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2014年7月21日 (月)

織田信長を殺したのは?

 昨日のNHK大河ドラマを見て、本能寺の変について、改めて考えてみた。信長殺しの実行犯は、明智光秀に間違いないだろう。しかし、彼の動機に関しては、諸説があるがどれも決定的とは言えない。
 そこで、もう少し考えると、一つの動機に絞り込むことなどできるのか、と言う疑問に行き当たった。人間というものを、一つの刺激で一つの行動をする、単純なロボットのように見るのは間違いではないか。
 このように考えて、あの時代をもう一度検討してみた。まず「織田信長」と言う、存在の意味を考える必要がある。戦乱の時代であり、外国宣教師が入り込む、技術革新の時代でもある。一方、国内では大名間だけではなく、宗教間でも武力闘争を行っていた。さらに、商業経済も発展しつつあるが、従来の勢力の既得権益などが障害となっていた。
 このような状況では、織田信長のような革命人は、必要な人材だった。そして、革命を行うためには、ある程度の専制は必要であるし、従わない者に対する厳罰も、必要である。ちなみに、織田信長が、当時の常識で考えて、特別残虐であったとは言えない。例えば、比叡山の焼打ちにしても、その前に比叡山の僧兵が、京都の法華宗の信者たちにしたことと、同様の残虐さである。
 つまり、時代が『織田信長』を求めていたのである。しかし、時代の求めが、ある程度満たされてくると、悪い面が見えてくる。そうして、不満が出てくるのも、世論の我儘である。特に、織田信長のような専制君主の厳しさは、使えている人間には、かなりの重荷になっていた。
 こうして、荒木村重の反乱などが起こっていた。このような予兆から見て、織田信長が隙を見せれば、襲撃する部下がいたのも不思議ではない。
 この考えでは、明智光秀の背中を押したのは、時の流れも一つの要素であろう。
 少し規模が劣るが、小泉改革を求め、その後それを引き下ろそうとした、現在の政治にも、似たような図式を感じる。もっとも、小泉元総理を織田信長と比較するのは、余りにも能力が違いすぎる。

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