ご縁のあった人たち

無料ブログはココログ

« 昨日の理研の発表を見て失望 | トップページ | アメリカ流の能力開発に対して考えること(良い点) »

2014年4月 3日 (木)

アメリカ流の能力開発に対して考えること

 「私たちはどこから来て、どこへ行くのか:宮台 真司著」を読んだ。
難解な本だが、一つ見えてきたモノがあった。p318~p323にある、アメリカ流の自己啓発手法に関しての理解である。著者の指摘にもあるように、1960年代生まれの世代が、アウエアネス・トレーニングから、NLP等の、アメリカ生まれの自己啓発に多く影響を受けている。
 確かに私たち1950年代生まれは、アメリカからの情報の入手も難しかったし、アメリカ側の訓練も行き届いていなかった。私は、催眠術から一般意味論までの、この手の自己啓発手法に関しては、一通り調べたが、資料入手で苦労したのを覚えている。1ドル360円時代の外国本の入手は、今の世代では想像できないほどハードルが高かった。
 さて、宮台氏の指摘にある、アメリカの自己啓発運動の根底には、ベトナム帰還兵の社会復帰という問題がある。さらに言えば、アメリカ軍は、まず軍人として、人を殺せる人間を作り上げる。その後、戦場に送り出す。そして戻ったら、人を殺さない人間に戻す。この手法を考えて、これを自己啓発手法に応用した。これは、人間をコンピュータに見立てて、プログラムを入れ替えて、動作を変えさせようとする発想である。NLPの正式名称は「神経言語プログラミング」だが、この名前が示すとおりである。
 このような、人間を機械とみる見方には、私は生理的に反発する。この理由をもう少し考えて見た。私たち日本人には、どこか仏教、特に華厳経や真言密教の、「我々の内側にある多様な可能性」を信じているように思う。自分の内なるものを、信じて引き出す。この発想である自己啓発なら、素直に受け入れることができる。しかし、神の世界と、下々の人間御世界は別である。人間は、決められたプログラムをローディングして動けばよい。間違えればリセットすればよい。このような発想にはついていかないものがある。
 なお、自分の内なるものは、単純な一つの物でないことには注意してほしい。胎蔵曼荼羅の示すように、中央にある大日如来(毘盧遮那仏)は、色々な形に変化し働く。状況により色々な適用形を見せるのである。禅の公案で言えば「倩女離魂のいずれもになりうる」のである。その根本が、自分の中にある。これを信じていきたい。
 ここまで考えて、宮台氏の意見に、何となく納得のいかない理由が、解ったような気がする。
 

« 昨日の理研の発表を見て失望 | トップページ | アメリカ流の能力開発に対して考えること(良い点) »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: アメリカ流の能力開発に対して考えること:

« 昨日の理研の発表を見て失望 | トップページ | アメリカ流の能力開発に対して考えること(良い点) »