。なお、社会科学の中でも、法学に関しては、見事な階層化ができている。これは、ローマ法からの伝統のある、ヨーロッパ文明の成果である。

 考えて見れば、明治の教育は西洋文明の、技術を導入するための教育であった。そこでは、工学につながる自然科学と、社会制度を作る法律だけを、伝えればよかったのである。
 そして、アメリカ・西欧文明にだけ追従する日本なら、この教科書的理解でよかったと思う。

 しかし、現在は多様化した国々と対峙しないといけない。そこでは、色々な宗教・文化がある。自分の思っている。「教科書的世界」では、間違う可能性があると思って、常に見直しながら、考えることが重要であると思う。

 特に、「民主化が良い」等の単純な、2分法は危険が多いことを意識してほしい。

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