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2014年5月11日 (日)

研究に関するマネジメントについて(犬の鳴き方研究)

 昨日の記事に、Inoueさんから丁寧なコメントを頂いた。やはり一次資料を見ることは大切であり、深く感謝したい。
 しかし、山中流の『阿倍野の犬』研究に関しては、誤解を招く側面もあるので、もう少し議論をしたい。私は、

アメリカで犬を鳴かせた研究がある、そこでXXでも鳴かせた。

という研究は、二つの側面で意味があると思う。まずこれに関して、昔私がある学会で、東大の和田教授とお話しした時、感銘を受けた言葉である。

アメリカでは、今Adaに関して膨大な研究費を投じている。これに従い、色々な機関が研究を進めている。この影響は我が国に絶対あると考えたので、私はAdaの研究に関しては好きに成れないが、わが国のソフトウエア産業への影響を考えて、私の研究室で追尾させている。

つまり、わが国の産業のためには、アメリカ成果の翻訳的研究を行うことも必要である。『日本の犬』を鳴かせる研究と言われても、わが国の産業に影響するような、周辺研究をきちんと行っていく、という意志表示である。このような研究姿勢では、ノーベル賞は取れないだろうが、国益に準じる立場としてその立場を堅持されていた。なお、余談だが、コンピュータの分野では、ノーベル賞がないので、チューリング賞と言うべきかもしれない。もっと言えば、京都賞の受賞者も、このような権威者が多い。ノーベル賞だけをもてはやす、わが国はもう少し考えるべきだと思う。
 さて、話を戻して、私が言いたかったことは、研究にも二つの要素があると言うことである。一つは、先端を切り開く研究である。これを、『開発研究』と呼ぼう。もう一つは、先端技術で突破しても、それを実用化するためには多くの努力が必要である。また、現在の世界にある種々の研究を見て、使い物にあるものを探し出し、実用化する研究も必要である。これを、『調査実用化研究』と呼ぼう。研究には、この2面があり、此の評価を上手くバランスを取って行うことが、研究者のマネージメントとして重要である。もっと言えば、一国の科学行政として、どのような研究予算配分をするかなども含めて、しっかり見ていく必要がある。

 さて、もう一つの要素は、今回の小保方さんの事例でも明らかになったように、若手研究者の育成の側面である。ポランニーが「暗黙知の次元」でも書いているように、若手研究者に大きなテーマで研究させ、発表させることは色々なリスクがある。
 このためにも、せめて博士課程前期ぐらいの若手研究者には、「近所の犬の鳴き方」の研究もさせるメリットは大きいと思う。この問題には、日本の作文教育に関する大きな課題も絡んでいる。前にも書いたが、司法試験合格者の研修で「事実と意見の区別」を教えるなどと言う状況では、まともな論文作成などは、どこで学ぶのか?
 前に書いたアメリカの作文教育のページをリンクしておく。
 http://manabizz.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-8b23.html

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