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2013年12月25日 (水)

教科書的知識の使い方

 先日から、山本七平の議論に従い、日本の教科書的知識の弊害について、色々書いた。しかし、このような知識も生かし方では、深く考える切り口にはなる。悪い結果を導くのは、教科書だけが全てだと、思い込むことである。特に弊害が顕著なものは、「xxは悪」と決めつける議論である。
 例えば、「公害企業は悪者」と決めつけることで、すべての悪はその企業と追及する。しかし現実には、その企業に雇用されている人間、企業と取引のある色々な組織の人間、このような側面を忘れている。そしてその会社が、出ていくとなるとあわてて存続を訴える。このような、一面的な「ラベル」を使って、「勧善懲悪的に一つのものを追求する」姿勢がいけないのである。
 山本七平流の議論でも、「南」「北」や、選挙における「お世話する」「絶叫・教宣型」等の、独創的な概念装置による、2分論も色々出ている。ただし、山本流の議論では、そのラベルの意味している現実の多様性を、必ず念頭に置いている。例えば、トルコのイスタンブールの取材でも、トルコの革命の話や、東ローマ帝国の時代まで踏まえて議論している。確かに専門の学者と比べれば、検討は論理的に甘いかもしれないが、関連事項を広く考えるという意味では、大事なものがある。
 この議論の仕方は、学問的知識の活用方法として、使えると思う。

 

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