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2014年1月17日 (金)

英語教育について思うこと

 昨日、国語教育について書いたが、今日は英語教育について、思うところを書いてみたい。私自身は、学生時代の英語の成績は、あまり良くないし、海外に出ても片言レベルでしか、話ができないのに、これを語ってよいのかと言う不安もあるが、この機会に書いておきたいこともある。
 まず英語教育に関して、2つの側面があることを、明確にに理解したのは、つい先ごろである。つまり、

  1. 日本語主体で英語から情報を受け入れる能力付与
  2. 英語と日本語のバイリンガル育成

の2面である。我が国の英語教育は、明治維新の後、欧米文明吸収を目標に、1の英語での情報収集に重点を置いた教育を行っていた。つまり、文章が読めればよかったのである。この場合、主として考えるのは日本語なので、一旦翻訳してから理解していた。
 このような、じっくり考える形での対応は、即時に反応する会話には不適当である。従って、中学高校~大学と10年かけても、まともな会話のできない英語教育と、批判されるようになった。そして、日本の経済成長期と関連して、海外人との会話が必要になってくる。そこで力を持ったのが、会話主体の英語教育である。これの理想は、2のバイリンガル養成である。会話主体なら、日本語に翻訳する時間はない。英語で考えることが必要である。
 さて、ここでバイリンガル教育を行った時の、弊害についてもう一度見直すべきだと思う。
 私の考えでは、子供の環境からの自然なバイリンガルでなく、教育としてのバイリンガルには、無理が多いと思う。その一つは、思考の深みの問題である。つまり、一つのことをじっくり考える。このための主要言語をしっかり確定し、その上で思考を練らないと、考える力は身につかないと思う。そして、もう一つの弊害は、日本語環境にあった、共通感覚の破壊である。日本語は、俳句などの短詩系文学の成立を見ても、皆が共通に持っている感覚を重視し、その上でのコミュニケーションを図っている。しかし、英語で直に考えるようになると、何事も言葉で言わないと解らないという人間が増えてくる。
 このように、会話重視の英語教育での弊害について、もう一度見直す必要があると思う。
 私の考えでは、日本的なモノリンガルは残す。但し、生活英会話の教育は別途行う。このようなものが落としどころではないかと思う。
 なお、もう一つ言えば、しっかり日本神道の良いところを、英語でいえるようにしてほしいと思う。国家神道の間違いと、日本古来の神道の良さ、これがきちんと英語なりフランス語で発信できれば、靖国問題への一つの解決になると思う。

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