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2014年5月14日 (水)

指導者側の悩み

 先般から書いている、研究者の管理に関しての議論は、育成一般でも大きな課題である。
 つまり、自主性をどこまで生かし、どこまで形に当てはめるかという問題である。小保方さんが、早稲田の大学院時代に、論文作成法などを、きちんと学んでいなかったことは確かだろう。しかし、その場で『しっかりした指導』を受けていたら、今のような、良い意味でも悪い意味でも通じる『幼児のような純真さ』に支えられた『実験スキル』が維持できたかは疑問である。
 私も、新人が来たとき、会社の形式に当てはめるのは簡単である。しかし、こいつの個性を殺すことにならないか、いつも悩んだものである。逆に、能力のない人間が、『私の個性を生かす』と言う場合にも、腹が立ったことも少なくない。
 このような状況を、たとえ話で言ったのは、

「材木の表面が腐ったり傷んでいたら、取り払って綺麗な木材にする。」
「ただししっかりした木で、そのままの形が生きるものもある。」

という議論である。もう少し理論的に言えば、

「会社員としての、必要条件を達成するまでは、形にはめる研修を行う。しかし、個人が能力的に十分なものを持っている場合は例外とする。」

という言い方がある。この判断は実際は難しい。
 もう少し、事例を述べてみよう。実は私は、入社5年目から10年目は、会社利益に大きく貢献した。従って、平社員でありながら、部長クラスとも直接話をしていた。これを評して、

「『もう少し会社のルールを守れ』、と指示したら君の良いところを殺してしまう。」

とコメントした部長がいた。しかしながら、このあと私は、課長になる時に立場の切り替えに失敗し、別の部門への転出となった。前の段階で、もう少し枠に当てはめる指導が必要だったかと、今にして思うものがある。
 私が転出したことは、色々な経験を積む材料になり、個人的に得たものは大きい。しかしその部門として、結果的に失ったものは少なくない。このように考えると、管理者の悩みは大きなものがある。

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