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2014年6月14日 (土)

文部科学省へのお願い(研究倫理に関して統一指導を)

 個人的には、今回の理研にたいする提言書は、少し厳しすぎるような気がした。しかしながら、一部の研究者のES細胞の故意の混入説を信じたら、あのような表現になるのかとも思う。しかし、ここで大切なことは、このような前提を明らかにせずに、中立の立場で表現することの危険性を認識していないと言うことである。
 STAP細胞の有無に関しては、直接的な証拠はまだ出ていなく、有無の両面の立場がある。一方、小保方氏の論文作成手法と、理研の関連者の指導体制に関しては、罪の軽重はあっても、無罪判定は出せない状況である。
 ここで危険なことは、まず皆が納得する、論文の書き方と指導体制の問題を指摘する。この後、まだ検証されていない『故意の捏造』を、暗示しながら重罪に持っていく。このレトリックは人を陥れる手法として危険であると思う。
 さて、研究倫理と言うことでは、スイスのノバルティス社の医薬品問題の方が、もっと大きな問題である。この論文は確かに、発表者が自ら撃ち込んだ、いわゆる「コピペ」は行っていないだろう。しかし、共著者として権威と公正さを保証した人間が、内容を検証しないで、統計解析などは丸投げしたという体質は、十分に研究倫理として、追求するに値すると思う。

 さて、ここで研究倫理に関しては、科学哲学者の積極的な参加と貢献を求めたい。例えば、伊勢田哲治『哲学思考トレーニング:ちくま新書』のp8~p10にある、「アメリカなら大学で哲学を専攻した人間は企業で喜ばれる。」と言う項目は、真剣に考えて欲しい問題である。

 確かに、アメリカの哲学者の中には、「一般システム思考研究者」などの実学の塊もいる。それでも、大学の学問の本当の意味での生かし方と言うことを含めて、科学哲学者のしっかりした議論を、研究倫理に関して示した欲しいものである。

 単に「コピペは犯罪である」とわめいたり、「未熟な研究者として糾弾し、血祭りに上げる」だけが、研究倫理の研究者の姿勢とは思えないのである。

 文部科学省には、傘下の大学から、「役に立つ科学哲学者」を結集して、しっかりした倫理の議論をさせていただきたいと思う。

 

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