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2014年1月 8日 (水)

山本七平氏の問題提起について(原因は何か)

 さて、日本の問題の一つは、「まともな議論が行われない」と言うことが判った。この理由を考えて見よう。一つの原因は、日本の教育システムにあると思う。
 「「常識」の研究」でもしてしているように、日本の教科書は、本来もっと深く考えるべき項目を、さらりと書き流している。そして、それで解った気にさせている。これは、知識の大衆化、母国語で先端技術を学ぶなどの大きな成果をもたらしたが、自分の力で深く考える、多様な考えを受け入れるなどの、可能性を捨ててしまった。
 また、学校教育の現場では、このような教科書の知識付与が主体になり、これより踏み込んだ知識の議論や、教科書の記述を疑うような議論を避けるようになった。ドラゴン桜の一節にもあった、「指導要領書の通りの感動を生徒に押し付ける教育」である。
 これは、島国日本と言う閉鎖的社会の中では、それなりに効果を発揮していた。また、戦後の経済成長も、アメリカ追従と言う一本道であったので、大きな変化もなく、進んできた。しかし、現在のように、安定成長下の多様化の時代では、色々な状況を考える必要があり、教科書的な平板な理解では、複雑な現実を正しくとらえることができなくなっている。

 私が考える、まともの議論不在の主原因は、教科書による教育への過剰適応だと思う。

 さて、このような教科書システムが、日本でうまく適応した理由を考えて見た。元々日本には、「和魂漢才」の伝統がある。つまり、中国の進んだ知識を取りこむが、自分流に消化して使うという発想である。これが明治になって「和魂洋才」に変化したのである。従って、他国の成果を自分流に書き換えることは、もともと得意だった国である。

 さらに、日本の統治制度も考えて見ると、日本では権力者の圧政に対する革命というものが、非常に少ないことが判る。つまり、日本の民衆は、権力者の子の立場で安住していることが多かったのである。つまり、親から与えられた教科書の範囲で考えることで、普通の生活が送られる世界であった。ここでは、親―子の関係が基準となっている。
 山本七平が、日本と対比したイスラエルの世界では、自分たちの力で、権力と争ってきた歴史がある。これから、どうしても成人―成人の関係となる。従って、論争なども多く行われるようになる。

 もう一つ言えば、日本の宗教面でも、真言宗や華厳の教えにより、「あるべき姿」が自分たちにも判ると言う信仰がある。これが、絶対的な親の立場を認め、親の作った教科書を受け入れる体質になっている。

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