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2014年5月14日 (水)

研究におけるマネージメント(課題の管理)

 先日から、何度か書いた、研究課題の選択に関して、もう少し議論しておきたい。山中先生の言う、「阿倍野の犬が鳴いた」型の研究も、若手研究者の育成には、効果があると言うことは前にも書いた。
 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-b10a.html
しかし、もう一つ別の側面から、研究課題の与え方に関する議論がある。Inoue氏の指摘にもあるが、独創性を重視する山中先生のチームでも、チーム員の研究課題は、トップダウンの指示がある。
 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-ba38.html
 しかしこれは、大きなことを成すためには、当然のことである。1人では全てできない。その時は、協力者の手を借りないといけない。しかし、独創的な考えは、複数人で思いつくものではない。他の人間が及びもつかないから、独創なのである。従って、独創的で、大きなことを行うためには、チーム員を従える、トップダウンの運営も必然的に出てくる。
 このように大きなことを成すためには、独創性とマネジメント力の両者が必要である。
 ただし、運営の妙と言うか、これを一人の人間でなく、上手く分担する方法がある。つまり、独創的なアイデアを出す人間や、実験の天才をあやしながら、周辺を埋めていく管理者との組み合わせである。山中先生はこれを、一人で行っているようだが、経営学の観点からは、このようなマネージメント能力と、独創的研究力の分離というのも魅力的な答えである。
 小保方さんが、ユニットリーダーと言うマネジメント的立場に立ったのは、彼女にとっても悲劇だったと思う。彼女を上手にあやしてくれる、親の立場のマネージャーに行き合わせなかったのが、彼女の不運だったと思う。

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コメント

"研究は開発を前提に行われ、科学者と技術者の境界が曖昧になっている。それどころか、研究・開発プロジェクトのリーダーにはマネジメント能力も要求される。経営者でもあるというわけだ。"(http://blogs.yahoo.co.jp/hpcriticism/34194701.html)
と言われるようになった昨今の科学研究(もしくはR & D)の環境化において、
科学における不正行為(学術会議:http://www.chemistry.or.jp/rinri/fusei-boshi.pdf http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/18youshi/1823.html http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mizuy/zenki/fuseibosi.htm 理研:http://www.riken.jp/pr/topics/2014/20140415_3/)と科学倫理(突き詰めれば、科学哲学)だけでなくマネージメント(技術経営)も考えばならない所が悩ましいところですね。
前者は、ピアレビュー(http://www.foocom.net/column/shirai/10931/)、倫理観(http://felicitas01arb.blog.fc2.com/blog-entry-173.html)よりかは、実施した作業が不変的な倫理感に基づく行動ではなく、例えば時代によって変化する可変的な倫理観に基づく行動だった為に例えば問題が発生した時に、それ以前にその不変的な倫理観をどう教えこむか、どのようにそれらを気付かせるかが、後者に結び付くと思います。
また、後者は、制約をどこまでかけるのか、自律性を何処まで持たせるか、バックアップをどこまでするのか(http://www.jaas.jpn.org/doc/pdf/journal/24_2/24_2_11.pdf http://blog.livedoor.jp/randdmanagement/archives/52102946.html)、場合によっては、前者では科学と哲学とが結び付いた様に、後者においては技術と哲学が結び付いた技術哲学(http://plato.stanford.edu/entries/technology/)の思想も必要となるかもしれません。

"研究は開発を前提に行われ、科学者と技術者の境界が曖昧になっている。それどころか、研究・開発プロジェクトのリーダーにはマネジメント能力も要求される。経営者でもあるというわけだ。"(http://blogs.yahoo.co.jp/hpcriticism/34194701.html)
と言われるようになった昨今の科学研究(もしくはR & D)の環境化において、
科学における不正行為(学術会議:http://www.chemistry.or.jp/rinri/fusei-boshi.pdf http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/18youshi/1823.html http://www.amy.hi-ho.ne.jp/mizuy/zenki/fuseibosi.htm 理研:http://www.riken.jp/pr/topics/2014/20140415_3/)と科学倫理(突き詰めれば、科学哲学)だけでなくマネージメント(技術経営)も考えばならない所が悩ましいところですね。
前者は、ピアレビュー(http://www.foocom.net/column/shirai/10931/)、倫理観(http://felicitas01arb.blog.fc2.com/blog-entry-173.html)よりかは、実施した作業が不変的な倫理感に基づく行動ではなく、例えば時代によって変化する可変的な倫理観に基づく行動だった為に例えば問題が発生した時に、それ以前にその不変的な倫理観をどう教えこむか、どのようにそれらを気付かせるかが、後者に結び付くと思います。
また、後者は、制約をどこまでかけるのか、自律性を何処まで持たせるか、バックアップをどこまでするのか(http://www.jaas.jpn.org/doc/pdf/journal/24_2/24_2_11.pdf http://blog.livedoor.jp/randdmanagement/archives/52102946.html)、場合によっては、前者では科学と哲学とが結び付いた様に、後者においては技術と哲学が結び付いた技術哲学(http://plato.stanford.edu/entries/technology/)の思想も必要となるかもしれません。

blog投稿者の内容確認願います。(送信時エラーが表示された為)

Inoue様
何時も見ていただきありがとうございます。
また、ご指摘の通り科学哲学や、技術哲学の重要性は、
私も言いたかったことです。
これはもう少し本文でも述べますが、小保方さんに、きちんと何が悪いと言うことを、納得させる力のある指導者がいるのか、また彼女にどうしたらよかったのか、指導する人間がいなかったのが、現在の日本の科学界の悲劇だと思います。
ブログ管理者の正体不明

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