ご縁のあった人たち

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2014年2月26日 (水)

「社会に受け入れられない」とは

 愛知の暴走事件の容疑者が、

「人間関係がうまく築けず、社会に受け入れられない。社会や自分に不満があった」

と供述しているらしい。
 この「社会に受け入れられない」という表現は、就活において、内定が得られない人が、時々いう言葉でもある。内定を得られないと、全人格を否定された、という感じ方をするらしい。

 この原因を少し考えて見た。一つの仮説は、日本社会の特徴として、
   「ある組織に所属していること」が、周辺の安心感を与える、
ことである。これは、実際上の問題として、困った行動をする人間がいた時、個人相手では、注意しても聞かない。警察は、はっきりした犯罪でないと動いてくれない。民事裁判を起こすのは、大げさすぎるという事態がある。しかし、これが例えば「xx高校の生徒」ならば、学校に苦情を言って、注意してもらうことができる。

 この延長で、会社にやとわれている人間なら、困った行為は会社への苦情と言うことができる。現実に、祇園の暴走事件では、雇用していた店に対して、民事訴訟を起こしている。このように、組織に所属していることが、一つの信用となっている。

 しかし、このような単純な帰属だけでは、物事は進まないように思う。色々な立場で、相互の結びつきがあり、周辺が注意しあって行くのが正しいのではないだろうか。

 これは、ある意味で、学校社会的な、均一価値観が行き過ぎたからではないかというのが、私の意見である。
 学校でも、成績以外の多様なモノを認めることが大切ではないかと思う。

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