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2014年7月26日 (土)

研究者としての育ち方について

 今回のSTAP細胞と小保方晴子氏に関しては、私も個人的な想いがある。
 ちょうど40年ほど前に、私はある大学で修士1年で、研究の面白さを知った時期であった。しかも研究室で直接指導に当たる、助手(当時、今なら助教)の先生が、自由な発想を大事にする方であり、私も色々と思いつくことを議論させていただいた。しかし、大ぶろしきを広げすぎたため、検討の論理展開は甘く、研究者としては将来性がないと判断されてしまった。これに関しては、私の個人的性格も問題があったと思うが、研究者としての論理展開や、基礎的なものへの理解の甘さが命取りになったと思う。
 後知恵であるが、この時に、京大の山中先生の言う「日本の犬の鳴かせ方」論文を書き、論文を作る基礎力を身につけておけば、将来の道は変わったのではと思う。ただし、そうなったら、今身についている自由な発想力が、残っていたかは疑問である。自由と型嵌めの分岐は難しいモノがあると思う。分野が違うが、小保方晴子氏の、「実験ノート」の甘さなどは、昔の私を見るような感じがする。小保方氏も、博士課程前期の時代に、しっかりした先輩の枠にはめられたら、議論展開はきちんとできたと思う。しかし研究の自由度は、抑えられ常識外の発想はできなかったであろう。但し、アメリカに適切な時期に渡れば別の展開があったかもしれない。
 さて、私は修士2年では、前の失敗を取り戻そうと、多くの論文を読み込んだ。そして、ある程度の見通しを立て、修士論文にまとめ、ある研究会で発表した。私の指導教官の教授は、リップサービスであろうが、

「この内容なら、博士課程に進んでもよかった。なお、この論文は日本の学界では採用基準に達しないが、アメリカの学界は、アイデアの面白さを評価する傾向がある。時間があれば、英訳して発表したら良かった。」

と言ってくれた。この話にもあるように、アメリカの学界と日本の学界では、若いアイデアに対する許容度が違うように思う。小保方さんに関しても、日本の学界では、減点主義で評価するが、アメリカの流れなら、加点主義で評価しているように思う。
 さて、私は縁あってあるメーカーに、就職したが、そこでも未熟のため、会社には多くの迷惑をかけた。しかしながら、会社は一度雇った私には、色々な形で指導とチャンスをくれた。私もそれに答えて、入社後10年では、生涯賃金程度の利益は、会社にもたらしたと考えている。
 なお、会社生活中にもう一つ別の縁ができた。ある大学の学外講師をさせて、頂くことができた。そこで、ある先生から学位について話しを頂いた。

「君なら、論文の実績があれば、博士号は出してもよいと思う。但し、研究は理論的にきちんとした形の方がよい。」

つまり、理論的成果なら、多くの人が認めやすい。従って学位も取りやすいという話である。
 実は、私の友人で、大学に残った人からは、学生時代の研究テーマの延長が、いろいろ検討しているので論文にしやすいのでは、アドヴァイスを貰っていた。しかしながら、実験的要素や提案的要素が多いため、今までの学界活動が途切れている身では、認められないと判断した。

 私が前に、小保方晴子氏に、助言を許されるなら、
   「もう一度理論的な検討で、学会再デビューを考えたら」
と言ったのは、以上の経験を踏まえたものである。

 今この時期、小保方晴子氏には、STAPの再現に注力してほしいが、将来ビジョンとして、理論的にきちんと議論して、多くの人の支持・支援を受ける立場になって欲しいと思う。

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