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2014年7月 2日 (水)

集合知による創造について(続き)

 集合知による創造について、もう少し思うところを書いてみたい。私の感触では、ネット上などやマスメディアの論調でも、批判は多いが育てる意見は少ないように思う。これが、集合知の発揮でも、欠点指摘と言う機能はあっても、新しいモノを育てる機能が弱くなっている理由だと思う。まさに、十二国記の一節ではないが
 「責難は成亊に非ず」
である。
 このブログに固有名詞で検索上位に入る二つの名前がある。一つは、私が集中して書いている、小保方さんである。これは私も納得する。しかし、もう一つの名前は、「厚生労働省小野寺徳子」氏である。彼女に関しては、ほんの数件書いただけであるが、しつこく検索が入っていろ。彼女に関しては、新聞などでは名指しはしていないが、厚生労働省の不正発注の関連での当事者となっているらしい。(当時の企画官)そこでその件について、メディア情報を見ていると、どうもひどすぎる。これを私の理解で整理すると以下のようになる。
 まず、政策としてどうしてもやらないといけない、障害者等の雇用のための訓練がある。
 その仕事を行わせるための、厚生労働省の外に法人を作った。
 実質そこしか仕事が出来ないのに、公正なる入札を行えと指示した。
 実務者としては仕事をしっかりさせたいから、発注前から密に打ち合わせをした。
 これで発注内容の変更などが起こり、不正発注と言うことになった。
と言う図式である。さてこの話の真の問題点は、別の所にある。
 外部の法人の運営に関して、税金の無駄遣いと言われる状況がある。
 その法人の管理がきちんとできない仕組みになっている。
  しかしコスト削減のための行動が必要である。
  そこで形式的にでも入札方式が必要である。
これが一つの図式である。
 さらにもう一つ言えば、
  根本的な問題点に関しては、切り込めないから、形式的な犯罪だけを問題にする。
と言う流れがある。どこやらでの議論と同じような形なってきた。
 このような、形式的な物だけを追求するのは、「間違っていない」と言うことだけを重視しているからだと思う。
 このような形での議論しかできなければ、集合知での創造は難しいと思う。

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