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2014年5月19日 (月)

文部科学省へのお願い

 今回の、STAP細胞関連の議論を見て、揚げ足取り的な発言が多く、一方
    「STAP細胞はあります!」
と言う、感情的な反論しか見えない。
 まともに見えたのは、笹井反論ぐらいである。
 さて、この理由を考えて見た。私の見るところ、一つの原因は「教養学部」と言うか、「教養課程」の弱体化である。もう一歩踏み込めば、哲学の弱体化と言うか、戦線放棄である。
 つまり、学問の府としての『大学』が、学生を受け入れた時に、学問に対処する方法を、きちんと教えるの役割が、教養課程にあったはずである。例えば、ちくま学芸文庫の『数学序説:吉田・赤著』は、立教大学の文学部(!)向けの講義を土台としたものである。文学部の学生に対して、数学の根本をきちんと理解させる努力、このようなものが昔あったのである。
 もう少し、近い例では、東大出版会から出ている、『知のシリーズ』が、この動きを踏襲していると思う。また京大の関係出版物にも、少しはこの様な動きが感じられる。
 さてここで、中心となって働くべきは、『科学哲学』者の仕事だと思う。(科学)哲学者と言うのは、
   「ふつうの人ならすぐわかることを、難しく言う人」
   「何でも疑って、結局何もわからなくする人」
と言う風な目で見られることも少なくない。また、一部哲学者が一般向けに本などを書くとき、わざとそのような表現にし、蛸壺陣地に入って、他から攻撃を受けないようにしていることもある。
 しかし、本当に『自分の力で考える学生』を生み出すためには、このような教養が重要である。
 また文部科学省においては、大学評価に関して、このような科学哲学者の立場から、一般的な大学評価を行わせるように、指導することもよいのではと思う。一度検討を願いたい。

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