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2014年5月 8日 (木)

教科書通りでない時の責任をどこに押し付けるか

 前に、韓国の沈没船事故対応について書いた。
 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-1d37.html
 この最後に、
    教科書的発想を絶対的と思い込むことの危険性
を指摘した。この話を、もう少し掘り下げてみたい。
 まず。前にも書いたが、韓国は中華思想の影響をもろに受けている。しかも朱子学の影響下にあり、科挙による官僚制度がしっかりしている。つまり、隣国の大国である、中国の作った教科書を、ありがたく頂き、それをそのまま鵜呑みにして、実行する。このような社会制度を、永きにわたり維持し続けたのである。言い換えると、他人が作った教科書を、そのまま信じる世界である。ただし、この教科書通りに以下な状況が発生したらどうなるのだろう。
 このような場合に、一番簡単な対応は、犯人捜しを行うことである。例えば、その時の支配者の人徳が不足していた。このように決めれば、その支配者を引きずりおろし処刑すればよい。このような犯人が、一人確定すると、後は何も考えずに、
   「XXが悪い」
と皆で合唱すればよい。
 今の韓国の、朴政権の発想は、
   「すべて日本の軍国主義政治が悪い」
   「沈没船の船長が悪い。船会社が悪い。」
等と、犯人探しとそれへの押しつけで済ませている。
 このような発想が、韓国以外ではどうなったか、少し考えて見よう。まず、キリスト教国の欧米では、色々なパターンがあるが、まず『完全な神の世界』は、我々人間の及ぶところでないという発想がある。つまり不完全な人間がお互い何とかしていくという考えがある。そして、自分たちの科学の限界も知っている。そのような謙虚さがある。
 一方、日本はどうだったろう。この国には、『和魂漢才』『和魂洋才』と言う伝統がある。つまり、外国から教科書を仕入れても、適当に解釈する。これで、教科書絶対性を緩和しているのである。官僚選別に関しても、科挙を上手に外したことも、この流れに入っている。
 ただし、戦後の一部左翼や、進歩的知識人には、『資本家悪人論』などで、一面的な犯人決めつけの動きがあったのも事実である。山崎豊子作品を、ある種の『勧善懲悪』と評した人がいた。この種の勧善懲悪には、犯人決めつけが入っていて、本当の原因を追究できなくしている。
 福島原発事故に関しても、色々な要因を解析しないといけない。確かに、東電の対応もお粗末だし、管直人と言う最悪の首相がいろいろ妨害したのも事実である。しかしこの両者だけに責任を負わせて終わりというのは、安っぽい勧善懲悪になる。多くの複合原因を一つ一つ解きほぐしながら、改善していくことが大切である。

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